もしあなたがルッキストになってしまうと
流行の最先端を経験しなければ理解できないルッキズム
最大の現代病ルッキズム
ルッキスト(外見重視主義者)になると様々な感情が膨らみます。嫉妬、欲望、蔑視、焦燥。日々の生活が一変し、物欲がさらに強くなります。
高価な香水、衣服、アクセサリー。中でも流行にそった物を選ばねばならず、当然これらの物は需要が高まり、価格が高騰し、必然的に生活費は高くなるのです。ルッキスト、ルッキズムを語るには経済を語らねばなりません。価格の高騰は大きく二つの問題から起こります。希少価値、円安です。以上二つは事例、経過などに細分化することができます。
ルッキズムは希少価値性の中で、とりわけ需要性に関与します。多くの人が欲し、物的価値を上げる現象である需要の高騰。需要が高まれば希少価値が生まれます。逆もまた然り、希少価値がある物は需要が生まれます。需要が高い物体の中には流行的に高まった物が存在します。例えば、2年前に流行らなかった衣服が、今年になると人気になってしまい(流行し)需要が高まり、希少価値が生まれ、価格が高騰してしまった、など。ルッキストは見た目重視であるが故に、個性を排除し、より最先端の流行で着飾ります。つまり、必然的に高価な物(物価高騰した流行物)を買う人間が多くなります。ここでルッキストとエゴイストを分別しなければなりません。
私利私欲で動くエゴイストが個性を棄てることはありません。もし、エゴイストがルッキズム的ファッションをしていたとしてもエゴイスト本人が望む形態であり、他者の波に逆らえないルッキストとは違います。
個性を棄てて見た目重視に走るか、あくまで自らが好きな格好がたまたま流行的であったかの違いです。独創的な美か、意図した美か。これは他人に気を遣わない美か、他人の猿真似をした美か、そのくらい違います。
ルッキズムの中で衣服と並行して重要視されるのが「自分磨き」。無論流行衣服やアクセサリーも自分磨きに入りますが、他にも肉体トレーニングや自己啓発本などで知識を蓄えたり、合コンなどで異性慣れし侍らせるなど多様にわたる我欲的意思、それが自分磨きです。自己研磨というとなかなか善行のように聞こえますが、現代の自分磨きは決して徳を積むための物ではありません。他者との決別、我欲的独立を果たすためを建前としたり、より強固な力を手に入れて性的強調性を高めることを目的とする非常に利己的であり傲慢な理由が多いです。また自己研磨を進めるルッキストに他者をルッキズムに陥れようとする人間も多くいます。
ルッキズムの最も注意すべき点は、疫病的な伝染です。ルッキズムが蔓延して得をするのはマーケティングに成功した商社であり、決してルッキストではありません。あらゆるビジネスによる成功は結局のところマーケティングに釣られる人間がいること、「新たな」「流行りの」と謳いながら実用的に欠ける商品を宣伝し続け、多くのカスタマーを付けた商社が最終勝者なのです。決してルッキストではありません。見た目重視の「今どき」コーデをしていても終わりなき戦い、終止符は打たれず次なる「今どき」コーデが出てくる無限ループです。このように物欲を煽り、無意味な需要を生み出し、偏向的な経済を循環させ、国民の格差を広げていることに気づかない。これがルッキズムの最たる危険です。
ルッキズムは宗教や麻薬と変わりません。女性が外出前に化粧をしなければ気が済まない精神状態であり、今やそれが国民全体に蔓延しているように。男性の一般ビジネス服が背広であり、学生の服は制服指定されているように。これらは常に膨張し蔓延していきます。個性を認めないルッキズムは個性的な特徴を全て排除します。衣服の組み合わせから好きな音楽や趣味にわたりあらゆる偏見をふんだんに作り上げ、新たな進化を徹底的に妨げます。ルッキズムに侵された人間は人形のようにあらゆるマーケティングに弄ばれます。
私はルッキストを理解するためにルッキストの温床に数年いました。ルッキズムを研究し、彼彼女らの思考回路を分解し筆跡するのはそう難しいことではありません。自己防衛としてのルッキズム、先鋭差別としてのルッキズム、心機一転のためのルッキズム。ルッキズムには様々な動機があります。しかし一点して利用されていることには変わりありません。どのルッキストが得をすることがないのも同じです。
精神的病であるルッキズムは国民病であり、コロナと同一の伝染病です。正しい自己防衛と自尊自衛こそがルッキズムを跳ね除け、自らを他人に売らず信念を貫き通すことができる力となります。