ノア、消える
夜の風が、妙に冷たかった。
結界の再構築から三日。ユウはベッドの中で、眠りにつく直前まで図書室で魔術の本を読んでいた。
「……もっと強い結界魔法、どこかにないかな」
ノアを守るため、リンを守るため、そしてなにより――自分の家を守るために。
小さな白リスの姿のノアは、棚の上で丸くなって静かに寝息を立てていた。
ユウは微笑んで、そのまままぶたを閉じる。
……その数時間後、異変は起こった。
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朝。
目覚めると、ユウの頬をなでていたはずのノアの気配が、消えていた。
「ノア?」
棚を見上げる。そこに、白い毛玉の姿はない。
「ノア、どこ行ったんだ?」
家中を探す。リビングにも、図書室にも、訓練場にも、ノアの姿はない。
「おかしいな……まさか」
ユウは、心臓を握りつぶされるような予感に突き動かされ、地下の魔力炉室へと駆けた。
そこには、見慣れた光景がある――はずだった。
だが今、そこにあったのは。
「……ウソだろ」
魔力炉の中心。家の魔力循環を担うコアが、完全に沈黙していた。
ノアの気配は、そこから完全に途切れていた。
『……ノア、いません。魔力感知、ゼロ』
図書室の端末に宿る自動解析の音声が、無情に告げる。
「……そんな。結界が崩れたわけじゃない。侵入もなかった。なのに……」
直後、扉が勢いよく開く。
「おいユウ! なんか、家の魔力線が死んでるんだけど!? 何やったのよ!」
リンだ。寝起きのまま走ってきたらしく、髪が跳ねていた。
「……ノアが、いない」
「は?」
「今朝起きたら、ノアの気配が消えてて……魔力炉が動いてない。家の心臓が止まってる」
「……!」
リンは黙って、炉心の残滓を見下ろす。
しばらくの沈黙の後、彼女はぽつりとつぶやいた。
「まさか、暴走……したんじゃない?」
「暴走?」
「ノアは、家の魔力を司る精霊。けど、最近は家の成長速度が早すぎた。図書室も訓練場も、どんどん増えてる。あんな短期間で負荷がかかれば……」
「ノアが、自分の魔力を抑えきれなくなって……」
「それで、暴走して自己封印した可能性もある」
「……!」
ユウは拳を握りしめた。
「ノアは……俺のせいだ。俺が、もっと支えてやれたら……」
リンは、珍しく何も言わず、少しだけ視線を落とした。
「今からでも、できることはある」
「……あるのか?」
「図書室。あそこ、ノアが最初に力を注いだ部屋だろ? 記録魔法が残ってるかもしれない」
「……!」
ユウは即座に図書室へ駆け込む。
本棚の奥、開かずの引き出しをこじ開けると、中から一冊の真っ白な本が現れた。
『記録書:ノア』
タイトルを読んだ瞬間、本がふわりと光り、ページが勝手にめくれ始めた。
映し出されたのは――ユウとノアの、これまでの記憶だった。
最初に家に声が響いた日。図書室を作った夜。名前をつけたとき。幻影の自分と戦った日。
そして、ページが最後にたどり着いた時、ノアの声が、静かに響いた。
『――ユウ、ごめんね。もっと、傍にいたかったけど……少し、だけ眠らなきゃいけないみたい』
『でも……ユウが帰ってきてくれるって、信じてるから。待ってるね』
「ノア……!」
ページはそれきり、ぴたりと閉じられた。
声も、光も、何も残らない。
ただ――
「絶対、迎えに行く。どこにいようが、また一緒に帰ろう。ノア」
握りしめた白い本に、ユウは誓った。