第10話「止められない声」
地下工房は、夜通し明かりが消えなかった。
紙の擦れる音。
工具の軽い金属音。
誰かが小さく息を呑む気配。
「……本当に、やるんですね」
カイが、少しだけ緊張した声で言った。
「はい」
レイナは、迷いなく答えた。
「ここまで来たら、中途半端が一番危険です」
机の上には、新しい図面。
水でも、農具でもない。
魔法通信装置。
「王国は、“情報は管理できる”と思ってる」
レイナは、淡々と説明する。
「だから、見せしめが効く」
一枚、紙をめくる。
「でも、情報が“勝手に広がる構造”だったら?」
誰も、すぐには答えられなかった。
「止められない、ってことか……」
カイが、呟く。
「はい」
レイナは、少しだけ笑った。
「水より、速いですよ」
完成した装置は、拍子抜けするほど小さかった。
円盤状の金属。
刻まれた、最小限の魔法陣。
「これで?」
「これで、十分です」
レイナは、装置を軽く叩いた。
――ピン。
澄んだ音。
次の瞬間。
「……聞こえた?」
「え?」
「今の、音……頭の中に」
一人、また一人。
工房の全員が、同じ反応を見せる。
「魔力を使わず、
“構造だけ”で共鳴させています」
レイナは言う。
「一定距離内なら、
“同じ情報”を共有できる」
「つまり……」
「噂話が、同時に届く」
沈黙。
そして。
「……最悪だな」
カイが、心底感心したように言った。
「王国側から見たら、ね」
その日の正午。
王都の空気が、ざわついた。
理由は分からない。
でも、人々は、同じ話題を口にしていた。
「聞いた?」
「南門の鍛冶師の件……」
「ただ水を作っただけなのに、資格剥奪だって」
「ひどくない?」
それは、囁きだった。
だが。
止まらない。
露店から、路地へ。
路地から、工房へ。
工房から、隣町へ。
「誰が、最初に言い出したんだ?」
「分からない……でも、みんな知ってる」
管理局が気づいたときには、遅かった。
「情報遮断を急げ!」
「出所を特定しろ!」
だが、出所は一つではない。
誰もが、
“最初から知っていた”ような顔をしている。
地下工房。
レイナは、静かに目を閉じていた。
(……流れてる)
怒り。
疑問。
共感。
人の感情が、波のように。
「これが……通信」
カイが、呆然と呟く。
「いや」
レイナは、首を振った。
「これは、“共有”です」
その夜。
王立魔法学院。
会議室の空気は、最悪だった。
「止まりません!」
「規制しても、同じ話が別方向から!」
「民衆が……議論を始めています!」
――議論。
それは、王国が最も恐れていた言葉。
ディートリヒは、壁に手をついていた。
「……理解した」
低く、言う。
「彼女は、水を与えたんじゃない」
「考える“きっかけ”を与えた」
誰も、否定できなかった。
翌朝。
南門の掲示板に、新しい告示が貼られた。
――鍛冶師三名の処分、再審議。
群衆が、どよめく。
「……え?」
「撤回、じゃないのか?」
完全な敗北ではない。
だが。
王国が、引いた。
地下工房で、その知らせを聞いたとき。
カイは、ゆっくりと笑った。
「……勝った?」
「小さく、です」
レイナは答えた。
「でも」
窓の外を見る。
王都は、昨日と同じ形をしている。
けれど、空気は違う。
「一度動いたものは、戻りません」
「次は?」
カイが聞く。
レイナは、少しだけ考えてから言った。
「次は――」
「“選ばせます”」
「王国が、変わるか」
「それとも……」
言葉を切る。
「壊れるか」
静かな声だった。
だが、確かだった。
魔力ゼロの少女は、
ついに“止められない声”を手に入れた。
それは、剣でも魔法でもない。
人が、人として考える力だった。




