3.自分じゃない誰か
「バスティスグランの長兄に疑われてる? なんでそんなことになるんだオメーは」
ヅンと指で押された額に手を当てたエディスは「だってよぉ」と漏らした。
「なんか胡散臭いよなあ、アイツ」
「あれはただの王族マニアだ。つか、近衛部なんてのはそういう奴らしかいねえぞ」
椅子に逆に座っているエディスは背もたれに顎をのせて口を尖らせる。話をしましょう仲良くしましょうと両手を広げてきたレイヴェンに気圧され、思わず逃げてきてしまったのだ。
「俺の時みてえに話してやりゃあいいじゃねえか、王族の血が入ってるって」
跡つくぞと言われるが、なんとなく怠くて顔を持ち上げる気がしない。目だけで追うビスナルクは呆れてはいるもののエディスを嗤うつもりはないようだ。
「だって、そりゃあ……ビスナルクは初見で当ててきたから」
「そんだけ似てればな」
俺はお前の父親付きだったんだぞと眉を下げる彼女に、エディスは頬に手を当てる。
そう、それまで会ったことがある人には”母親”に似てるとばかり言われていたが、ビスナルクはエディスの顔を覗きこんで一言「エドワードか?」と訊ねてきたのだ。呆然とするエディスを抱きしめて、声を上げて泣いて。
初めて母だと思われる女の名前ではなく、おそらく、多分本名を呼ばれた。その事実が体に広がっていって、痺れた。
なにを言ってもどうにもならない感情が自分の中に溜まっていたのを露わにされて、それ以来は本名を思い出す度に胸を掻きむしくなるようになった。
「まあ、そんな簡単に打ち明けられないよな」
少しずつでいいだろと穏やかに紡ぐビスナルクを上目がちに見て、視線を外す。
彼女が自分の母であれば良かったのに。そんな幻想を口にすることができず、代わりに別のことを口から零す。
「親父はブラッド家に気を付けろとか言ってたけど、シュウも駄目なのか?」
パートナー、唯一無二の絆。悪い奴じゃない――多分。仲良くなれればいいな、そう思って口にしたことだったのに返事がなくてエディスは上体を上げる。
狼狽の色濃く、ビスナルクは目を見開いてこちらを見ていた。
「……よくなかったのか」
もう一度訊ねると、ビスナルクは我に返ったように体を跳ねさせる。唇を戦慄かせてから、否定した。
「危険だけどな、アイツ自体はそこまでじゃないさ」
「シルベリア?」
「違う。ソイツはまだ理想と現実の区別がついている。問題はアイツについている女だ」
女? と首を傾ぐ。意識的か無意識的か、シルベリアは随分とシュウを守ろうとしていた。依存しているともいえる。あの状態で軽度なら、それ以上だとどうなるのだろう。
「お前の上司のパートナーだ」
つい先日顔合わせをした上司を思い出す。ミシア・ルイース。芝のように短い髪に顎髭のオッサンで、悪だくみが好きそうな顔をしていた。だけど、その傍に女なんていなかった。
「ミシアの娘なんだが、爆破の能力を持っていてな」
「爆破って……」
ビスナルクの唇がぎゅっと引き結ばれる。彼女の両手が持ち上がって首に掛けられるのを見て、叫んで手を伸ばす。手を掴んで「言わなくていい!!」と離すとビスナルクは床に座り込んだ。
「この通りだ」
唇に笑みを浮かべる彼女の背を、ぎこちない手つきで撫でる。ビスナルクがこうなったのは今だけじゃない。歯を噛みしめて拳で床を叩く。
惑わせの魔法を掛けられている。それも何年も前からだろう。
誰になんの理由で掛けられたのか、そう訊くだけで同じようなことが起こる。そう確信して、エディスはなにもできないとビスナルクを抱きしめた。
惑わせの魔法を解く条件が自分には備わっていない。シュウの呪いも、ビスナルクのこれも自分ではどうしようもなかった。魔法を学んだからこそ歯がゆい。
「油断はしない。全員敵くらいの気持ちでいく」
「おいおい、俺くらいは信じてくれよ」
信じてるさとエディスはビスナルクを抱く腕にさらに力を入れた。
「それに、バスティスグランも。アイツらはトリエランディアの教え子だからな」
元帥のパートナーで俺の友だちだぞと背を叩かれ、腕を緩める。「妹がこっちに観光に来るらしいんだ」と見つめられ、エディスはおざなりに返事をした。
「イケメン好きだからな、優しくしてやってくれ」
「俺は女の顔だろ」
シルベリアに頼んだ方がいいだろと憮然として言うと、ビスナルクはそんなことないと笑う。
「お前は父さんにも似てる。格好良いぞ」
自信持てと言われるも、内心面白くない。結局お前だって俺を通して見てるんじゃないかと言ってやりたくなる。
「んで、なんでシュウと知り合ったんだ」
複雑な心境の中そう訊かれ、エディスは腕を組んで白状するか悩み――結果、口にした。即座、ビスナルクの咆哮が耳をつんざくことも知らずに。




