6.間男になりまして
目を開けると、白い天井がまず映り込んできた。どこか考え、鼻につく消毒液の匂いから医療室だと判断ができた。誰が自分をここに連れてきてくれたんだろう? と思った時、カーテンの向こう側からシュウの声が聞こえてきた。
(シュウだったのか……)
感謝を述べようとカーテンを少しだけ開けると、すぐ傍にシルベリアが立っていた。しかし、強く握りしめられている拳を見てから、エディスはそろそろと目線を上向ける。
「軍を辞めろって言ってんだよ」
「なにを今更。辞められるわけないだろ」
「なんでだ!」
その横顔の厳しさに驚いて、言葉が喉の奥に引っ込んでいってしまう。シルベリアも、向かい合っているシュウも、エディスが起きたことに気が付いていないようだった。お互いだけに夢中になって、それ以外のものが目に入らないようだ。
「お前は俺についてきただけで、俺とは違う。まだ引き返せるだろ!」
子どもが駄々をこねるような様子のシュウは、シルベリアに無理だと断られると「なんでだよ……」と呟いて、俯く。下唇を噛んだシュウは、頭を振るう。泣きそうだとエディスは思った。
「……一人で引き返すなんて、無理だ」
「子どもみたいなこと言わねーで、戻ってくれって。置いていけよ」
「今置いてったら、後で取りに帰ってこれないだろ」
叫ぶでもなく、嘆くでもなく。淡々と会話をする二人から目を離し、カーテンを静かに閉める。ベッドに横たわって、天井を見つめた。聞いていていいんだろうかと耳を両手で塞ぐが、
「いつもお前の傍にいて、お前を守っていたいんだ」
「そんなの、軍にいなくてもできるだろ。つか、いなくなる癖に」
「できない。お前を一人ここに置いて、別の道からなんてことは俺のプライドが許せないんだ。今逃げたら負けだと思う」
いいか、シュウ。とシルベリアがカーテンの傍から離れていくのが、空気の揺れで感じ取れた。
「胸を張って、お前の隣にいさせろ」
エディスが顔を横向けると、窓の四角い枠の中に雲一つない青空が広がっているのが見えた。どこまでも澄んでいる夏の空は、どこかシュウを想起させるものがある。
「なんでお前はそこまで」
馬鹿、分かるだろ。エディスが心中で思ったことと、シルベリアの返しは全く同じ言葉だった。
「お前のことが好きだからだ! 世界で、一番……誰よりも」
言い捨てて、シルベリアは部屋から出ていってしまった。呆然としているシュウを置いて、だ。恐らくシルベリアにとっても伝えるつもりがなかった言葉だったと予測ができる。そして、言ってしまったものの返答を聞くのが怖くなったんだろう。
「嘘だろ……俺ら、何年親友やってると思ってんだ」
愕然としたシュウの呟きが聞こえ、エディスの胸が跳ねる。
(どうしよう、聞いてしまったーー)
大変なことになった。果たして二人は自分が起きていたのを本当に気が付いていないのか。鼓動が早まり、エディスは服の胸元を握る。
「今のどう思う、エディス」
だが、急に話しかけられて飛び起きる。「はっ、はあ⁉︎」と大声が出て、エディスはカーテンを開けた。
「なんで起きてんの知ってんだよ!」
訊ねると、シュウは「カーテン動かしてたの見えてたんだよ」と言いながら中に入ってきて、ベッドに腰掛けてくる。
「お前さっきの聞こえてただろ。ならアドバイスの一つくらいーー」
「できると思うか? キス一つで電話かけるような奴だぞ」
恋愛初心者に子どもがかけ合わさってしまった状態だ。エディスに訊くくらいなら素直にシルベリアに教えを請う方がまだマシだろう。二人して黙り込んでしまうが、無言が耐えられなくなってきたエディスが腕に触ると、シュウは大袈裟に悲鳴を上げて飛び退いた。
「……ビビりすぎだろ」
俺しかいないってと言うと、シュウは眉間に深い皺を作って「そうだな」と悔しげに腕を擦る。
「なー、シルベリアのことどう思ってんだ?」
「普通に好きだよ。友だち兼、幼なじみとしてな」
恋愛対象として見たことはねえな……と頭を抱えるシュウに、「シルベリアって男も好きなのか?」と訊くと肯定された。
「アイツ、女でも男でも告白されたらなんでもいいって奴だから」
今回もふざけて言ってんのかと疑い始めたシュウに、今までの彼の言動を見てきたエディスは「そんなことはないと思う」と断言する。大事なのはシュウの気持ちだと言うと、ますます背を丸めるシュウになにか助言できることはないかと探す。
「あ! そうだ、キスしてみたら分かったり? して、な」
冗談で言ってみたら、シュウに遊んでんだろと睨まれる。「そんなことないって」と返すと、ならお前で試させろと近寄ってきたのでベッドの上で逃げ惑う。壁際に追い込まれ、エディスはシュウの額と肩を押さえてギャーーッと叫んだ。シュウも半笑いだったので、それこそお遊びのようなものだ。
ガラッと大きな音を立てて部屋の扉が開き、シルベリアがどうしたと叫びながら入ってきた。そして、乱れた髪のまま二人を見つけて「お前らなにしてんの」と低く声を落とす。
「あ、いや。これはお試しってやつで」
シュウは冗談だってと手を離したが、エディスはこれをシルベリアが冗談にしてくれないであろうことを悟っていた。
「へえ。試す、ねえ……」
ひくりとシルベリアの口端が動く。あ、怒ったとエディスが珍しいこともあるものだと見つめていると、段々その苛烈な美しさがある顔が近づいてきてーー気が付いた時にはベッドに押し倒されていた。掴まれた腕は動かせず、シルベリアの長い髪に囚われたような気分になってくる。怒りに燃える青い目に釘付けになり、動けない。
「ーーやめろ!」
横から押され、ベッドの上にシルベリアがひっくり返る。エディスが体を起こすと、シュウが間に入ってきた。むんずと掴んだ枕でシュウがシルベリアを叩く。
「いたっ! おい、痛ぇって。そんな何回も叩くな!」
「シュ、シュウ、やりすぎだって……」
浮気現場を捉えられた間男のような気分になりながらもシュウを諌めると、ようやく止まる。だが、俯いて黙り込んでしまう。
誰の視線も合わない、気まずい沈黙が続いた。声を掛けようと手を伸ばしかけた時、息を荒らげていたシュウが顔を上げて「もう知らねえ!」と叫んで出ていってしまった。
残されたエディスは、ベッドに倒れたままのシルベリアを見下ろし「行っちゃったぞ」と扉の方を指差すしかなかった。




