4.親友のコーヒーで人生に乾杯!
「おい、開けろ!」
ガンガンと硬い拳で強くドアをノックして、恫喝するように低く声を出すビスナルクに、エディスはほんの少し眉を顰めさせた。
「後数時間待ってくださいねー、今開けますから」
だが、返ってきたのはひどく間延びした、ぼんやりと味気の無い声だ。エディスは内容に乾いた笑い声を漏らしーー目を見開いて顔を上げる。
「開けろ。扉ぶっ壊すぞ」
「ええー、そんなことしたら訴えますよー不法侵入で訴えちゃいますよー」
閉ざされたままのドア。焦げ茶色の木製のそれを見つめたまま、一歩踏み出す。
向こう側から聞こえてくるケラケラと実に楽しげな笑い声に、エディスは思わず言葉を口から零した。
「ジェネアス……?」
エディスが発した言葉に、隣に立ってドアを叩いていたビスナルクが首を動かす。見下ろしてきたビスナルクが「なんでお前、コイツの名前知ってんだ」と言うのに構わず、ドアに近寄った。
「ジェネアス、俺だ! エディスだ!」
割って入られる形になったビスナルクは後ろに下がり、エディスがドアを強く叩く姿を首を傾げながら見る。
「エディス? ダレっすか、それー」
「奴隷市場で俺に水をかけた奴だろ、お前! あんだけ盛大にかけといて忘れたとか言うなよ!?」
普通は忘れているはずだ。
だけど、コイツなら。奴隷にするために人間を育てているような場所で生きていたコイツなら、覚えているはずだ。そう確信したエディスはもう一度名前を呼ぶ。そうしたら、ドアが 開いて中から棒のように痩せた少年が飛び出してきた。
「エディス!」
「う、うわ! ちょ、重っ」
がばっと腕を開いて勢いよく抱き着いてきたのを受け止めきれなかったエディスはひっくり返ってしまう。
「……大丈夫か」
煙草の煙を吐き出したビスナルクが、エディスの右腕を掴んで起こすのを助けようとしてくれる。だが、ぐりぐりと胸元に顔を押し付けるジェネアスに邪魔され、起き上がることができなかった。
「エディス、エディス。良かったですよー。アンタもちゃんと生きてたんスね」
ぼろぼろと大粒の涙を流しながらも笑うジェネアスに、エディスは大げさなまでに首を振り、口を開けて笑った。
「ああ、俺もちゃんと生きてたぞ!」
幼い頃にした約束を初めて果たせたことに、心から喜びを感じて。
「エディス、コイツはちょっと前まで西で研究をしていたんだ」
ようやく落ち着き、招き入れられた部屋を歩いて見て回る。
遮光カーテンで閉め切られた部屋の中は暗い。仄明るく点けられた室内灯と、ところどころに置かれた間接照明だけが照らす。目が悪くならないのか? と感じたが、ジェネアスは眼鏡を付けていないので本人としては丁度いい明るさなのかもしれない。
「西ってことは……能力者の研究か?」
開発部はより多くの研究者を集めて向上を図る為、地方に専門の部署を置いている。
中央は機械系統に強く、北は魔法、東は武器、南は防具らしい。
だが、その中でもローラ元帥のパートナーであるトリエランディア大将の地元である西は能力者研究が栄えているのは有名な話だ。
「そうッス。でも僕は個人の研究所にいたんで、入隊したのは最近ッスね」
ガリガリとコーヒーミルで豆を削りながら、ジェネアスが答える。
「支援者は一体誰だったんだ?」
ブラッド家かと訊くと、ジェネアスはえぇ……と眉をひん曲げて口端を横に伸ばして歯を見せた。
「あんな衰退の見えた家の支援なんか受けてないッスよ!」
食堂で見たのと同じ景色が目の前に広がってくる予感がして、そうかと手の指を交差させる。俯きがちになったエディスの耳に「……ストロベリィみたいになりたくねッスよ、僕」と悔しさが滲んだ声が入ってきて、顔を上げた。
「ストロベリィ? って、友だちか?」
問うと、エディスから見て斜に構えた立ち方をしていたジェネアスが苦い笑みを浮かべる。
「好きな子ッス」
なんとはなしに紡がれた言葉にこちらが照れ臭くなってしまい、横髪を耳に掛けながら生返事をしてしまう。
「ストロベリィはブラッド家の施設で能力者の研究をしてたんスよ。でも、ローラ様と密接なやり取りしてたんで……信用をなくしちまったんスかねえ」
酷い労働環境にいたみたいで、最後は施設ごと焼かれたッス。
とんでもない言葉に目をうろつかせてしまう。それまで大人しく話を聞いていたビスナルクが警告するように「おい!」と投げかけるが、ジェネアスは笑顔のままだ。
「アイツの研究結果、見せてもらったことがあるんスけど、凄かったんスよ」
やけに崩れない笑顔に、エディスは(ああ、コイツ怒ってるんだ)と思った。好きな少女を殺されたことへの怒りと彼女の生き様と研究への尊敬。
奴隷育ちはなにがあっても強かさに生きていかなければならない。でなければ虐げられ、死ぬしかないからだ。口でなんと言おうとブラッド家に敵うことはない。
「えーっと、僕の支援者のことだったッスよね。僕の支援者はとりさんッス」
長いアイボリーの髪を掻き乱したジェネアスにそう言われるも、誰のことを表しているのか分からず首を傾げる。そんな様子に腕組みをしたビスナルクがははっと笑った。馬鹿にされたなと半眼で見やると、彼女は「すまんすまん」と申し訳なさそうに手を顔の前まで上げる。
「とりさんってのはな、トリエランディア・グラッセヨ大将のことだ」
「ああ! そっか、なるほど」
大将トリエランディア・グラッセヨ。
智にも武にも優れた人だ。普段だけでなく戦場ででも穏やかな様子を崩さず、剣をまるで自分の手足のように自在に操り、まるで舞のように戦うという。
エディスも彼の戦い方が見たくて演習に参加したくて毎回希望を出しているのだが、抽選倍率が高すぎて当たったことが一度もない。遠くから見た時、柔らかな笑顔が印象に残った。定着したような笑顔がローラ様に似ていて、二人がパートナーだということをより強く感じられたからだ。
「能力者たちに必要になる子だから、なにがあっても頼むと言われていたんだがな……ストロベリィだけは俺もトリエランディアも間に合わなかったんだ」
「それは僕もッスよ」
言わない約束じゃないッスかとジェネアスはうやむやにしようとする。なのに、ビスナルクが彼の肩を抱いて引き寄せて「お前だけでも助けられて良かったよ、ジェネアス」と言うので、彼の目が潤むのが見えた。
エディスがいることを意識しているのか拳で目元を擦って、「嬉しくないッスよお、姐さん」と歯を見せて笑う。
「そう言うな。ストロベリィはこれでいいと言っていた」
まだ続けるビスナルクを拒絶するようにジェネアスはそうッスねと言い、それきり押し黙ってしまった。ビスナルクは鼻を鳴らして彼から体を離す。彼女に呼びかけられたエディスは応じる。
「エディスはまだそんなにたくさん能力者に会ったことはないんだよな」
肯すると、ジェネアスはは~と声を長く出しながら顎に手を当てた。
「だからまだ首を捻りたくなることはないんスね」
人を見て首を捻りたくなるってどういうことだと言いたくなったが、「なんのことだ」と答えるだけにする。実際、軍に所属していても能力者を見る機会などそうない。それに能力者は化け物ではないから外見は人と変わらず、見た目だけで分かるはずがないのだ。
「能力者は外見が変わらない」
「それくらい知ってる」
「あ~そうじゃなくて。能力が発生すると体の成長が強制的に止まるんスよ。原因はサッパリ分かってないんスけどね~」
厄介ッスよねと笑い声を立てるジェネアスに、エディスはげえっと両手を見る。
「じゃあ、もしかして!」
慌てて顔を見ると、二人は顔を見合わせて首を縦に振った。
「お前も成長しない」
言われたエディスはうわあ……と顔を手で覆う。最悪だと零すと、背をバンバンと乱雑に叩かれる。見ていなくても分かる、ビスナルクの仕業だ。
「まあまあ、そんな落ち込まなくても。だから僕のとこに連れて来られたんでしょうし?」
涙が滲んだ目で見たジェネアスは任せてくださいッスよ! と立てた親指で自分を差し示し、ウインクをする。
「能力者を成長させる薬の出番ってことッスよね。姐さん!」
「いや、さっきお前原因分からないって言っただろ」
不安げにするエディスに対し、ジェネアスは突き上げる左腕を右手首で受け止める。自信満々といった様子だ。
「原因は分からなかったんスけど、なんか出来たんスよね! 天才なんで!」
逞しいが更に不安を掻き立てられ、エディスの口の片端がひくりと動く。
「だから、ちょっとお茶でも飲んでくつろいでるんですよ」
椅子に腰かけて黙々とコーヒーミルで豆を削り始めたジェネアスの猫背を呆然と見つめる。指を差してビスナルクを見ると安心しろと言いたげに頷かれてしまう。
「はいはい、サクッと出来たっスよ~」
すっとジェネアスが取り出してきたものを見、エディスは口元に笑みを浮かべる。
「どう見てもコーヒーなんだけど」
ビーカーに入っている液体。見た目も匂いもコーヒーそのものだ。
「はいッス、コーヒーに成分溶かしてるんで! これなら見つかって怪しまれないッスよね」
飲まれても能力者以外には作用しないんで安心してくださいッスと言われるが、エディスは口の端を引き攣らせて固まってしまっていた。
「……あ、もしかして。エディス、コーヒーが飲めないんスか」
「いやっ! まだちゃんと飲んだことないだけだ!」
手を前に突き出してそう言うと、「ちゃんとって」とジェネアスが首を傾げる。
「ミルクと砂糖入れてってことだろ」
ビスナルクがそう言うと、ジェネアスはあれれと手を口元に持っていく。
「飲める!」
寄越せとジェネアスから奪い取ると、ジェネアスが明るい笑い声を立てて頭の後ろで手を組む。
「冷ましてるんで一気にど~ぞ」
黒々とした液体を見下ろし、ごくりと唾を飲みこむ。息を止めて一息で飲み干したエディスは、息を吐く。空になったビーカーに視線を落として「……美味い?」と呟いた。
「そりゃ、南のいい豆使ってるッスからね」
はいコレと紙袋を見せられたエディスは「ありがとう」と言って受け取る。袋を軽く振ってから高く掲げて見た。
「成長を促す効果があるッスよ。ただ、じわじわとしか効かないんで注意してくださいッス」
これがアンタと別れてから俺がやってきたことの結晶の一つッス! とにこやかな笑顔で親指を立てる。そして、今度はエディスが逆にジェネアスに抱きつく。
「わっととっ!」
慌てて抱きとめたジェネアスは、エディスの髪を擦り切れた手で撫でる。仕方ないなあと破顔した彼もまた目に涙を浮かべた。
「アンタは何年経っても泣き虫のままなんスね……」




