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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

雨上がりの思い

 放課後の教室には、美咲と静香の二人だけが残っていた。窓の外では、雨が静かに降り続いている。



「今日も降ってるね」



 静香がふと呟く。窓際に立つ彼女の横顔を、美咲はそっと見つめた。長い黒髪が、少し湿った空気を含んで揺れている。



「うん……」



 美咲の声は、思ったよりも弱々しく響いた。静香と二人きりになると、いつも胸が苦しくなる。ずっと好きだった。でも、その気持ちを言葉にすることはできなかった。



「傘、持ってきた?」


「……ううん、忘れちゃった」



 静香が微笑む。「じゃあ、一緒に帰ろうか」


 それは何気ない一言だった。けれど、美咲にとっては心臓が跳ねるほどの出来事だった。



「……いいの?」


「いつもそうでしょ。ほら、早く帰るよ」



 静香が手にしていた折りたたみ傘を広げる。その下に入るよう促されて、美咲は少し戸惑いながらも並んで歩き出した。


 傘の中は狭い。肩が触れ合い、静香の体温が伝わる。雨音だけが響く中、美咲は鼓動の速さを悟られないように、必死で平静を装った。



「美咲はさ、好きな人とかいる?」



 突然の問いかけに、美咲は息をのんだ。



「えっ?」


「なんとなく。最近、ぼんやりしてること多いし」



 そんなに分かりやすかったんだ、と心の中で苦笑する。けれど、答えることはできない。だって、美咲の「好き」は、静香に向いているものだから。



「……いないよ」



 嘘をついた。静香が「そうなんだ」と呟いて、傘を少し傾けた。



「私はね、いるよ」



 美咲の心臓が跳ねた。静香に好きな人がいる? そんな話、一度も聞いたことがない。



「……誰?」



 無意識に聞いてしまう。静香は少しだけ考えるような素振りを見せたあと、微笑んだ。



「秘密」



 その笑顔が、ほんの少しだけ寂しそうに見えたのは、きっと気のせいじゃない。


(もし、静香の「好き」が私だったら――)


 そんなことを思ってしまう自分が、少しだけ嫌になる。





 雨は今日も降っていた。


 次の日も、美咲は静香のことばかり考えていた。静香の言った「秘密」の意味を知りたくて、けれど怖くて聞けなくて。


 美咲は自分の気持ちに蓋をし続けてきた。だって、女の子同士だ。こんな感情は持ってはいけないのかもしれない。そう思えば思うほど、静香の仕草ひとつひとつが胸に刺さる。


 もしこれが男の子に対する気持ちなら、こんなに苦しまなかったのだろうか。普通の恋なら、友達に相談したり、冗談めかして伝えたりできたのかもしれない。でも、この気持ちはきっと「普通」じゃない。そう思うと、胸の奥がずっと重く沈んだままだった。


 ある日、部活終わりに静香と二人で帰ることになった。静香の傘の中に入ると、前よりも距離が近い気がする。ふと静香の手が揺れ、指先が触れた。


 美咲は思わず手を引っ込めた。静香が少し驚いたような顔をする。



「ごめん……」


「どうして謝るの?」



 静香の声が優しく響く。美咲は答えられなかった。胸の奥が、苦しくて仕方なかった。


 「どうして」って、そんなの決まってる。


 だって、私はおかしいから。


 この気持ちは、隠し続けなければいけない。


 でも、それができなくなりそうな気がしていた。




 それからも、静香と過ごす時間は変わらなかった。朝、一緒に登校して、昼休みに隣でお弁当を広げ、放課後には並んで帰る。まるで当たり前のように。


 ある日、静香がふと美咲の手を握った。



「……美咲って、手、冷たいね」



 突然の触れ合いに、美咲は思考が止まる。



「そ、そうかな……?」


「うん。ほら、手貸して。あっためるから」



 静香の手は、ほんのり温かかった。そのぬくもりが、美咲の心の奥までじんわりと染み込んでいく。


 言葉にしなくても、静香の優しさが伝わってくる。


 このまま、ずっとこうしていたい。


 けれど、それが許される関係なのか、美咲にはまだ分からなかった。





 それから数日が経ったある日、静香が美咲を放課後の図書室に誘った。



「ね、美咲。本、好きだよね?」


「うん、まぁ……」


「ちょっと見たいのがあるんだ。一緒に探してくれない?」



 二人で静かな図書室を歩く。静香が手に取ったのは、恋愛小説だった。



「これ、読んだことある?」


「ないけど……静香って、こういうの読むんだ?」


「うん。最近、特にね」



 美咲がページをめくると、そこには同性同士の恋の描写があった。



「……これ……」


「美咲は、どう思う?」



 静香の目が真剣だった。心臓が跳ねる。逃げ出したいような、でも知りたいような。



「わたしは……」



 美咲は言葉を探しながら、静香の手が自分の手の上にそっと重なるのを感じた。



「ねえ、美咲……わたしの好きな人、誰だと思う?」



 心臓が爆発しそうだった。


 美咲の鼓動が激しくなる。静香の問いかけに、どう答えればいいのか分からない。



「えっと……それは……」



 口ごもる美咲を、静香はじっと見つめていた。その瞳の奥には、揺るぎない想いが宿っているように見える。



「美咲……」



 静香の声が、優しく名前を呼ぶ。まるで、美咲の心の奥に直接触れるように。



「……わたしが好きな人……美咲だよ」



 その言葉が、美咲の胸に深く響いた。時間が止まったように感じる。



「……え?」



 信じられなくて、聞き間違いじゃないかと疑ってしまう。でも、静香の瞳はまっすぐで、冗談なんかじゃないことが伝わってくる。



「ずっと言いたかった。でも、美咲が遠ざかるのが怖くて……」



 静香の手が、美咲の手をそっと握る。温かくて、優しいぬくもり。



「わたし、おかしいのかなって思ったこともあった。でもね、美咲のことが好きで、その気持ちをどうしようもなくて……」



 美咲の目に涙が滲む。ずっと抱えていた思いが、静香も同じだったなんて。



「……わたしも……ずっと、静香が好きだった……」



 声が震える。でも、今度は嘘じゃない。


 静香の瞳が驚きに揺れる。そして、ふわりと微笑んだ。



「……本当?」


「うん……本当だよ……」



 美咲の頬に、涙が伝う。静香はそっと手を伸ばし、その雫を拭った。



「よかった……」



 静香がそっと、美咲を抱きしめる。お互いの鼓動が伝わる距離で、ようやく不安が消えていく。


 外では、雨が上がり始めていた。雲の隙間から、かすかに夕陽が差し込む。


 静香がそっと囁く。



「……美咲、これからも一緒にいてくれる?」



 美咲は涙を拭いながら、静香の手をぎゅっと握りしめた。



「もちろん……ずっと、ずっと一緒に……」



 雨上がりの空のように、二人の心は晴れ渡っていた。



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