表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

伊勢正三「22才の別れ」について~「鏡に写ったあなたの姿を見つけられずに」の意味

作者:

 別れを目前にした女性の複雑な心情を描いた「22才の別れ」を解説します。


◇別離の決断と未練の相克

 この物語の主題は、別離の決断と、相手への断ちがたい愛・深い未練です。語り手である「私」は、愛する人との別れを決意し、それを実行しようとしています。しかし、その決意はとても不安定で、「今日だけ」しか「さよなら」を言えないという切なさが、彼女の心の葛藤を表しています。

また、彼女は、以上のような未練を残しつつ、結婚を決断しています。彼女は結婚したいのです。その相手は、できれば、「あなた」が良かったのですが、「あなた」との別れと前後して、別の男と結婚をするという選択をしています。つまり、結婚への志向が、「あなた」への愛に勝ったのです。別の人との「しあわせ」に、彼女も彼も勝てませんでした。繰り返しになりますが、「目の前にあった 幸せにすがりついてしまった」という告白は、真情の吐露であるとともに、結婚への強い志向を表しています。

 彼女は、彼との別れの決意の場面で、自分を見守る彼の視線・深い愛に初めて気づきました。それでも、それを振り切って彼女は、「あなたの知らないところへ嫁いで」いこうとしています。

そこには、彼の浮気、つまり、別の女との関係を疑う瞬間があったのかもしれません。ならばいっそのこと、彼女も別の男との未来を描こうとしたと、推測・解釈することも可能です。

「鏡」には、彼の真情、彼女を見守る深い愛が映し出されています。それに今ごろになってやっと気づいた彼女でしたが、もう後戻りできない状況に彼女は立っています。それが別の男との結婚でした。


◇第一連

 第一連は、別れを告げる場面の葛藤を描いています。彼女が彼に「今日」渡した言葉は「さようなら」だけですが、その背後には、複雑な思いがあることが読み取れます。


「あなたに さよならって言えるのは 今日だけ

明日になって またあなたの あたたかい手に

触れたら きっと 言えなくなってしまう

そんな気がして」


 「私」は「あなた」との別れがとてもつらく、「明日」、愛しい「あなた」の「あたたかい手に」再び「触れたら」、決別の決意が崩れてしまうという、「私」の揺れる心情を正直に告白しています。これは、「あなた」の手触り、「あなた」への愛が、決意・理性を凌駕してしまいそうになるさまを示しており、彼女の愛の深さを逆説的に表しています。

 つまり、「今日だけ」や「あしたになったら言えなくなる」といった表現は、理性(別れの決意)と感情(彼への愛)との相克・葛藤を表します。


「私には 鏡に映った あなたの姿を みつけられずに

わたしの 目の前にあった 幸せにすがりついてしまった」


 ここは、この物語の最も重要な部分です。物語における「鏡」は一般的に、見えなかった現実・真実、過去や未来、を映し出します。従って、「鏡に映ったあなたの姿」は、「本当のあなた」や「客観的な現実のあなた」、「あなたとの過去や未来」を象徴することが多く、語り手は、それを直視する(見つけ出す)ことができず、代わりに「わたしの目の前にあった幸せ」という、自己中心的でより手近な、現実逃避的な幸せ・別の人との結婚、を選んでしまったことを告白しています。「すがりついて」や、「てしまった」という表現には、自分の選択に対する、ある後悔と自己批判が込められています。


 「鏡に映ったあなたの姿」という表現は、「あなた」・彼が、自分のもとから離れていこうとしている彼女・「私」を、愛を持って見守っている様子を表しています。この「鏡」は、先の一般的な意味にはなかった「鏡」の意味・働きを有しており、物語の悲劇性をさらに高めます。

 この解釈では、「鏡」は受動的な「映し出す」行為を象徴します。鏡は対象をありのままに、静かに映し出します。つまり、彼の「姿」が鏡に映っていることは、彼が「私」の選択や行動を、ただ静かに受け入れ、見守っていることを示唆します。これは、無償の、ここでは諦念を伴う、深い愛の表現です。この物語において鏡は、受動的な愛と見守りの象徴となっています。


〇「みつけられずに」の悲劇

 物語の悲劇は、「私」が、自分を見守る愛の存在に気づけなかったという点にあります。彼女は、彼が自分を静かに見守るという寛容で深い愛に気づくことができず、自己中心的な「目の前にあった幸せ」へと逃げ込んでしまったのです。


〇後悔の増幅

 真実の愛(見守る愛)を見過ごし、目の前の幸せを選んでしまったという取り返しのつかない過ちに、彼女の後悔の念は一層深まります。その意味でも彼女はもう、彼の「あたたかい手」に触れることはできないでしょう。

 またその手のあたたかさは、彼の心のあたたかさも表しています。


〇「鏡」による、「あなた」の人物像の昇華作用

 別れを告げられ・振られる側である「あなた」の人物像が、ただの失恋相手から、「鏡」によって、何も言わずに彼女を送り出すという「自己犠牲的な愛」を体現する存在へと高められます。

 結びの「あなたのままでかわらずにいてください」という言葉は、そのような彼の崇高な愛の姿を永遠に保ちたいという、最後の願いです。


◇最後に

 「鏡」は彼の心の静かな反映であり、「私」の行動を最も尊い愛の裏切りとして位置づけます。これによりこの物語は、単なる恋愛の破局ではなく、人間の心理的視野の狭さと、それによって失われた尊い愛の悲劇を描いたものと規定できるでしょう。


 彼は彼女を今でも深く愛しています。それに気づかずに心変わりをしたのは彼女の方です。彼は彼女を静かに見守ります。彼女の視界にある鏡に彼の姿は確かに映っているはずなのですが、彼女はそれに気づきませんでした。彼からの真実の愛に気づけなかった自分。「目の前にあった幸せに」飛びついてしまった自分。後悔が彼女を責め苛みます。


 しかしそれでもなお彼女は、新しい人のもとへ旅立とうとしています。彼の愛を認識したにもかかわらずです。それは、「嫁いでいく」という、こちらももう引き返せない現実の堆積ゆえということもあるでしょう。

彼女は三重の裏切りをしようとしています。元の彼に対して、新しい夫に対して、自分自身に対して。


◇第二連

 第二連は、過去への郷愁と時間の重みを描いています。愛する人とともに過ごした「時間」の重みが、別れの苦痛を増幅させます。


「私の 誕生日に 22本の ろうそくを立て

ひとつひとつが みんな君の 人生だねって言って

17本目からは いっしょに 火をつけたのが きのうの ことのように」


 これらの具体的なエピソードは、二人の間に流れた幸福な時間と記憶を表しています。「17」・「22」という具体的な数字は、二人の関係が「5年」(22-17=5)にわたる、深いものであったことを示唆し、読者に現実味と共感を与えます。「17本目からは いっしょに 火をつけた」というのは、もちろん、17才からふたりの交際が始まったことを表します。

 17才は高校時代(高校2・3年生)。22才は成人を終え、大学卒業の年。ともに人生の大切な分岐点です。これからの自分の人生をどのように考え、判断・選択・行動するのかが問われる、人生のターニングポイント・転換期となる年齢です。それらの時をともに歩いた二人はいま、22才の大学卒業とともに、別れを選択しようとしています。

「ひとつひとつが みんな君の 人生だねって言って 17本目からは いっしょに 火をつけた」からは、ふたりの交際の一年一年の出来事を、一つ一つ思い出し、確認しながらふたりで火をつけたことを表します。彼の手の温もりを思うと、なかなか「さようなら」を告げられない現在とは異なり、この誕生会で、ふたりの手は触れあっています。


一方でこの事は、22才の誕生会をふたりで幸福に過ごし、いま、同じ22才のうちに別れるというせわしなさを感じさせます。


 特に女性にとって「22歳」という年は、既に結婚を意識する年の一つであり、実際に「私」は、他の人との結婚へと向かおうとしています。だから彼女は、2つの大きな選択と決断をしたことになります。ともに大学進学を目指して勉強し、受験を乗り越え、学生時代を過ごし、5年間の青春時代を共有した相手との別れ。それだけでなく、まったく別の人との人生の選択。別れの予感や疎遠な時期があったかもしれませんが、もし「さようなら」が突然の告白であったとすれば、「あなた」にとっては青天の霹靂だったかもしれません。


 彼女は結婚を強く望んでいます。彼はそれに応えることができなかった。だから彼女は別の人との結婚を選んだ。物語は、このような経過をたどっています。その意味で、彼女を引き留めずただ見守っているのは、彼の方にも別れの原因・責任があったことになります。

 結婚にはタイミングがあります。互いがどんなに好き合っていても、そこにたどり着けない場合がある。彼にとって「結婚」は、この場面では選択できなかったのでしょう。しかし、自分から去ろうとしている彼女を見送る彼の目にはまだ、彼女への愛が込められています。


「今はただ 5年の月日が長すぎた春と 言えるだけです」


彼女は彼との5年間を振り返ります。「長すぎた春」という表現は、幸福であった時間が、叶わぬ恋という結末を迎えた今となっては、長く、切なく、そして哀しい時間であったという、感傷的な追想を示します。ふつう春は希望や始まりを意味しますが、ここではそれが「長すぎた」ことで、かえって痛みを伴う記憶となっています。

つまり、「長すぎた春」という逆説的な比喩は、幸福であった過去が現在の状況によって否定的に捉え直されている状態(感傷的な追想)を表します。


「あなたの 知らないところへ嫁いでゆく 私にとって」


 前の連の「目の前にあった幸せにすがりついた」という行動と同様に、別れの具体的な理由が再び明瞭に示されます。彼女は別の人生、「あなたの知らないところ」という、彼とは完全に断絶した未来へと進むことを選びました。


◇第三連

 結びの第三連は、エゴイスティックでありながらも純粋な願い・愛を表現しています。


「ひとつだけ こんな私の わがまま聞いてくれるなら あなたは あなたのままでかわらずに いてください そのままで」


 彼女は自分が裏切る形で別れを選んだ(「こんな私」という自分を卑下する表現からうかがわれる)にもかかわらず、「わがまま」を承知で、彼に、不変的・普遍的存在であり続けることを願います。これは、別れてもなお、心の中で愛する人の姿を同じように永遠に留めておきたいという、極めて「わがまま」な願望です。彼女は愛する人に、「かわらずにいてください」、「そのままで」と繰り返し願うことで、別離後も、自分を愛した「あなた」を世界に存在させ続けようとしているのです。これは、愛する人の幸せではなく、自己の記憶と愛を保全するための、自分勝手な切ない祈りかもしれませんが、それとともに、彼の愛の深さや永遠性を彼女は認めています。


◇まとめ

 「私」の語り口からは、ためらいや感情の揺れが読み取れます。過去の記憶と現在の決断、未来への不安が混ざり合い、時間軸が錯綜して述べられることで、より感情の深みが増します。自己の弱さ、後悔、断ち切れない愛という、人間の普遍的な感情を描いた別れのモノローグは、私たちの心に強く深く訴えかけます。


◆最後に

◇「鏡」のモチーフについて

 物語の定石としては、自己と他者(自己の客観的な姿、あるいは内面の対立(もう一人の自分)、他者の視線)を象徴します。

 この物語において鏡は、真実を映し出すメディアであり、そこに映る彼の姿に気づかないことは、真実の察知の失敗を意味します。


◇「鏡に映ったあなたの姿」という構造による悲劇の最大化

 このように、深い愛をもって彼女を見守る彼の様子を「鏡」に映し出すことによって、物語の文学的深み、悲劇性、痛切さが増しています。主人公の行為が高尚な価値の喪失につながるとき、その文学的悲劇性は深まるからです。

 彼女は、彼が示していた「静かで無償の、最も深い愛」という高貴な価値に気づかず、手近な「幸せ」に逃げたと自己規定しています。そこには、彼への疑念があったのかもしれませんが、この行為は、彼女の「罪」・「取り返しのつかない喪失」を意味し、私たちに、深い共感と痛惜を呼び起こします。


相手の愛を疑うことで、却ってその真実の愛を失ってしまうという構造は、竹内まりやの「駅」も同じです。

メロディラインの美しさが際立つ曲ですが、その歌詞にも、このように深い意味が込められている物語でした。


#風

#かぐや姫

#伊勢正三

#22才の別れ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ