4.闇を掬う手のひら
眼前の光景に、これはなんだと言葉にならない声が上がる。
血も繋がらない弟のカリスマ性には気が付いていた。だが、こんなにも王に代々継承される”姿を目にした者に好意を抱かせる魔法”の効力が強いとは。
これでは、愛する母の望む結果にならない。
まるで光と影だ。自分は、彼という光によって作られた影のようではないか――
「貴方がどう繕うと、もう王太子は決まっているのよ!」
「おや、ですが彼はエドワード・ティーンスではないようですが?」
「この子は私の息子よ! この私、キシウ・ティーンスとブラッド家当主のシュトーとの! なんの文句があるというの!?」
青筋を立てた顔を醜く歪め、唾を吐きながら叫ぶ母は物語で描かれる悪女そのものだ。兵士に抱えられて椅子に座らせられたハイデは俯き、膝に置いた手を握り締める。
民衆が声を荒らげる。ならば何故偽っていたのかと、その魔力の証明は本当なのかと。己を固める嘘を剥がそうとして。
「……滑稽ですね」
その顔に光が差す。なにかと顎を上げたハイデの隣にやって来た青年が、ひっそりと微笑みかけた。
「道化になると決めたなら、最期まで笑ってなよ」
それができないなら舞台から飛び降りたらいいと涼し気な顔で宣うギジアに、ハイデはどうしてと声を絞り出す。どうして、この公爵は彼を嫌ったのだろうと。
「公爵二人の承認さえあれば、王太子になれる」
突如舞台の後方から聞こえた声に、エディスは振り返った。獅子のような黄金の双眸に鋭く射止められ、傍らのハイデよりよっぽど”らしい”なと辟易する。
だが、舞台の前方に設置されている階段から上がってきた男を見て、エディスは己の劣勢を悟った。腹の中をあらゆる欲望で詰め込んで膨らませた、ガイラル・エンパイアはわざわざエディスの前を通ってから、ハイデを挟んでギジアの反対側に立つ。
これで大仰な玉座に座った王太子候補の出来上がりだ。
「我々は、ハイデ・ティーンスを王太子に認めます」
そして身勝手なことに声を揃えてもの申す。
「……私は承服できない。一方的すぎないでしょうか」
一介の軍人の意見ではありますがとトリエランディア大将が口にするが、キシウが「誰に断りを得ての発言ですか」と一喝するとため息を吐いた。
「胡散臭いんですよねえ、あなたたちが。信用ならないといいますか」
「あなた、首を落とされたいの」
「構いませんよ。それで減るのはあなたの私兵でしょうが」
僕は誰が何人来ようと逃げ延びる自信がありますからと、やんわりとした微笑みを浮かべた口から出るとは到底思えない発言にキシウは閉口する。
「な、なんとでも言えばいいわ」
キシウが唇を噛む。柔い皮膚が千切れ、赤い鮮血が口端を流れていく。顎を伝い落ちていったそれが霧散していくのを目に留めたエディスは、己の周囲だけではなく後方にも防御壁を張った。
だが、虚しくもすり抜けていったキシウの魔力が民衆に溶け込んでいく。
「……ハイデ様を王に」
「素晴らしい王の誕生に、拍手を!」
割れんばかりの喝采が舞台を包み込む。辛うじて洗脳されなかった者は狂気めいた客席に慄き、人相の変貌した者の肩を揺すって呼びかける。
「跪け!」
キシウとハイデの私兵が雪崩れ込んできてトリエランディア大将を捉える。女神官は地べたを這いつくばされているのに、神官長には手が及んでいない。
エディスも腕を後ろに組まされ、頭を掴んで跪かされる。己の名を呼ぶ声が下から聞こえてきて、くっと奥歯を噛みしめた。
「王子を騙る痴れ者を連れていきなさい」
哄笑する女を睨み上げると、その顔が驚愕に引き攣れていくのが見えた。腕を掴む力も緩んだので、身をよじらせて女が見ている方に目を向ける。
先程ガイラルがやって来た階段から、黒衣の男が上がってきた。貧相な上半身を隠すためか襟元に赤い薔薇の刺繍を入れたシャツの袖を丸く膨らませている。脚の線を引き立たせる細身のスラックス。足元まで優雅なドレープを描くロング丈のコートを纏っているのは、鷹のように獰猛な目をした少年だ。
幽鬼の如く青い顔をしているのに、足取りは確か。死者を迎えに来た死神のような容貌の少年に、エディスは口から悲鳴を上げそうになった。
(エドワード……!?)
アーマー他、近衛部やエンパイア家の騎士を引き連れて上がってきたエドワードの思惑はと、エディスは血の気の引く思いで彼を見つめる。
「ガイラル・エンパイア。貴様を大逆罪で更迭する」
告げられた言葉に、エディスは涙を零しそうになった。
「これよりエンパイア家は僕が継ぐ。即刻、罪人を捕まえよ」
命じられた騎士は短く応じると、舞台を突っ切っていきガイラルを床に組み伏せる。瞬く間に捉えられたガイラルは「なにを言うんだエドワード!」と叫ぶと、床を這って自分の息子の元に寄ろうとする。
彼を護るようにアーマーが剣を構えたが、エドワードは自ら父親に歩み寄ると冷淡とも取れる表情で見下す。
「陛下を薬漬けにしたのは貴様だろう」
近衛部に解放され、彼らに助け起こされながらもエディスは首を振る。止めてくれと叫びたくとも、想いばかりが先走って声にならなかった。
「王の部屋から絵画を盗むなよ~」
そこに、素っ頓狂な声が届いて後ろを振り向く。そこには見知った顔の壮年の男がいて、エディスは慕っている上官の名を呼んだ。
彼はエディスにウインクを一つすると、持っていた絵画を掲げ見せる。
「これ、俺が描いてレイガスにやったやつだぞ」
有名な画家の絵でもないのに馬鹿な奴だなあと笑うミシアに、エディスは信じられないとばかりに声を出した。
「はっ、はあぁ!? あっ、アレ! アンタが描いたのかよ!」
それにミシアはふふんと口の端を吊り上げる。顔も性格も、あの繊細な絵画を描いた人物だとはとても思えない。エディスが息を吐きだして受けた衝撃を和らげようとする。ようやく満足に言葉が出せそうだった。
「貴様の自室から見つけた」
陛下にも使った代物だなとエドワードがガイラルの前に袋を放り投げる。
「悪辣な奴め、観念しろ」
到底息子と親とは思えない言い様にエディスは震えた。肉親の情などないとばかりに言い渡す彼に、ガイラルだけでなくキシウまでもが震える。
「キシウ様との癒着もな。証拠は上がっている」
アーマーに向かって手を出すと、彼女は胸元から取り出した機器をのせる。議事を記録させるのに使うのだと、エドワードがよく持ち歩いていた魔法装置だ。
「皆もよく聞くといい。なにを仕出かそうとしていたかを」
そう言ってスイッチを入れると、雑音混じりの音声が舞台に流れ始めた。誰もが耳をすます中、その声は嫌に響いて聞こえた。
『エディスと言いましたか。ハイデ様を王太子にすれば、あの男を儂にくれると約束してくださいますかな』
『え~ぇ、いいわよ。娼館にでも堕としてあげる』
へへっと油がのたくった返事に、これ以上は聞いていられるかとエドワードが音声を切る。
「……虫唾が走る」
憑き物が落ちたかのように静まり返った民衆の中から、ぽつりぽつりと咎めの声が聞こえてきた。王子に、なんて不敬なという声にガイラルもキシウもたじろいだ。
「ふざけるなーっ、退任しろ!」
「領民を家畜としか思っていない豚が、さっさと息子に譲れ!」
「キシウ様もなにを考えておられるんだ、自分の甥御だろうに……っ」
足元の石を投げつける者もいて、エディスは呆然とエドワードを見る。こちらは見つめ続けているというのに、彼と目が合わない。一体なにを考えているのかと、あんな奴でも家族を捨てるなと胸が締め付けられる。
エドワードの覚悟に見合う対価など用意できない。自分に、彼を孤独な世界に隔離させてしまう価値などないというのにーー
ぷあっ、と水が入った袋を掴んだ時のような音が間近でして、音が聞こえた方に顔を向けた。
そこには口から噴水のように血を噴き出してそっくり返ったミシアがいて、エディスは目を大きく見開いて駆け寄る。床に後頭部から叩きつけられかけていたのを、寸でのところで胸に抱いて倒れた。
ミシアの頭を膝に抱えて呼びかけるが反応がない。デイヴィス中将がこれはいけないと立ち上がり、部下に救護隊を連れてくるようにと呼びかける。
「お前もよ、エドワード公子」
場を掻き乱して! と怒れるキシウが赤い爪先をエドワードに向けた。エディスは床にミシアを置いて彼を助けようと足を踏み出す。だが、エドワードは薄い唇を開いた。
【継承魔法ーー裁きの断頭台】




