2.俺、乙女の血より価値があります
雲の隙間から覗く月が美しい夜だった。
「あー、まだかなり冷えんなー」
いつも通りビスナルクの訓練に顔を出してから軍の戦闘に参加した。その後、気まぐれに軍の寮の屋上に上がったのだ。
普通にシャワーを浴びるより、外で雨を受けたほうがいいという気持ちがあった。体にこべりついた魔物の血が少しでも体から流れていくのではないかと。
「でも、気持ちいーっ」
ごろんと横になると、大粒の星がかすんで見える空を独り占めすることができた。
このW.M.A黒杯の軍、中央司令塔は5つの棟から成っている。
北にアンドロイドや銃火器を作ることを主としている軍兵器開発部。
東に戦闘科。戦闘科は2つの部署に分かれている。魔物退治や盗賊退治などを主としている治安維持部と、王族や貴族の護衛を主としている近衛部に。
エディスは入隊後、この戦闘科治安維持部に所属の希望を出して無事採用された。
南東に病人の治療や看護を主としている医療部。
南西に魔物のデータ管理や報告書の整理を主としている事務部。
西にあるのが現在エディスが寝そべっている寮だ。
星の形をしている黒杯の軍の真ん中に、もう1つ施設がある。W.M.Aのもう一つの顔、人々を祈りの力で癒し、退魔の力で異端魔術師を裁く、聖杯の軍。
その活動拠点である、ティーンス大聖堂が守られている。窓ガラス以外が全て黒い外観の黒杯の軍の施設、その中に気高く建つ白の女王だ。
「う~~……やっぱ、寒いな」
起き上がり、中に入るためにドアまで両腕を擦りながら歩いていく。ノブを掴もうとした時、エディスは手を止める。顔を上げたエディスの耳にバサッ、バサッと大きな翼ではばたく音が入ってきた。
「うわっ!?」
ぐわっと黒い物が襲い掛かってくる。顎をつかんで引張られ、エディスは目を開いた。ザッと血が引く音がしたのではないかと思うほど、エディスの顔が真っ青になった。
暗い世界にぼんやりと浮かぶ金の目に、僅かに開かれた口から覗く白い犬歯。周りに従えるは蝙蝠。背中には黒い翼と、まさにといった風貌である。
「赤のヴァンパイア……!」
魔物の赤く染まった口の端が上がった。
ヴァンパイアには、三つの種類がある。
一つ目の種類は、人の生き血を飲み、生気を吸い殺す“赤のヴァンパイア”。蝙蝠を従えていたり、翼を有しているという者が多い。
二つ目の種類は、人の生き血を飲む代わりに生命を与えることが可能な“癒しのヴァンパイア”。赤のヴァンパイアはまだ数多く残っているが、死者をも生き返らせると言われていた癒しのヴァンパイアは早い頃に狩られてしまい、今では滅多に発見されることがない。
だが、それよりも少ないのが三つ目の種類だ。
これは癒しのヴァンパイアによって生命を与えられた者のみが変化する。
変化した者は、普段は人間の姿をしているが、まるで狼男のように満月を見るか、血を大量にかぶるか。そのどちらかをすると、ヴァンパイアに化してしまう。その姿は、両の目のどちらかが、宝石のように美しい色だと言われている。
たま、目だけではなく赤のヴァンパイアの有す翼に似たものも生える。その容姿の美しさから、高値で取引をされることもある。すでに、癒しのヴァンパイアさえ絶命しかけている今では、ほぼ現存していないとされているが。
咄嗟にドアの方に駆け寄り室内へと逃亡を図ろうとしたが、ドアノブを掴んだ腕を押さえられる。
「どうして逃げる必要が?」
ヴァンパイアは下卑た笑みを浮かべ、エディスの髪の毛を引っ張った。
「私には分かるぞ。お前の中に、私と同じ血が入っているのがな」
金の光を優しく地に降り注ぐ月。それを見たエディスは苦悶の表情を浮かべた。
「やはり、半ヴァンパイアか」
顔を、目を隠したくとも両手を掴まれてしまっている。エディスはそれでも体を捻り、なんとか逃れようとした。
「美しい瞳だ……」
右の眼球に湿った感触。舌で舐められ、おまけに演技がかった動きと声に嫌悪感を抱いたエディスはうえぇと舌を出した。
「乙女の血を、と思い出てきたが、これが手に入るのならばもういらないな」
今度は首を舐められ、ゲエッと喉を引きつらせた。半ヴァンパイアは人間の魔物収集家や金持ちに大喜びされる代物だが、赤のヴァンパイアにとっても最上級の代物だ。
その血は処女よりも甘く、清らか。さらに生気には人にないが含まれているのだ。求めないはずがない。半分の存在である彼らは人間からも、ヴァンパイアからも狩られる存在だ。
【護り神 此処にッ!】
魔物を弾き飛ばしたエディスは、じっとりと水をふくんだ軍服の胸元を掴んで息を吐いた。自分の周りに魔法で作ったシールドを張ったまま駆けだす。
自分の正体が軍に露見することがないよう、離れた場所で戦おうと考えたのだ。
「逃がすか」
舌打ちをしたヴァンパイアがその背を追ってくるが、エディスは構わず投げ出すように体を屋上から放り出した。
「空から逃げる? それこそ不可能だ」
ヴァンパイアの背に、黒い翼が生える。エディスはそれを見、唇を噛み締めた。
「風が、痛ぇ……っ!」
体重に任せ、下へと落下する。視界は悪いが、地上への距離を計るため、目を開いた。しかしーーそこに映ったのは、呆けた顔をした青年だった。




