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第48話

 三限目が終わった頃、廊下の壁にもたれかかりながら、ぐったりとする体をずるずると引きずって教室へと向かう。

 

「ぶはーっ……死ぬ」

 

 大きく息を吐いて、服の襟をパタパタとして服の中に風を送る。

 三限の授業は体育だったのだが、バスケのスリーオンスリーを延々とやる、というものだったのだ。体育教師としては楽ができるからだろう。

 俺達が疲れる羽目になったのは、ただバスケのスリーオンスリーをやるから、というだけではなかった。というのも、女子も同じフロアでバレーをしていた事もあってか、男子は何故か無駄にやる気を出してしまったのだ。そのせいで、こちらもそれに引っ張られる形で本気で試合をさせられ、常に動き回る羽目になった。

 首に垂れる汗を襟で拭いて、もう一度大きく息を吐いた時、ふわりと鼻先を良い匂いが擽った。


「お疲れ、依紗樹くん。たくさん走ってたね」


 くすくすと笑っているのは、クラスメイトで妹の〝おかーさん〟をしてくれている伊宮弥織だ。

 彼女も同じく体育だったので、体操着のジャージ姿だった。普段はあまりしないポニーテールをしていたので、男子連中がテンションを上げていたのが記憶に新しい。ちなみに、今も彼女は髪を結ってポニーテールにしたままだった。

 弥織のポニーテールに関して、俺は家で料理を作ってもらう度に見ているのだけど──なんて言おうものなら、きっと俺は他の男子連中に殺されてしまうのだろうけども、それでも目新しさはあまりない。むしろ、もはや普段の真っすぐに下ろしている髪型のほうが好きだとさえ感じていた。


「何でバスケとか球技になると皆あれだけ頑張るんだろうな。疲れる……」

「そう言う割に、依紗樹くんも頑張ってなかった?」

「べ、別に……周りに釣られただけだよ」


 俺は気まずくなって、弥織から視線を逸らした。

 周りに釣られたというのもあるが、無論理由は他にある。それは、バレーをしていた女子、元い、弥織がこちらを見ていたからである。詰まるところ、女子に見られて張り切っていたのは俺も同じなのだ。


「えー? ほんとかなぁ?」


 彼女が悪戯な笑みを浮かべたままこちらに歩み寄ってきて、良い匂いがふわりと鼻腔を擽る。

 何故彼女は体育後でも良い匂いなのだろうか? 一瞬そんな事を考えるが、俺ははっとして思わず一歩後ずさった。


「……? どうしたの?」


 俺が距離を置くとは思っていなかったのだろう。弥織が怪訝そうに首を傾げた。


「いや、俺今汗だくだからさ。臭いかもしれないし」

「そうなの? そんな事ないと思うけどなぁ」

「ちょ──⁉」


 弥織は気にせず、俺が後ずさった分だけ歩み寄って、くんくんと嗅いだ。

 俺は慌てて周囲を見回して、誰かに見られていないかを確かめる。こんなものを見られた日には、それこそ本当に殺されてしまうかもしれない。


「汗臭くなんてないよ?」


 彼女が首を傾げる。

 いや、そういう問題ではない。そういう問題ではなくて、近い。


「いや、嘘だろ。そんな近付いたら絶対臭いって」


 弥織が近付いた分だけ少し距離を置いて、離れる。

 彼女はそんな俺を見て、「臭くないって。気にし過ぎだよ」と呆れた様に笑っていた。

 

「あ、ちょっと待ってて」


 弥織は何かを思いついた様にそう言うと、教室へとぱたぱたと走って行った。

 そのまま廊下で待っていると、彼女はすぐに戻ってきた。そして、手にはVIOREと書かれたパウダーシートがある。


「そんなに気になるなら、これ使う……?」

「あ、いいの? めちゃくちゃ助かる」


 彼女からパウダーシートを一枚貰って、そのまま首筋や顔などを拭いていく。

 今日は制汗スプレーを持って来るのを忘れてしまっていたので、非常に助かった。

 ひんやりとしたパウダーシートで肌を拭っているうちに、自分の首元から柔らかい香りがして、ふと気付く。


 ──あ、これ……弥織と同じ匂いだ。


 弥織も体育の授業が終わった後に、すぐに拭いたのだろう。俺の顔や首、腕などからも彼女と同じ香りが漂っていた。

 そう思った時、ふと弥織を見ると、彼女は何故か照れ臭そうにはにかんでいる。


「どうした?」

「んーん。今、私達一緒の匂いしてるんだなって」


 きっと弥織は悪気なく言ったのだろう。

 ただ、彼女が何気なく発したその言葉と同じ事を考えていたのが妙に嬉しくて、気恥ずかしい気分になってくる。


「あ、じゃあ私もそろそろ着替えてくるね?」

「お、おう」


 弥織はもう一枚パウダーシートを取り出してそれを俺に手渡すと、小さく手を振って教室へと入っていった。


「……同じ、匂い」


 想像するだけで、頭に血が登ってしまいそうだった。

 こういう何気ない事をさらっと言われると、心臓への負担が大きくて困る。心の準備をしていない時に食らう不意打ちほどダメージが大きいものはないのだ。

 手元にあるパウダーシートは、決して特別なものではない。それこそコンビニやドラッグストアで売っているような、誰でも手に入れられるものだ。

 それなのに、そんなパウダーシートが特別なものとなって、新しい青春を刻んでくれる。

 これも、俺達だけの想い出の一つなのだろうか。

 

 ──俺も、VIOREのパウダーシート買おっと。

 

 好きな子の匂いが感じれるものを、身近に置いておきたい。これも青春なのではないだろうか。

 そう自分に言い聞かせて、俺はもう一枚のパウダーシートで火照る肌を拭った。

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