精霊と話してみたら、やたら感情豊かだった
図書室が完成してから数日。俺の生活は、少しだけ変わった。
朝はギルドで仕事を探し、昼は雑用や軽めのクエスト、夜は家に帰って本を読む。
──そして、ノアと話す。
『ユウ、これ読んだ? 逆転の戦術術って本。面白かった!』
「ん、読んだ。あれ、意外と実戦向きだったな。戦闘力が低くても戦えるっていう、ああいうの助かるよ」
『うんうん! でも相手の武器を逆手に取れって章、ちょっとこわいよね……』
「まぁ、読んでるだけならいいけどな。実際やると死にかけるヤツだ、あれ」
リビングの机の上、本が開かれたまま置いてある。ノアの光球は、その本の上をふよふよと漂い、文字に触れるように輝いている。
──最初はほんの囁き程度だったノアの声は、今では明確に会話ができるようになっていた。
「……なあ、ノア。お前、感情……増えたよな?」
『ふふ。だってユウがたくさん話しかけてくれるから。言葉を覚えるたびに、気持ちも分かるようになってくるの』
「成長するって、そういうことか……」
光球の精霊が、言葉で笑う。その声に、なんだか胸が温かくなる。
そして俺は、改めて実感していた。
──この家は、生きている。
ノアが、精霊としてだけじゃなく、家そのものだということも。
今までは、壊れた床板、雨漏りする天井、軋む扉……嫌でも目につく部分ばかりだった。
でも、今は違う。
この家には、俺を迎えてくれる声がある。
──それが、どれだけ救いになるか。
「ノア」
『ん?』
「お前と会えて、ほんとに良かったよ」
素直な気持ちだった。
精霊がいなければ、俺はきっと今も荒んだ気持ちで寝床に潜り、明日の飯代を心配していたと思う。
けれど今は、帰ると迎えてくれる声がある。
『……そっか。えへへ、うれしい』
ノアの光が、少しだけ揺れた。
そのとき、図書室から小さな音がした。
パタン、とページがめくれた音。そして、空気の魔力の流れがわずかに変わる。
「……ノア、今のって?」
『あっ、うん……たぶん、私の内部にある知識の回路が動いたんだと思う』
「お前の内部?」
『うん。この家の知識は、私の一部になってるの。だから……新しい感情を知ったときとか、すごく嬉しいことがあると、こうやって反応するの』
まるで本棚の奥に誰かがいたかのような、不思議な現象だった。
ノアは続ける。
『ねえユウ。もっと話してくれる? 言葉が、あたたかくて、なんだか……心が広がる感じがするの』
「……ああ、もちろんだよ」
俺は椅子に座り、少し照れながら語り始めた。
孤児院での思い出、初めての冒険、怪我して帰ってきた夜、空腹で倒れたこともあった。けれど、家だけは――このボロ家だけは、ずっとそこにあった。
『寂しかったんだね』
ノアの言葉が、優しく胸にしみる。
その声に、なぜか涙が出そうになって、俺はぐっと唇を噛んだ。
「……でも、もう寂しくない。ノアがいてくれるから」
『うん。私も、ここにいる。ユウのために、ここに生まれたんだもん』
小さな光が、俺の肩にそっと触れる。
暖かくて、柔らかくて安心する光。
精霊ノアは、確かに生きている。そして、俺と一緒に育っている。
その夜、俺は初めて図書室の中で眠った。
開きかけの本を枕にして。
ノアの光が、俺の頭の上で揺れていた。