2.アーネスト・ラブサンド
「いや~~楽しかったです!」
高揚した様子の館長や学芸員にこぞって握手を求められ、エディスはこちらこそと全員の手を両手で握る。中には感極まって抱きついてくる者もいたが、すぐにレウに引っ剥がされていた。
手みやげにこれまでの図録と画集とーー……とエディスが持ちきれない程に渡してこようとするので、それもレウが王宮に配達してくれと断る。まだ話し足りないとばかりに昼食に誘ってこられ、遠慮しようとすると着いてこようとするのだ。
「ど、どうしたらいいんだ。車まで手配されたぞ」
「断ってくるから、ここで待ってろ」
変な奴が来たら叫べと言われ、エントランスのベンチに腰掛ける。一般開放された美術館に入っていく人たちの視線を受け、エディスは気まずげに視線を外す。服装も髪や目の色も変えているので、自分だと分かる者などいないだろうと決め込んで、鞄の中から文庫本を取り出した。
フェリオネルがきっと夢中になると思いますと言って手渡してきたミステリー小説で、すぐに文字を追うのに真剣になってしまう。注目を集めていることになど全く気が付かずに読みふけっていると、腕を掴まれた。
見上げて「あ、レウ」と言って立ち上がろうとする。正面に立った彼の背後には大勢の人がいて、エディスはなんで? と困惑した。企画展の会期には余裕があるし、そもそもここはエントランスだ。
「すごい人だな?」
「アンタがこんな人目のつくとこで本を読んでるからだろ」
顔とか纏ってる雰囲気とかで目立つんだよと言われ、エディスはごめんと言いながらレウの影に隠れるようにする。
「気をつける」
「そうしてくれ……展示物だと勘違いされてたからな」
触ってくる奴がいなくて良かったと安堵しているレウに肩を抱かれ、昼飯にしようと連れ出される。煉瓦で舗装された街を歩きながら、エディスはもしかしてと考えた。
(俺、迷惑掛けてないか?)
展示物を見て回っている最中、自分は楽しかったがレウはどうだっただろうか。最初はエディスの斜め後ろを歩いていたが、いつの間にか館長や学芸員に引き離されてしまってレウの様子を見ていない。
話しかけようとして見上げると、猫のように目を細めて口の端の上げて笑っていた。レウはこちらの視線に気が付くと「楽しかったか」と訊いてくる。
「た、楽しかった!」
二つ目の展示場に置かれてたクラリス・メイスの魔法書が絶版になっていて読んだことがなかったんだけどなと話し始めると、レウはトリドット家でも同じことを言ってたぞと笑う。
「古代紋章術の図式見てた時に考えこんでたけど、なんかいい案出たのか?」
「あ、それなんだけどな」
精神汚染魔法の解除に役立つと思うんだと説明をしていると、レウはまた難しいことをと言いながらもひとまず聞いてくれる。その後でここは無理があると指摘をし、二人で試行錯誤を繰り返した。
「あ、この店だ」
入れと言って近づいていってドアを開けるレウを追って入っていく。中に入ってから、レウにしては珍しい店選びだなと見渡す。
天井から色とりどりなドライフラワーが吊されていて、壁面には絵画が飾られている。丸い木製のテーブルと椅子がナチュラルな可愛さを引き立てていた。店内には女性ばかりで、思わずレウを伺うと「ここ、サラダプレートが美味いって聞いたんで」とサラリと返して手を引かれる。
店員に予約していることを伝えると奥まったスペースへと案内された。観葉植物などが仕切になっていて、他の客からもあまり見えない所だ。ソファー席の方を譲られたエディスはレウの荷物を預かると隣に置く。
「なにがいい」
メニュー表を真ん中に横置きして、体を斜めにして見る。これとこれで悩むなと言いながらレウを伺う。少し長い前髪が落ちてきていて、つい手を伸ばして掻き上げると切れ長の目がこちらを見る。
「……なんですか」
「あ、髪……邪魔そうだなって」
見慣れているはずの顔なのに、照明のせいか私服のせいか普段とはどこか違って見えるーー気がする。
「こ、こっちにしようかな! サーモンの」
「まあアンタ魚好きだしな、そっち選ぶと思った」
片手を上げて店員を呼び、注文をするレウの顔ばかり見てしまう。誰に教えてもらったとか、制服が可愛いと言っていたとか、耳から入ってくる情報が頭からぽろぽろ雫れていく。
「逆上せたか? 顔赤いぞ」
「え! そ、そんなことないと思うぞ!?」
暑かったからかなと言って手で扇ぐと、飲めよと水のグラスを渡される。こくこくと飲んだ後、額に手を押し当てられた。
「熱はないな。……なんかアンタ、今日様子おかしくないか」
エドワード様からなんか吹き込まれたのかと言われ、膝に両手を置いて勢いよく首を振る。
「デートとは言ってるが、そんなに緊張しなくてもいいだろ。俺だぞ」
何年の付き合いになると思ってんだと言われ、エディスはでもと口ごもった。
「ジェネアスとは遊ぶけど、レウと二人きりってのは初めてだし」
「それは……そうか。いやでも、屋台とかは行くことあったぞ」
「一人で出歩くなってついてきただけじゃん!」
いつも行く所だから大丈夫だって言ってんのにとエディスが口を尖らせたところで店員が料理を運んできた。テーブルに並んだ料理に、レウがフォークを手渡しながら「文句は食ってから聞く」と言う。
「初めてのお使い扱いしないなら別にいい」
受け取ってたエディスはまずはと焼かれたズッキーニにフォークを突き刺した。ベビーリーフとヤングコーン、プチトマトとクルミと夏野菜がふんだんに使われている。
ドレッシングではなくバルサミコ酢とオリーブ油、塩が振りかけられているのもエディスにとっては嬉しいことだった。なにより、どの野菜もパリパリ、ジュワッと新鮮さで瑞々しい。
付け合わせのサーモンソテーもレモンバターソースが使われていて、じめっとした空気が吹き飛んでいく。
セットでついてきたキューカンバーサンドをかじり、枝豆の冷製スープを一口飲んだところで、レウに見られていたことに気が付いた。
フォークもスプーンも置いたままで食べる気がなさそうなレウは、まるで食べ盛りの弟でも見るかのような優しげな笑みを浮かべている。恥ずかしさが先だったエディスは「……なんだよ」と眉を寄せた。
「口に合ったか」
「そんだけ見てりゃ分かるだろ。美味いよ」
常日頃あれも食えこれをやる、それだけかと食事内容に不満を突きつけてくる男だ。それはもうよく観察しているのだから、食の好みくらい把握している。
「野菜が新鮮なのがいい。食堂は時間が合わなくて萎びてることもあるからな」
「それはアンタがちゃんと規定の時間に食えばいいだけの話だ」
「お前だって不規則なくせに」
机仕事が増えてきた自分と違ってレウは未だに体が資本の体力仕事だ。だから自分に合わさず好きな時に食べてほしいのに、彼は必ず時間を合わせてくれている。
「ありがとう、レウ」
今日も、いつも。伝えた言葉を受け、レウは片眉をひょいと上げ「どうも」と笑った。




