8.選ばれなかった男
「少佐~、いつまで外にいるんですか」
風邪引いちゃいますよとアイザックが迎えに来て、手を握り合っているのを見て「ん~~?」と首を傾げる。
「なにしてるんですか」
笑顔のアイザックに話しかけようとして、リスティーに手で制された。
「これこれ、見てほしいの!」
思わず体を硬めると、リスティーがアイザックに両手を見せる。これ! と片方ずつ親指を指し示すと、アイザックはエディスの顔を見てきた。
「少佐、その人を選んだんですか」
愕然とした様子で見てくるアイザックに、エディスの口が薄く開く。
「俺では……」
視線が次第に落ちていき、斜め下に漂う。アイザックはすぐに首を振り、「やっぱり、なんでもないです」と力なく笑みを浮かべた。
「アイザック?」
普段と違う彼の様子に、エディスは近寄ろうと足を踏み出す。それを見たアイザックが恐れるように背を向けた。なにが彼を傷つけたのかは明白だ。
「違う、お前を軽んじてるわけじゃない」
最初からずっと部下として従ってきてくれた。その恩義を忘れてはいないし、彼では足りないというわけでもない。
「ごめんなさい、部屋に戻ります。少佐も温かい所に移動してくださいね」
こちらを振り返ることなく歩き去ろうとするアイザックを追いかけようとして船内に入り、足が止まる。向こう側からやって来ていたレウが、三人の姿を見て顔を上げたからだ。
「アイザック、どうした」
肩にぶつかりながら横を通りすぎた彼の腕を、レウが掴んで引き留める。だが、「今レウと話したくない」と拒絶されて片眉を眇めた。
「選ばれた奴らには分かんないよ」
レウはなんなんだアイツといいたげな顔でこちらを見て――目を驚きで見張らせる。
「俺は、てっきり三人目はアイザックを選ぶかと」
「そんなに軍部から取れるかよ」
王太子になっても復隊ができればいいが、そうでなければ優秀な人材を何人も奪うことになってしまう。
「エディスが王太子に選ばれればいいけどね。そうじゃなかったら、コイツごと斬首刑よ」
指輪のはまった親指でエディスを差したリスティーに、レウは腕を組んでそんなことは分かってるとため息を吐く。
「アイツは優秀な軍人だ。どこの隊に入ってもやっていける」
「ちょっと。あたしたちが問題児みたいに言わないでくれる?」
「演習でハガイの部隊をボコボコにしてから、どこの部隊にも入れてもらえてないって聞いたんだけどよ」
間違いだったかと言うと、リスティーは両拳を握って頬を赤くさせた。
「それはっ、アイツが悪いでしょ!」
「軍部ってのは上下関係を敬うもんなんだよ」
べえと舌を出したエディスに、リスティーはレウの腕を引っ張ってどう思うかと問いただしている。体幹がしっかりしているレウは振り回されてはいないが、「力強ぇな……」と呆れた目で彼女を見下ろす。その様子から目を反らして、床のシミを爪先で蹴って落とせないか確かめる。
(それに、俺がもし志半ばで死んでもアイツなら忘れないでいてくれる)
死んだ後に一人くらい思い出してくれる奴がいてくれたっていいだろうと自嘲すると、落ちてきた横髪を耳に掛けられる。視線を上げるとレウと目が合った。
「断頭台だろうと付き合いますけど、」
不機嫌そうに眉を寄せたレウが背に手を当て、引き寄せてくる。こめかみに唇で触れてきた彼に、心の中で謝りながら口元だけで笑う。
「斬首されるようなことはすんなって言ったの忘れてねえよな」
死にたいと望んで人を殺して、死ねと望まれて神を殺すと誓った。この薄汚く育った奴隷に、生きてと願ってくれる者がいるだなんて。
「……忘れてねえよ」
嬉しくて、笑ってしまいそうになる顔を腕で隠す。アイザックを傷つけたのに嬉しがって、酷い奴だと罵る声が止まらない。なのにレウは隠すなと言って、子どもを相手するようにしゃがんで見上げてくる。
「フレイアムは騎士にしない方がいいと思ったんだ」
手の先を握られ、エディスはいやいやと首を振った。だが、レウは諭すように目を覗きこんでくる。
「アンタの前では物分かりのいい大人でいたい。いつか世継ぎを産む正妻が必要になる」
それがリスティーであってほしいという要望に、エディスは再び首を振って辞退の意を示す。
「子どもが必要だって言うなら、俺が産む」
「とち狂ったか。無理だ」
「それは無理でしょ」
両側から突かれるが、エディスは来い来いと手招きをする。なんだよと体を傾けてきたレウに、片手を頬にそえたエディスは背伸びをした。
「魔法で女になればいいだろ」
な? と笑いかけたエディスの頭を両側から挟んで締め付けたレウが怒鳴る。
「だからっ、自分の体を大事にしろって言ってんだろ。んな薄っぺらい体してなに言ってんだ」
叱りつけられたエディスはムッとして、ちゃんと筋肉ならついているとシャツを捲り上げた。エディスも軍人だ。同年代よりは鍛えているおかげで腹筋はしっかりと割れている。だが、レウはすぐに女がいると言って乱暴にシャツを引き下げた。
「男の裸くらいじゃ興奮しないわ」
アンタたちのでもねと言い放ったリスティーが、好きにやってちょうだいと手を振って歩いていく。しかし、言い忘れてたと言ってこちらを振り返る。
「レウさん。あなたのエディスに誘いかけられて応じない精神力は尊敬に値するわ」
「だよなあ、こんな美人に誘われて断るなんて……」
あっと声を上げたエディスが「あれか!」とレウの顔を指差した。指差すなと額を弾かれたエディスは「神官の服じゃないと盛り上がらないんだろ」と言ってから自分の太ももを叩く。
「足も出てないしさ」
分かるぜー綺麗なお姉さんの兄って見ちゃうからなと分かったような口を聞くエディスの腕を引き、レウは「コイツのことは気にせず寝ろ」とリスティーを追い払う。顎を上げ、「あたしを寝かせてどうすんの」と睨め付けるリスティーに、どうもしねえよと返してエディスを押す。
「コイツほんとに堅物で困ってんだよ」
「アンタなあ、いい加減に……っ」
おどけた調子で両手の人差し指で差すエディスの胸倉を掴んで引っ張る。強く引っ張ったせいか、シャツのボタンが千切れて飛んでいく。
「おい、なにすんだよ」
引っ張んなと掴み返したエディスたちに呆れ、床を転げていくボタンをリスティーが追う。抓み上げて顔を向けたリスティーは面食らってぽかんと口を開いた。
「エディス、アンタ。なに……それ」
リスティーが呆然と呟く。彼女とレウの視線を追ったエディスも同じ言葉を口にした。レウがくっと嗚咽を漏らしてエディスを抱きしめる。
「え、なに。なんなんだよ!?」
「やっぱり、アンタはあの人の子どもなんだ」
押し退けて理由を尋ねると、レウは緩慢な動作で指を突きつけてきた。エディスのはだけた胸元、そこには青く光る紋章が浮き出ていた。




