7.囚われの姫ではないから
気づいていたのは自分の他だとキリガネとアーマーだろうか。
エドワードは、決して自分を好ましく思ってくれてはいない。薄らとした予感は確信に変わった。
真新しい黒塗りの鉄格子が嵌め込まれた窓の向こう側を見ようと目を凝らす。それは、なんの因果かフィンティア家で見た景色と酷似していた。
高さの問題かそれとも気持ちなのか、雲の多い濁った曇天は気を重くさせる。
感傷に耽っていたエディスは、突然立ち上がった。そして「……ここ五階だよな」と呟く。
窓の向こうに何者かいる。気配は感じるが人影はなく、エディスは小声でグレイアスを呼ぶ。飛んできた彼はエディスの手に収まって「リスティーだ」と答えを教えてくれた。
それに叫びながら窓に駆け寄ると、「三つ隣のバルコニーに来て。今すぐ、十分で帰るから!」という声が格子の向こうから聞こえた。
言い去ったのか、気配の失せた格子を口を開けたまま見つめるエディスに、グレイアスが行かないのかと訊ねる。
「ここで待っててやるから、早く行ってこい」
腰に帯びていこうとしているとそう言われ、いつもついて来たがるのに……と疑問に感じながらもグレイアスを壁に立て掛けていく。
部屋を出て三つ隣の部屋に入り、バルコニーのカーテンを開ける。だが、そこには誰もおらず「……逆だったか?」と首を傾げた。
目を凝らしてみるが、どのバルコニーにも人気はなく、エディスはこめかみを手首の上の辺りで叩く。会いたいという気持ちが膨らんで見せた幻覚だったのかもしれない。そう結論づけ、バルコニーから立ち去ろうとした時だった。
紫紺のマントが翻り、エディスは目を大きく見開く。下からバルコニーに上がってきた者が手摺りを乗り越えてきたのだ。
「はっ!? えっ……なに、」
驚きのあまり声を上げた口を塞がれ、「静かにしろ」「姿を見えなくする魔法掛けろ」と矢継ぎ早に言われて小刻みに頭を動かす。目の前でチャリ……とダイヤモンドが揺れていた。
念押してから手を離されてすぐ唱え始めると、一瞬だけ黒い膜に包まれる。薄まっていく膜で魔法の掛かり具合を見ていると、体が引かれた。
「なにも言わず、いなくなりやがって……!」
「いででででっ……れ、レウ……ッ」
絞り出すような声、力強い腕に温かい体。痛いくらいに抱き竦められて身動きが取れなくなる。震えている体に申し訳なさが先に立ち、恐る恐る背中を撫でると少しずつ力が緩んでいく。
「俺がどれだけ驚いたか、アンタに分かるか」
ガバッと頭を上げると、「おかげで捜索に時間かかって、ここに着いたの昨日だったんだぞ!」と鼻を押された。
「え、ごめん……」
まさかリスティーたちが行程を変えていたとは思わなかったエディスは、素直に謝罪を口にする。
「アンタの兄貴分も怒ってたぞ。倍額払ったからな」
三日が一週間になったら誰だって怒るだろう。手引きもなにもあったものではないし、騙されたと感じるに違いない。それでも待ってくれていたという誠意に、同じ分の誠意で返してくれた部下に感謝する。
ありがとうと言って見上げると、「その顔には騙されないからな」と眉をひょいと上げられてしまう。どれだけ信用がないんだと自分に呆れかえるが、今までの言動を思い返すと信用してもらえるはずもない。
「んで、なんでこんな所に閉じこめられてんだ」
「さあ……エドワードの目的は分からないけど、 少なくとも敵ではないと思うんだよな」
彼に助けられたのは自分を含めて何人になるのか。考えれば考える程、エドワード・エンパイアという男の輪郭が鮮明になっていくような気がする。
「断言できねえのかよ」
「エドは一定の基準を設けてて、それ以下の奴なら全部助けるようにしている……ん、だと思う」
犯罪者以外の国民なら無条件に手を差し伸べているのではないかと思われるくらいだ。奉仕精神が強いという程度ではないくらいに献身的だ。
(なんでギジアはエドを敵として扱ったのか、謎だった)
いくら俺に肩入れをしている風に見えていたとしても、そうでないことは友人であるなら理解ができるはずだ。なのにギジアはエドワードを敵だと切り捨てた。だが、エドワードに見限られると知っての行動だとしたらーー
「明後日の朝九時に王太子の発表をするんだと。場所は王宮内の暁の舞台で」
沈んでいく思考を掬い上げたのは、レウの一言だった。
ギジアはそこにいると思うか? それだけの問いすら口に出せない。一本気な彼が離反するなどありえないというのに、親し気に顔を寄せて話す二人の姿が思い出されて消えなかった。
「アンタはどうする」
問うてくるレウの腕に拳を当て「当然、邪魔する」と挑戦的な目を向けると、分かり切っていたかのように不遜な笑みが返ってくる。
「なら乗りこむぞ」
「おう! ……いや、俺一人で行く」
一緒にくるつもりだろうと断ると、レウは心外そうに目を丸くした。
「白いドラゴンと一緒にフィンティア家に来てくれ。お前たちはそこで待機しててほしい」
言葉を失ったレウは愕然とした表情で、承諾できないと首を振る。
(道ずれにするつもりねえからな)
今日までの間に話はつけておいた。負けた場合の受け入れ先を決めておかなければいけなかったから、グレイアスにお使いを頼んでいたのだ。
万が一があったら、以前の上官が迎えに来るようになっている。そう言えないエディスを咎めるような視線が降ってきた。
「臣下に引き立ててもらわなくちゃいけない奴、王って呼べんのか」
大口を開けて怒鳴ろうとした従騎士を、腕を組んだエディスが睨み据えると言葉を喉に引っ込める。消沈した様子で項垂れる彼の手が伸びてきて、袖を指の先で抓まれた。甘えるような仕草に笑みが零れる。
首の後ろに手を当てて引き寄せ、額を合わせたエディスは「必ず迎えに行く。いい子にしてろよ」と囁きかけた。
「愛してる。死なねえよ」
存外主人想いの男に抱き締められ、自嘲めいた笑みを浮かべる。
「フィンティア家じゃ遠すぎる。せめて、もっと近くに待機させてくれ」
「攫って逃避行でもしてくれるって?」
汽車の中で見た夢を思い出して言ったが、ありえない話だ。王でなければこの身は無用の長物になる。彼の足枷になるなど冗談ではなかった。
「最後まで付き合う奴がいなきゃ可哀想だからな」
離したくないんだろと言われ、覚えていたのかと抱き締め返そうと手を広げる。
「エディスさん、どこに行ったの」
だが、すぐ近くからエドワードの声が聞こえてきた。エディスは慌てて手を引っ込めて振り返る。すぐ壁の向こう側にいるという危機感が走り、別れの挨拶もそこそこに彼の元に走って行こうとした。
だが、後ろからレウに腕を引っ張られて引き留られた。そんな場合ではないと開こうとした口を塞がれ、ぽかんと彼を見上げる。
「……忘れ物だ」
口づけが? 言い返そうとして、レウの眉間に皺が寄っていることに気が付いて笑みが零れていく。
腕を首に回すと片腕で腰を抱かれ、もう一度口が合わさる。
「その顔、俺以外に見せないで下さいよ」と熱を離していくレウに言われ、なら行くなよと今度はこちらが引き留めたくなってしまう。気持ちを押し込めて口を腕で塞ぎながら頷く。
「……ずるいだろ」
一方的に呼吸も気持ちも奪っていかれた。これでは顔の火照りが戻るまでエドワードの所に行けやしないではないか。
大きくなっていくばかりの彼への気持ちに、エディスは顔を両手で覆ってその場にうずくまった。




