第15話 クレープで起きるトラブルと言えば
伊宮さんお目当てのクレープ屋さんは、結構な繁盛具合だった。
どうやら最近できた新店舗でインスタでも話題らしく、学生に大人気らしい。高校生でありながら、ほぼ毎日を子育てで追われている俺にとっては全く入ってこない情報であり、こういうところで自分の高校生活は一般人と大きく乖離しているなぁと思わされるのだった。
俺達は一緒に並んで、メニューと睨めっこしてどれがいいだのどうだの話合いながら、ひとつずつ買った。俺が選んだものは、結局彼女が最後まで悩んでいたものだ。
クレープを持って、駅前のベンチに座って一緒に食べる。
伊宮さんは幸せそうな顔をしながらクレープを口に含んでは頬を緩めていた。ご満悦らしい。
一方の俺は、クレープなんて初めて食べる。食べ方がわからず、悪戦苦闘していた。
正しい食べ方はいまいちわからなかったが、美味しいというのはよくわかる。もっと甘ったるいのかと思っていたが、程よい甘さと良い香りが味覚と嗅覚を刺激し、満足感を与えてくれる。ただ、伊宮さんの言う通り、太りそうな食べ物だった。
──うーん、クレープってこんなに美味しかったのか。甘いだけのものかと思ってたけど、種類も豊富なんだなぁ。
もぐもぐと食べながら、看板のメニューに視線を送る。甘いものだけでなく、ツナやカレー風味など、辛めのものもあって、種類が豊富だ。
今回俺が選んだのはこの店限定のメニューのもので、伊宮さんは期間限定のものを食べている。どうやら女子という生き物は、この限定という言葉に弱いらしい。どちらの限定ものにするかで悩んでいたので、どちらも食べれる様に俺がこの店限定メニューのものを選んだのだ。
すると、伊宮さんが俺の手にあるクレープをじーっと見ている。
「あっ……こっちも食べる?」
この手の視線は高校生も園児も変わらずで、意図を察して訊いてみる。
「え、いいの?」
伊宮さんがぱあっと顔を輝かせた。本当に妹と同じ反応で、思わず笑みが漏れた。
「どうぞ。っていうか、こっちも全部食べると思ってたよ」
「さすがに二つも食べれないよ。ひと口だけ貰うね」
言いながら、伊宮さんが顔を寄せてきたので、俺は自分が口をつけていない方を彼女に向けてやる。
すると、彼女は小さく上品な口ではふっとクレープの端っこを覆って、子猫の様にはむはむと食べ始めた。彼女の赤く柔らかそうな舌が、ホイップクリームの白をしなやかに包み込んでいく。
──待ってくれ、これ……可愛すぎるだろう。
憧れだった女の子が、自分の手にあるクレープをはむはむ食べているその仕草があまりに可愛くて、悶え死にそうになってしまった。
そして同時に、周囲からも視線を感じたので顔を上げると、同じ制服を着た生徒達がこっちを凝視していた。皆、驚いた顔をしながら固まっている。
──っていうか、これ……完全にデートみたいじゃん⁉ まずくないか!
今俺が一緒にクレープを食べている女の子は、学校一の美少女こと伊宮弥織だ。
高嶺の花どころか断崖絶壁に咲く花と言われている女の子で、そんな子と二人でクレープを食べるとなると、もはやそれは事件である。しかも、俺と彼女はここ数日別の意味でも話題になっていた。
俺が彼女のストーカー男として周囲から認識されていたのは二日前、そして今朝ではそんな二人が一緒に登校、その日の帰りにこうしてクレープを共に食している。色々、まずい状況なのではないだろうか?
「ん~、おいしっ。次は私もそっちにしようかなぁ」
しかし、当の伊宮さんは周囲の視線に気付かず、顔をはにかませたままクレープを食していた。
気付いていないならいいか、と思ってクレープを食べようと口を開いた。そして、そこでぴたりと手が止まる。彼女の食べた箇所が、ほんの少しだけ光沢を放っていたのだ。
──光沢……?
何故光沢が、と思って少し考えてみて、一つ思い当たった。慌てて横を見て、俺の視線は彼女の唇に行く。
彼女は唇についた生クリームを、ぺろりと自らの舌で舐め取っていた。光沢の正体、それは──
──ちょ、ちょっと待ってくれぇ! こ、これって! これって、間接なんとかになってしまうんじゃ……!?
一気に頭が茹で上がりそうな程蒸気を発してしまっていた。
恋愛経験がない俺にとっては、刺激が強すぎる事態だ。むしろ心肺停止してしまうのではないかと思えてしまう。
──いや、待て。落ち着け俺。妹の食べ残しを食べる事だってよくあるじゃないか。それと何が違う? いいや、違わない。正体は同じだ。違いは、妹であるか、学校一の美少女であるかだけで……って、それが一番の違いだろうがぁあああ!
もはや自分でも何を考えているのかわからない。完全な混乱状態である。
──ええい、ままよ!
俺は大きく口を開けて、その僅かばかりある光沢を放つ生地をかぶりと食べる。
さっきとは異なる甘さを感じた──気がした。
ただ、意識すると脳が沸騰しそうになるので、そのまま大きく口を開けて、二口、三口と食べていく。
伊宮さんは、そんな俺の様子を見てくすくす笑っていた。
「もう、真田くんったら。そんなに急がなくても、誰も真田くんのクレープ取らないってば」
「い、いや、べべべ、別にそういう意味では……!」
取る、取らないの話ではなく、あなたの所為で脳がショート寸前なんです。
「あっ。慌てて食べるからほっぺにクリームついてるよ?」
「え?」
伊宮さんはそのまま指を俺の頬に伸ばすと、ちょいと頬を拭った。
その指先には生クリームが乗っている。
「ほら」
伊宮さんはそう言うと、そのまま指を自らの口元に運び……ぺろりとクリームを舐めた。
「あ、ちょ──」
俺がぱくぱくと地に打ち上げられた魚のような口をしていた事で、何か異変を察したのだろう。彼女は「え?」と不思議そうに首を傾げた後に、自分の指先を見る。
そして……ぼっと火が点いた様に、顔をまっかっかに染めていた。
「ご、ごめん! 私ったら、桃ちゃんと食べる時の感覚でいてッ」
「い、いや……その、俺は、全然大歓迎っていうか……」
「えっ!?」
「な、何でもない! 今のは失言だ!」
お互いしどろもどろになって、言葉を詰まらせていく。
話せば話す程お互い墓穴を掘りそうなので、俺達はそこから、無言でむしゃむしゃとクレープを食べたのだった。




