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トマリギの水

ホーセズネックはどちら

作者: 松本遊心

7杯め

「でね、もうひとつ気になることがあってさ。交番?派出所?ポリス?どういうこと?警察はアタマおかしくなっちゃったのかな」

 男はいかにも選挙ポスターのスチール写真のような顔で、右こぶしでカウンターをポンと叩いた。氷が消えた水割りのタンブラーがちいさな波を打った。3時間前から”気になる”はとどまることなく湯水のようだった。

「といいますと・・・」バーテンダーがやれやれといった感じで応じた。


 深夜2時。日が替わり月曜日ということもあって客の入りはかんばしくない。それを見越してか偶然か、男は週に一度日付変更の近い時間帯にいつもやってきた。今日は少し離れたカウンター席に20代後半くらいの男ふたりが、彼らの会話は尽きたのか、男の演説に時折にやにやしながら聞き耳を立てていた。

「あのローマ字のKOBANのことだよ。あれって誰に対しての表記なんだ?外国人に交番はあちらですよーっていったって、What?だよ。ポリスボックスじゃなきゃ通じるわけないだろうが。そもそもいつまで交番表記を公共で使うんだよ、この令和の時代に。まったくもってふざけてる」

 2人組はクックッと声を殺して笑っている。男はそれを知ってか知らずかつづけた。

「あっ、そうそう忘れてた。最近もうひとつ気になったんだけど、女優とか看護婦が俳優に看護士で呼称統一されたことにも物申したいんだけど、オリンピックだよ問題は。男子・女子ってなんなんだよ、子って付ける必要ある?小学生じゃないんだからさぁ。世界中からバカにされてるのがわからないのかなぁ、まったく」

 そこ?とバーテンダーは膝を折りそうになったが、なるほどと殊勝に首だけ動かして態度をにごした。

「そうそう、マスターあれ気にならない?公営ギャンブル。パチンコもえぐいけど、特にけ・い・ば」

 そこで二人組がぴくりと反応した。さきほどまでの緩んだ表情は消え、互いに空気を察しているのかグラスを手にしたり、もう一人はケータイを触りだしたが、あきらかに聴覚は男へアンテナを向けていた。

「パチンコにボートに競輪?競馬?あんなのするやつはアホだよ、アホ。そもそもギャンブルってのは胴元が儲かるようにできてんだよ、むかしっからさ。テラせんが馬鹿みたいになってるから、あんな御殿みたいな建物が建ってるわけじゃないか。競艇にしろ競馬にしろ仮に100人が100人同じ目を買って、仮にそれが的中しても運営側は1円も損しないような仕組みになってる。次から次へ痩せたカモがやってきて大量のネギを置いていくんだ。商売者としてはもう笑いが止まらないよね」

「あのう、ちょっと訊いていいっすか」

 二人組のキャップを被ったほうが身を乗り出した。もうひとりの眼鏡が、おいっ、とあわてて止めようとしたが先の男が手で制した。

 おしゃべり男がはじめてそちらへ顔を向けた。「なに」

「あなたは競馬したことあるんすか」

 男はふんと鼻を鳴らした。「ないよ。一度もないし死ぬまですることはない。時間とお金ほかもろもろの無駄。以上」

 バーテンダーは雲行きがあやしくなった空気を感じて、スイングドアに手をおいて成り行きを見守った。

「あんた、仕事なにしてんすか」

 連れの眼鏡は、もう知ーらないとばかりに後頭部に両手を組んで天井を見上げていた。

「は?なんで見ず知らずの君にそんなこと教えないといけないわけ」

「自分が関与してないことに、あれこれ中傷すんのよくないんじゃないんすか」

「関与してるかしてないか、わかんないじゃないか」

「関与してる人だったら、さっきみたいなことはいわねーだろっつってんの」

「なに、さっきぼく何かいったかな」

 キャップが口を開くまえに眼鏡が、「あの、ぼくら馬のちょうきょ・・・」といいかけたが、さえぎった。

「わるい、先帰るわ。例のあれ、この人とおれの分はお前が代わりに飲んでってくれ」いって万札を1枚眼鏡の男に押し付けるとそのまま店を出ていった。

 扉が閉まる音を背中で聴いたおしゃべり男が、「ちかごろの若い人は年長者に対する言葉を知らないよね、マスター。おぉ、こわいこわい。殺されるかとおもったよ」いって、おおげさに身をよじった。

「すみません、注文いいですか」眼鏡がバーテンダーに片手をあげた。

「はい」バーテンダーがさっと彼の前に移動した。

「面倒ですけど、ホーセズネックいいですか?・・・迷惑をかけたおわびにあなたもいかがですか」後半はおしゃべり男に向けた。

「ほぉ、友達と違ってきみは立派な青年のようだね。世間をよくわかってる。じゃあせっかくだから好意に甘えよう」

 バーテンダーは二人を交互に見て、「かしこまりました」と首肯した。


 ホーセズネック。かつてはバーテンダー泣かせのカクテルだった。なにしろレモン1個分の皮をらせん状に切り、切り出しの部分をタンブラーの縁にかけ氷を包むように入れて、ブランデーをジンジャーエールで割ったカクテルだ。これはバー側の視点でみると、そこそこの繁盛店もしくは高価格にするか他の手を打たないと成り立たない。残ったレモン果汁があるからだが、近年では、そのデコレーションは火の玉に似た、あるいはマンガの吹き出しに似たレモンカットで提供することで解消されているようだ。


 シンプルなホーセズネックを見たおしゃべり男は、「ほぉ、ちかごろはしゃれたカクテルもあるんだね。じゃあ遠慮なくいただくよ」いってゴクリと喉へ流した。「ほぉ、なるほど」

 これまで感じたことがない味わいなのか、そもそも関心がないのか彼はいった。バーテンダーも眼鏡もそれには反応しなかった。

 新規客もこないまましばらく時間が過ぎ、おしゃべり男もいつからか口をつぐんでいた。眼鏡の男がカクテルを干して席を立った。そのまま会計を済ませ、出入口のドアに進んだところで、おしゃべり男がそのままの姿勢で口を開いた。

「あんたたちにとって不快なことをいったみたいだ。友人の彼にも伝えてくれないか。悪かった。あと、このカクテルごちそうさま」

 眼鏡の男はノブを手に背中で聞いていたが、無言のままドアを開いて店を後にした。


 ホーセズネックには一部の熱狂的な競馬ファンに験担げんかつぎとして人気があるが、スラングとして意味がある。

ーーー馬鹿な男の首。

 

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