6.暗闇のネズミ
「助かったよ、エド」
「ううん! 兄さんの為だもん。なんだってするよ」
顎に握った手を当て、大きな目で見つめてくるエドワードにふっと笑みを零す。隣に座っているリスティーが、公爵然としていない彼の普段とのギャップに困惑して視線をうろつかせる。
馬車まで引いてきてくれたエドワードの好意に乗っかったまではよかった。だが、ギールまで話があると乗り込んできてしまって、そこで席順に揉めに揉めた。
ギールはエディスに用があるのだからと隣か正面を譲らなかったし、レウは誰がお前と話させるかとエディスの隣を譲らなかった。結局、リスティーがギールとエドワードの間に座り、その正面にエディスとレウが座ることになった。
ようやく一息つけるとエディスは隣のレウの肩を借りることにする。クッションがきいた座面は、流石は公爵家所有の馬車といったところか。
「疲れただろ」
大丈夫かと頬を指で撫でてきながら、魔力を発したレウに目を閉じていたエディスはん? と疑問を抱く。慌てて目を開けて体を起こすと、目を丸くしたギールの周りにだけシールドが張られている。リスティーも驚いたのか、隣のエドワードの肩に両手を当てて距離を取っていた。
レウを見ると「当然だろ」と涼し気な顔をしているので、呆れることすらできない。
「あー……まあ、仕方ないか」
恐る恐るリスティーが体勢を戻そうとすると、レウが「内側からの攻撃だけ跳ね返すようにしてる。お前がぶつかっても平気だ」と説明する。
「出す前に言ってよ。それで、あなた一体誰なの?」
どこの所属と訊ねるリスティーに、エドワードが「エディス様と同じ能力を持っているのか」と続けた。
「ただの一般市民だよ」
「コイツの身元についてはミシアが保証してくれるよ」
アイツの寝室で写真を見たことがあると言うと、ギールは写真? と首を傾げる。エディスがどんな人が映っていたか説明すると、彼はああと皮肉気に口の片端を上げた。
「そういえば撮ったんだったね」
懐かしいと感慨にふける様子はない。とうに割り切っているというところだろうか。
「君とジェネアスくんみたいなものだよ、彼とはね」
「あんま嗅ぎまわってっとバレるぞ」
「ふふ、久しぶりにトリエランディアから手紙を貰ったよ」
怒られてんじゃねえかとエディスは乾いた笑いを漏らす。その手を握ろうと伸ばしてきたギールがシールドに弾かれ、エディスは目を丸くした。
低く声を落としたレウがエディスの肩を抱き、手を取る。眉間に深い皺を作って警戒している彼に守られているのが胸にくすぐったく、俯く。
「耳にアクセサリー用の穴を開けただけだよ。数センチくらいなのに大袈裟だな」
「俺が危害を与えると思う?」というギールの主張に、エディスは監禁しようとしてただろ……と思ってレウの手を握り返す。ちらりと見下ろしたレウは、「それだけじゃないだろ」と首を振る。
それに対してギールは信用がないんだと手の平を見せて残念がった。軽薄とは違う、かといって誠実でもない不思議な男だ。
窓の外に向けられている金の目は、少しも愛おしくも懐かしくもなさそうだ。友人や忠誠を誓った相手がいるはずの王宮が近づいてきているというのに。
柔らかな春の花々が咲く庭の先に、白亜の宮殿が見えてきた。ところどころに金の意匠が施され、愛らしい印象を受ける。まさかここで暮らすことになるとは思わなかったな、とエディスはなんとはなしに見つめていた。
「……俺を諜報員として雇わない?」
王宮の門を潜り抜けた時、唐突にギールがそう言った。
先延ばしにできないタイミングでの誘いに、エディスはやっぱ嫌味な奴だなと目を眇める。扉を開けられそうになるが、話が終わってないのでとエドワードが外で待機していた御者に声を掛ける。重ねて声を掛けるまでは離れているようにと言うと、促すように体の向きをこちらに戻した。
「監視能力は高いんじゃない? だって南にも北にも、エディスが行く所ならどこでも着いてきてたんでしょ」
「惑わせの魔法に掛かったふりは続けているのか」
「一応ね。でないとあの女の懐に潜り込めないじゃない」
反吐が出そうになるけどねと嘲笑い、ギールはふうと息を吐く。
「あの女の為に自分からなにかをしようと思ったことはないけどね、君なら別だよ」
なんでもしてあげると、昏い目を向けられる。君が幸せになるためならと握ってこようとする手は弾かれると分かっていて尚、緊張して唾を飲みこんだ。
「必要でしょ? 情報提供元」
沈着と組んだ足に握り合わせた手をのせ、ギールは笑う。なにが必要で、どう困っているのか。痛いところを突いてこられているとエディスはどうしたものかと戸惑う。
「エディス様に傷を負わせるような奴が信用できるか」
だが真っ向から反発したレウに、視線が集まる。肩を抱かれ、もう片側の手を握られたエディスはじんわりと体温が高くなるのを感じた。触れあったところから体温を分け与えられたようだ。
「この方を主として、跪けない奴に任せることはなにもねえよ」
テメエの能力や身分を開示されても興味ひとつ感じないと一蹴したレウに、面食らったようにリスティーとエドワードは顔を見合わせる。
そして「それはホントにそうね」と同意してしまうので、今度はギールが狐につままれたような顔になった。
「ロクな諜報員もいないくせに」と嘲笑うギールに、足を組んだエディスは「一時契約だ」と冷静に言い返す。
「そうだな、契約主は俺じゃなくて……レウにしようか」
「君、俺についてこいって言ったよね?」
見放すのかと鋭さを帯びた目に、エディスは冗談だと笑った。
「死にかけのところを助けてくれたことには感謝している。だけど、それとこれとは別にさせてもらっていいか」
控えめに、だが確実に線を引いていくエディスを、ギールはあやと瞬きをして見つめてきた。
「俺を尊重しない奴を侍る気はない。これからは言葉を選ぶんだな」
手を返して息を吐いたエディスに、ギールは僅かに眉を寄せて「気を付けるよ」と目を閉じる。
「話は終わりだ。用があれば俺から連絡する」
月の飾りがついたピアスを見せて「お前からは勝手に使うな」と睨むと、ギールは肩を竦めて苦笑いを浮かべた。監視されていたことに気が付いたのに今更なにをというところなんだろう。
「俺はもう疲れたから寝る」
そう言ってドアを開けようとすると、ノブを握った手が覆われる。重ねられた手を辿ると、彼は首を振った。なんで? と疑問を口にする前に、レウは自分の側にあるドアを開けて飛び降りる。
「台が用意されてないからじゃない?」
ギールを睨みながら、困惑するエディスとの間にリスティーが入ってドアまで促した。地面に跪いているレウを見て、エディスはうっと躊躇う。お前の足を踏み台替わりにしろと? と、引き気味のエディスがいつまで経っても降りようとしないのを見て取ったレウは立ち上がった。
手を握られてレウの方に引かれると、上体が馬車の外に出る。そこを片腕で拾ったレウは「じゃあな、フレイアム。悪いけどソイツの始末は頼んだ」と平然と言い放った。
「はいはい、任されたわよ」
エディス! と呼ばれ、レウの肩に手をついて落ち着ける体制を整えてから彼女を仰ぎ見る。
「ちゃんと休むのよ。それと、誕生日おめでとう!」
親指を立てて”頑張りなさい”という目を向けられ、エディスは頬を染めた。こんなボロボロ、擦り切れた状態で果たして色っぽい雰囲気に持ち込めるだろうかと焦る。
「フェリオネルとコイツはあたしがどうにかするから」
ドゥルースが来てもね、と頼もしいことを言って手を振る友人に、エディスはやめろ大声で言うなレウにバレるだろと怒鳴り返しそうになった。




