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合理的な溺愛

 緊迫した空気の中、最初に声を上げたのはアッシュだった。


「……騙してたのかよ。皇帝様自ら、スパイの真似事か」


「アッシュ、黙って」


 リリアンは震える声で弟分を制した。


 カイは、ただリリアンだけを見つめていた。


「……二人きりになりたい」


 *

 リリアンの執務室は、村の中心にある自由区舎の二階だった。


 質素だが整然とした部屋。窓からは、リリアンが育てた緑豊かなアークライトの農地が一望できた。


 カイは、窓辺に歩み寄り、静かにアークライトを見下ろした。


「……7年前。この景色は、赤茶けた砂漠だった。それが今、これほどまでに美しい緑に覆われている。……全て、君の設計と実行の成果だ」


「……あなたのおかげでもあるわ」


「リリアン・アークライト総監。今日は……帝国皇帝、カイゼル・ヴァン・アドラーとして、来た」


 カイの瞳が、真っ直ぐにリリアンを射抜いた。


 カイはリリアンの正面に歩み出て、跪いた。


「アドラー帝国皇帝カイゼル・ヴァン・アドラーは、正式に、貴方に結婚を申し込む」


 一瞬、執務室から音が消えた。


「なん、で……?」


 リリアンの声が震えた。


「理由は三つある」


 カイの声は、論文の発表のように淡々としていた。


「第一に、貴方の『システム』。スキルに依存しない、データ駆動型の国家運営。この思想は、個々のスキルに左右され硬直化しつつある帝国中枢に必要なイノベーションだ。貴方の知識と経験は、帝国全土に応用できる」


「第二に、政治的安定。貴方を皇后に迎えることで、辺境自由区アークライトと帝国中枢は強固な絆で結ばれる。アークライトが帝国への反乱分子と見做される危険性も消滅する。……神殿がアークライトに卑怯な手を伸ばしている。俺ならば、止められる」


 カイは、無表情のまま一歩、リリアンに近づいた。


「第三に、貴方は、俺の『特性』……感覚過敏と情報処理の偏りを、即座に『呪い』ではなく『力』だと見抜いた。貴方は、俺の知覚する世界を理解できる、唯一の人間だ。……俺の力を最大限に活かすには、俺を理解し、かつ言葉に力のある人間が不可欠だ。貴方は、俺と世界を繋いでくれる」


「ご自身に必要な、最後のパーツが、私だと」


(つまり、恋情ではなく……合理的な判断として)


「対価に、貴方が望むもの全てを与える。富、名誉、権力。貴方が『影』だと述べたスラム地区の完全改修も、帝国の予算で即刻実行しよう。……俺の、隣に来い」


「……お断り、いたします」


 リリアンは、毅然とカイを見据えた。


「私は、アークライトの総監です。仲間を、見捨てることはできません」


「見捨てろとは言っていない。リリアンは俺と帝都に来て、信頼できる者にアークライトは任せればいい。自治権も、リリアンが望むなら認めよう」


「いいえ!」


 リリアンは、立ち上がった。


「私は、この場所で、私の意志で、このアークライトを導く。……あなたにも、帝国にも、渡さない」


 リリアンの拒絶に、カイの瞳がわずかに揺らいだ。


「俺の皇后として生きることを、拒むのか」


「私は……アークライト総監、リリアン・アークライトです!」


「では、貴方が『イエス』と言うまで、俺はここに留まる」


「え……?」


「俺は、帝都には戻らない。このアークライトで、貴方を待つ」


 突然の、居残り宣言。それは、アークライトを揺るがす、新たな混乱の始まりだった。


 *

 氷の皇帝が、恋をした。


 その噂は、不自然なほどの速さで、帝国中を駆け巡った。……概ね、好意的に。


 平和的に帝国とアークライトが連携していく未来が確定的なものとして帝国中で語られるようになり……アークライトの幹部たちは、絶望を深めていた。


 *


「アッシュ! 待ちなさい! 待って!」


 アッシュが自由区舎の廊下を走っていく。リリアンの足では、アッシュにとても追いつけない。


 アッシュは、カイの護衛騎士をあっさりと跳ね除け、カイのいる客間の扉を乱暴に開けた。


「何日も居座りやがって……もう我慢ならない! カイゼル・ヴァン・アドラー!」


 アッシュの怒声に、室内にいた側近たちが一斉に振り返る。カイは、リリアンが書いた運営資料を、熱心に読み込んでいるところだった。


「……何の騒ぎだ」


 カイは、アッシュを一瞥しようともしない。その侮辱的な態度に、アッシュの怒りが沸点に達した。


「リリィ姉さんは、お前よりもアークライトが大事だってさ! いい加減、俺たちの土地から、出ていけ。さもなければ」


 アッシュは、腰の剣に手をかけた。


「アッシュ! やめて!」


「愚かな」


 カイは、顔も上げない。


「腕に自信があるようだが……著しく非合理的だ。感情に任せた暴力は、何一つ問題を解決しない。それどころか、君は反逆罪で処刑され、リリアンの立場を悪化させるだけだ」


 アッシュは、剣を引き抜いた。


「姉さんを『道具』みたいに扱いやがって!」


「道具、か。……認識が違う」


 カイは、ゆっくりと立ち上がった。


「俺は、リリアンを『理解者』だと認識している。俺の、唯一の」


「だったら、今すぐ王都に帰れ! お前がいるだけで、政務に支障が生じている!」


「できない相談だな。これは決定だ……俺の生涯の伴侶は、リリアン以外にあり得ない」


「……この、独裁者が!」


「君の指摘は、データとして受理する。俺に剣を向けたことも、許そう。アッシュギル・スペンサー」


 カイの瞳が、初めてアッシュの顔を正面から捉えた。何もかもを見通す、皇帝の眼。


「君の……いずれ終わる、7年来の初恋に免じて」


 アッシュが真っ赤になる。


 カイはアッシュに見向きもせず、リリアンに向き直った。


「リリアン。貴方の拒否の論理は、『アークライトを離れられない』という一点にあった。ならば、その前提条件を、変更しよう」


 カイは側近に声をかけ、何か命じたようだった。


「俺が、皇帝だ。どこにいようと、俺が帝国の中心だ」


 側近が震える手で、新しい書類をカイに差し出す。


「今、この瞬間より、アドラー帝国の『臨時首都』を、アークライトに定める」

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