最終話 林檎の心臓
私は頭を抱えた。嫌だ。嫌だ。嫌だ。
信じたくない。信じたくない。信じたくない。
しかし、ベニーはさらに追い込むように話し続けた。
「シナーノ王子の死体はオーリンが見つけわ。あなたに会いに行くと言ったきり戻って来ない事に心配になったんでしょうね……。
オーリンはすぐに犯人があなただと分かった。で、私に相談を持ちかけてきた。
『一緒に兄を殺した奴を復讐する手助けをしてくれないか』ってね。
最初はどういう事か分からず、戸惑っていた。だから、直接会いに行って確かめる事にしたの」
そうか。あの時、ベニーがコールト王国に来たのは私にアップルちゃんの死体の贈り物をあげるためだけでなく、私に復讐する計画をオーリンと話し合うためだった。
でも、そんな話はしていなかったような……。
「食事をしている最中に、私達だけしか知らない暗号を刷り込ませておいたの。それを使って、オーリンの話が本当であること。そして……」
姉が突然話を止めて、ナイフを持つ手を震わせていた。
「ジョナが……お兄ぃ様があなたに殺された事も知った!」
ベニーは今にも泣きそうな顔をしていた。本当に何がなんだかさっぱりだ。
私が兄を殺した? なぜ? どうしてそのような事になる?
「証拠はあるんですか? それに兄は事故死だって……」
「溺死よ。川で溺れて死んだの。私は執事にその話を聞かされた時、不審に思った。
お兄ぃ様はそんな事をするような人じゃない。だから、真っ先にあなたを疑った。
お兄ぃ様は妹のあなたを可愛がっていたけど、時々怖いとも言っていた。
私は会うのもやめなよと止めた!
止めたけど……『妹を見殺しになんかできない』って……馬鹿!
あなたが殺されたら意味ないじゃないの……」
ベニーが今までにないくらい感情に溢れていた。溺死――その瞬間、私の脳裏にまたしてもある光景が浮かんだ。
※
いつだったか、私と兄が川でボートを漕いでいた。兄から誘われた気がする。
『気持ち良いね』
私がそう言うと、兄は『そうだな』と微笑んだ。その日は曇天で波も穏やかだった。
『ユキ、あそこに何か見えないか?』
すると、急に兄にそう言われたので、『どこ?』と振り向いた。その瞬間、私の頭に何かぶつかった。
『あっ……』
私はその衝撃でバランスを崩し、川に落ちてしまった。足が着かないほど深かったので、ジタバタしていた。風が強くなり、波も穏やかではなくなった。
私は船の縁に掴もうとした瞬間、兄に踏まれてしまった。彼の冷ややかな目つき――この瞬間、私は兄の本心を知った。
『ど、どうして……?』
『悪く思わないでくれ』
兄は無表情で言った。
『このまま君を生かせば、我が一族は滅ぶ。だから、次期国王である俺は民達を守るためにお前を殺す』
『そんな……嫌だ!!』
私は兄の裏切りのショックと怒りで、咄嗟に私を踏みつけている足首を掴むと、グイッと引っ張った。
『ぬおっ?!』
兄は私の反撃に完全に油断したのか、ゴンッと縁に頭をぶつけて川の中に落ちていった。それとは入れ替わりに私はボードに乗る。
『……兄さん!』
私はすぐに川の方を見たが、波が激しかったせいか、どこにもいなかった。
『兄さーーーん!!! 兄さーーーん!!』
私が大声で叫ぶと、遠くの方で執事達の声が聞こえた……。
※
私の意識は再び姉の話に移った。ベニーは涙を流しながら話を続けた。
「真実を見通せる魔法の鏡を使って、あなたが兄の足首を掴んで落としたのを見たの。
その瞬間、絶対に殺してやると思った。元々気に食わなかったけど、この真実を知った今、あなたに復讐する計画を立てた。
オーリンに相談した結果、あなたみたいな呪いを打ち消す方法は一つ。
大昔に聖女が殺されて出来たとされる川から水を汲み取ってぶっかけること……。
場所はかなり遠かったけど、ドラゴンに乗っていたら容易かったわ。
あとはタイミングを伺うだけだったんだけど……予想外だったのはお母様が生き返ったこと。
そのせいでお父様は発狂して川で身投げするし、あなたを消滅させる事はできなかったし……全部メチャクチャよ!」
「ベニー」
私が近づこうとした瞬間、姉はナイフを振った。
間一髪かわしたが、バランスを崩してしまって尻もちをついてしまった。頬が熱くなったので触れてみると、手のひらが赤くなっていた。
血だ。
「近づかないで」
姉は殺意のこもった眼差しでナイフを向けた。その刃は血で滴り落ちていた。
「私がこの手で、お兄ぃ様とシナーノ王子の敵を討つ」
姉はそう言ってゆっくりと近づいた。本気で私を殺そうとしている――その瞬間、私の中にある糸みたいなのが切れた音がした。
私が無意識に縛っていた感情が止めどなく溢れ出てきた。
「ふざけるな!」
私はそう叫び、力任せに彼女に体当たりした。姉は完全に油断していたのだろう、「きゃっ!」と言って手に持っていたナイフが落ちた。
私はそれを瞬時に拾った。姉は「イタタ……」と立ち上がったが、私がナイフを持っている事に気づいた。
「あなた、それを返し……」
姉が言い終えないうちに、私は彼女の脇腹を刺した。
「……え?」
さすがの姉も私に刺されるとは思ってもみなかったのだろう、ドレスから滲み出る血を見て狼狽していた。私は力任せに引き抜いた。プシャーと血しぶきが飛んだ。姉はフラッと倒れた。
私が続けて切りかかろうとしたが、姉は四つん這いになって出口を目指そうとしていた。
「どこにいくの?」
私は姉に呼びかけた後、右足を刺した。
「いやぁああああああ!!!」
姉は甲高い悲鳴を上げて倒れてしまった。すかさず左脚を突き刺した。
「ひぃぎゃあああああ!!!」
絶叫する彼女に今度は私は馬乗りになった。ベニーは口をパクパクしながら訴えていたが、私はなりふり構わずに振り落とした。
自制心はとっくに消え、私はコイツの息の根を止める事しか考えられなかった。
頭の中では姉から受けた暴言や仕打ち、耳障りな笑い声が目まぐるしく浮かんでいた。
思い返せば思い返すほど憎しみが増していき、ナイフを刺しまくった。
しかし、近くで心臓の鼓動が聞こえた所で私は腕を止めた。血溜まりになった姉の胸部はポッカリと空いていた。
心臓が見当たらない。辺りを見渡すと、地面に転がっていた。恐ろしい事にまだ動いていた。
「きゃあああああああ!!」
私はすぐに駆け寄って手に取ると、壁に突き刺した。心臓はピクピクと痙攣した後、静かに停止した。
私はホゥと力が抜けたように座ってしまった。チラッとグチャグチャになった姉を見る。
「ぷふっ……」
何だか可笑しくなって笑ってしまった。人生でこれほどまでに愉快になったことはなかった。憎き姉はもうこの世にいないと思うと最高に幸せな気分になった。
「ベニー! どこにいるのー?」
すると、遠くの方で姉の名前を呼ぶ声がした。オーリンだ。
私は咄嗟に姉の死体を起こして抱きしめ、泣いたフリをした。
「お姉様……お姉様……」
人間は不思議なもので、相手が憎き姉でも自然と涙が流れていた。そのちょうどに誰かが入ってきた。
「なっ……」
声がしたので、私は涙で濡れた顔で振り返ると、オーリンが立っていた。私の部屋が異様な状態になっている事に戸惑っているのだろう、顔が固まっていた。
「オーリン……」
私は今にも消えそうな声で彼を呼ぶと、オーリンはすぐに私の存在に気づいた。
「いやあああああああ!!!」
そして、そのまま駆け出してしまった。
(さすがに泣いたフリだけじゃあ、通じないか)
私はそう思っていると、壁に刺さったナイフに目が行った。
「あれ?」
私は何か違和感を感じて壁に近づいた。ナイフに刺さっていたのは姉の心臓ではなく林檎だった。
彼女の髪色みたいに真っ赤な林檎だった。
どうやら空っぽになった胸部は私がメッタ刺しにした時に原型が無くなるぐらいグチャグチャに潰れてしまったのだろう。
私は林檎を心臓と間違えてしまったのか。なんてお茶目なんだ。私はナイフを引っこ抜いて投げ棄て、林檎をマジマジと見た。
すると、窓の方から「カァー!」と鳴き声が聞こえた。
見てみると、カラスが羽ばたきながら私の方を見ていた。窓を開け、中に入れさせると、カラスはたちまち姿を変え、人型のカラス――アダムになった。
「やぁ、ユキ。約束通り心臓を手に入れたみたいだね。それを私にくれないかい?」
アダムはそう言って手のひらを向けた。
「この林檎が?」
「そうだ。君の眼には林檎に見えるかもしれないが、私の目では生身の心臓だよ」
それを聞いた瞬間、触覚が気持ち悪くなったので、すぐに彼に渡した。アダムはどこからともなく手すり付きの大きめの鞄を出現させ、そこに姉の心臓を入れた。
「これで私との契約はおしまい。後は猿に頼んで、君のお兄さんと熊を……」
「待って」
私は重要な事を思い出し、立ち去ろうとする彼の腕を掴んだ。
「……どうしたんだい? 何か不満でも?」
「そうじゃないの。あの……」
私は言おうか迷ったが、二度と訪れないチャンスだと思い、意を決して言った。
「もう一個心臓を取って来たら、シナーノ王子に遭わせる事ってできますか?」
「え?」
アダムは赤い瞳で私を見て自分の目的を察した表情をしていた。
「もちろんできるが死体から取るのは駄目だ。生きた人を殺してから取り出さないといけないぞ。それにシナーノ王子と血縁関係でないと駄目だ」
「えぇ、ちょうど城の中に一人います」
私はニコッと微笑んだ。アダムは嘴を掻いた後、「いいだろう」とまた紙とペンを取り出した。
私はすぐに自分の名前を書くと、投げ棄てたナイフを手に取って、部屋を出ようとした。
「ユキ」
が、アダムに呼び止められてしまった。
「何でしょうか?」
「いや、大した事じゃない。君が採ってくるまでの間、ここで待たせてもらうよ」
「えぇ、ごゆるりと」
私はそう言って、部屋を飛び出した。
「オーリィイイイイイイン!!! 心臓をよこせぇええええええ!!!」
そして、愛しの王子の妹の名を叫びながら走った。
完




