精霊、リスになる
朝の光が差し込む図書室で、ユウはぼんやりと天井を見上げていた。
「……最近、いろいろありすぎて実感が追いつかない」
魔力を感じる家、喋る精霊、猫耳大工の住み込み改装……普通の冒険者なら一年分の出来事が、ここ数日で一気に押し寄せてきた気がする。
『……ユウ』
ふわり、と光の粒が揺れて浮かぶ。ノアだ。
『お願いがあるの』
「ん? どうした?」
光球の中で、ノアの声が少しだけ震えていた。
『……このままじゃ、みんなの役に立てない。せめて、もっとちゃんとした姿でいたいの』
「……ちゃんとした姿?」
『今の私は、ただの声と光の集合体。部屋と話すだけならそれでよかった。でも、リンみたいな人と一緒に過ごすには……このままじゃ、何か足りない気がするの』
ノアの声には、はっきりとした悩みがあった。嬉しい変化だった。
「だったら――やってみよう。俺たちで、ノアを育てるんだ」
『……うんっ!』
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図書室で得た知識と、リンの助言を頼りに、ユウはある実験を始めた。
「精霊進化に必要なのは、魔力の安定供給と、依代となる素材……それに、想いの焦点だってさ」
リンが言うには、精霊の具現化はただの魔法じゃない。
「想いの焦点ってのは、お前がその精霊をどう認識してるかってことだ。お前自身が、精霊の姿を強くイメージできて初めて、進化が可能になる」
「俺の想像で……ノアの姿が変わる?」
「そういうこった。だから、まずは……素材探しからだな!」
翌日、ユウとリンは近くの森へ出かけた。
目的は、魔力適応性の高い素材『風纏樹』の枝。精霊の依代にぴったりの、軽くて魔力導通に優れた樹木だ。
「この辺にあるはずなんだけどな……」
「耳をすませろ。風が通る音が笛みたいに鳴るのが、風纏樹の証だ」
リンの言葉通り、森の中を歩いていると、風が吹くたびにヒュウゥ、と澄んだ音が鳴る木を発見した。
「これだ!」
斧で枝を切り取り、さっそく帰宅。ノアの光玉を中心に、簡易的な精霊召喚陣を展開。
「行くぞ……ノア、集中して」
『うん。ユウの声、ちゃんと感じてる……』
部屋の空気が、静かに振動する。
光の玉が小さく明滅し、風纏樹の枝から白い煙のような魔力が立ち上がった。
『ユウ……見てて』
その瞬間――ふわり。
光が溶けるように弾け、小さな影が床に着地した。
耳がぴんと立ち、尻尾がふわふわ揺れる、小動物。
「……リ、リス?」
『えへへ……できたかな?』
ノアはリスのような姿になっていた。白銀色の毛並みに、青く輝く目。小さな前足を揃えて、ちょこんとユウの足元に座る。
「すげぇ……本当に、変化したんだ……」
『これなら、ちゃんと歩けるし、見えるし、触れるよ』
言葉は相変わらず光で伝えられているが、その声はこれまでよりも明瞭だった。
「ふぅん、まあまあじゃん」
背後から声がして振り返ると、リンが腕組みしながらリス・ノアを見下ろしていた。
「その姿、悪くないね。ちょっとムカつくくらい、可愛いし」
『む、ムカつくってなに!?』
「いやー、まさかほんとに進化するとは思わなかったけどさ。これで、アタシの仕事もやりやすくなるね。そっちの感覚とか聞ければ、施工の精度も上がるし」
『う、うん。私、頑張る……!』
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夜。リビングで、ユウはノアの新しい姿を膝の上にのせていた。
ふわふわで、あたたかくて、時折ぴくぴく動く耳がなんとも愛らしい。
『ユウ……』
「うん?」
『名前をありがとう。今の姿で、やっとノアって呼ばれるのが嬉しくなった』
「そうか。俺も……その名前、ちゃんと呼べて嬉しいよ」
しばらくの沈黙のあと、ノアがぽそっとつぶやいた。
『……おかえりって、言ってもいい?』
「……もちろん」
『おかえり、ユウ』
「ただいま、ノア」
小さな家の中に、あたたかな言葉がしみこんでいく。
――それが、この家に初めて生まれた家族の会話だった。