1.分かったかウジ虫ども!とは言いません
砂の上を蹴る音。一周、約一メートルのグラウンドを、男達が汗みずくになりながら走っていた。皆、分厚い筋肉に覆われた肌の上に、ランニングシャツとダボッとしたズボンを身に付けている。
季節は春。鉄の鎖と灰色の壁の外ではコートを着ている人々が見えるくらいの温度だ。
「一周走んのに何分かかってんだテメエら! とっとと走れ野郎共があぁっ!」
その寒さの中、妙に温度差のある怒声が男達を叩き付けた。
「はい!」
少々声を裏返しながらも俯きがちになって男達が叫び、加速する。
「一段と力が入っていますね」
「まあな。軍の入隊試験まで後ちょっとー……ん?」
つり目がちな切れ長の瞳は紫で、風に乱れた髪は藍色。百七十を越えているだろう長身とあいまって、男性的な印象を与える。だが、薄い唇に塗られた真っ赤なルージュや豊満な胸が女性だということをしっかりと教えていた。キリッとした顔とグラマーな体。ユニセックスな印象を与える人だ。
「……おい」
その女性が一際低い声を出す。
「はい。なんでしょう?」
手にしている、訓練生よりも一回りほど大きな剣を振り回して肩に掛ける。身に着けているのは青みがかった黒のランニングと黒のズボン。暑いのか、同じ色の上着は腰に巻かれており、ズボンの裾を迷彩のブーツに突っ込んでいた。
「お前走ってこいよ。何サボってんだ」
襟首を掴まれたのは、その横でのんびりと水を飲んでいた少年だ。少年は些か目を丸めて驚いたが、冷静にボトルを右横にあるスピーチ用の台に置いた。そして完璧な笑みを顔全体に作る。
「もう随分と前に終わってしまいました」
それを見た女性が怒声を上げて少年を放り投げる。
「いきなりなにすんだよ!」
放り投げられた少年は砂埃を立て、猫のように低い姿勢で着地した。
「お前はガキでチビなくせに生意気なんだよっ! 教えがいのねえ!!」
斬り込んでくる大剣を少年は身軽に躱し、スピーチ台に立て掛けていた剣を手に取った。
「顔に似合わねえ性格しやがって、こっの……女顔!」
こめかみの辺りがひくりと動き「誰かさんに似たもんで」と低く呟き、剣の鞘を放る。
「来い! 今日こそきっちり躾てやる!」
「怪我しない程度にしといた方がいいんじゃねえのか。明日、アンタも式典だろう!」
鉄が派手にぶつかる音が響く。女性の重い剣を下から押し上げ、跳ね返す。
「ホント、生意気な奴だな!」
ザッザと走り続ける訓練生は横目で見、二人ともよくやると呆れていた。
「ま、お前はこうじゃないと楽しくねえか」
ビスナルク・クローレッツ・アレンバイヤ。階級は中尉。主に軍人や軍人志望の者への訓練を担当している教官だ。
「そうだよ」
エディス上等兵、十二歳の時。彼はこの年の夏に、新たな出会いと経験をする。
それは彼と悪縁を繋ぐ、ある一人の青年との出会いを始まりだった。王の忠告に出てきた人物でもある、その青年の名は――シュウ・ブラッドといった。




