虹鱗クイーンサーモンの香草焼きVS高級東牛のステーキ
火を起こしたエニードは、侍女の皆に頼みフライパンや包丁、まな板や調味料などを用意してもらった。
何もなければ串焼きにでもするのだが、ここは野営地ではなく公爵家である。
野営地であっても調理器具や調味料ぐらいは用意しておくが、祖父は大荷物を嫌ったので、ナイフ一本で全てを賄うことが多かった。
エニードも見習いたいとは思っているが、今行っているのは料理対決であって、野営対決ではないのだ。
クイーンサーモンは湖ですでに手早く鱗をはいで、内臓を抜いて血抜きをしてある。
魚はそのままにしておくと臭みが強くなる。獲ったその時に全ての下処理を終わらせるのが肝心だと、祖父に教えてもらった。
その祖父も、魚の調理を魚をとって暮らしている漁村の者たちから教えてもらっている。その知識はエニードに伝わり、とても役に立っている。
知識の伝達というのは素晴らしいもので、エニードがこうして料理をすることができるのは、祖父やその漁村の人々のおかげである。
レミニアも料理ができるのだからきっと、誰かに教わったのだろう。ラーナはエニードの世話をするために、調理場で熱心に料理人に料理の作り方を教えてもらい、メイドたちに掃除の仕方を、侍女たちにドレスの着せ方を教えてもらっていた。
そういった努力をエニードは尊敬している。努力とは誰にでもできることではないからだ。
例えば量産型悪人は自分の不幸をすぐに誰かのせいにして、他人に迷惑をかける。
だが、どんな境遇であってもそうではない者のほうが圧倒的に多いことを、エニードは知っている。
だからこそ、マリエットや、レミニアの父の思惑や、事情に巻き込まれたレミニアを少し不憫に思っていた。
「てっきり、このまま焼くのかと思っていましたが、切り身にするのですね」
「丸焼きにしても美味しいですが、少し手をいれればもっと美味しくなります。素材そのままよりは、香草で臭みをとり、塩で味を引き締めて、バターで焼いたほうが美味しい。せっかくですから、美味しいほうがいいかと」
エニードの包丁さばきにより、虹鱗クイーンサーモンは一瞬のうちに三枚におろされて、切り身となった。
興味深く眺めていたキースは、ぱちぱちと拍手をして、料理人たちからは感嘆の声があがる。
「それは幻の魚」
「滅多に釣ることができない、虹鱗クイーンサーモン……!」
「エニード様、どこでそれを!?」
と、身を乗り出すようにして尋ねられたので、エニードは「ルトガリア領の湖に生息しています」と答えた。
釣りに人生を捧げる、釣り人や、野草や野生の獲物を食べることを趣味とする野生ハンターの間では有名な話だが、ルトガリア家の人々は知らないらしい。
「エニードは、なんでも知っているのだな。尊敬する」
「ありがとうございます、クラウス様。私もクラウス様を尊敬しています」
「わ、私をか……?」
「はい。私はマリエット様に同情の余地があると考えていますが、クラウス様の立場ではとてもそのようには思えないでしょう。それでも、別邸に住んでいただいて、不自由なく暮らせるように資金を提供しているのですから、クラウス様は努力なさっています」
「……邪魔だから、別邸に追い払った。それだけだ」
「そうだとしても、あなたはとても誠実で優しい人だと感じています」
「エニード……」
クラウスは瞳を潤ませた。今にも泣きそうな様子だった。
エニードはよしよしと撫でようとしたのだが、そういえば手も服も魚臭いのだなと、マリエットに言われたことを思い出してやめておいた。
ジェルストやラーナがこの場にいれば「エニード様が身なりを気にした……!」「エニード様、それが乙女心です。すばらしいです」と大騒ぎしていただろう。
「クラウス様、かまどの炎も安定してきましたし、魚もあとは焼くだけですぐにできます。私は手早く湯浴みをして、着替えてきます」
「あ、あぁ……わ、わかった」
湯あみと着替えという言葉にどういうわけかクラウスは真っ赤になって動揺した。
怒ったり、泣いたり照れたり忙しい人だ。
今はそれが妙に、可愛らしいと感じる。年上で立派な立場なのに、子犬のような夫である。
エニードは妻としてはクラウスを愛しているが、人としては少し好きで、それから可愛いと感じている。
「エニード様、湯あみですね」
「お着換えもしましょう」
「任せてください」
エニードの言葉を聞き付けた侍女たちが、我先にとやってきてエニードを室内に連れていく。
エニードはやや圧倒されながら、大人しく侍女たちに従った。「できるだけ手早くしていただきたいのですが」とお願いすると、皆が一斉に「任せてください!」と答える。
流水で洗われる芋のようにもみくちゃに──それよりもずっと丁寧だが、数人の侍女たちの手によってすっかり綺麗にされたエニードは、新しいドレスを着せられて髪をゆるく整えられた。
侍女の方々の手早さは、よく訓練された軍隊のようである。
いつもはもっと時間がかかるのだが、「手早く」という要求にもこたえてくれることに、エニードは感動をしながら「ありがとうございます」と丁寧に礼を言った。
庭に戻ると、料理人たちが骨だけになった虹鱗クイーンサーモンや、透き通るような紅色をした美しい切り身を熱心に眺めて、クラウスと何やら話し合っている。
「エニード、ただいま戻りました」
「おかえり、エニード。……いつも可憐だが、今日のドレスも可憐だ」
「そうですか、ありがとうございます。ドレスを用意してくださったクラウス様の趣味がいいのだと思います。感謝します」
エニードはドレスをあまり持っていない。
輿入れの際に何も持っていかないのは失礼だからと、レーデン家の母にドレスを何着か持たされたが、今着ているものはクラウスが用意してくれたものだ。
「い、いや、その……私の選んだ服を着て欲しいと、思ってしまって……す、すまない。独占欲の強い男のようで、迷惑ではないか」
「特にそのようには感じません。私は服にこだわりがないので、選んでいただけると助かります」
「そ、そうか、よかった」
クラウスはよく狼狽えるが、エニードにはその理由の半分も理解していないことが多い。
ドレスは動きにくいが、もう慣れてきたし、ルトガリア家の妻としてはこのような姿をするのが正しいのだろう。正しい服装をクラウスが選んでくれるのなら、そのあたりが苦手なエニードにとってはありがたい話だ。
「さて、仕上げますね」
すっかり綺麗になったエニードは、強い炎がおさまり安定して薪が燃え始めているかまどのうえにフライパンを置いた。
バターを溶かして、あらかじめ塩をふって味をつけておいたクイーンサーモンの切り身と、香草を一緒に焼いた。
バターの溶ける香りと、香草と、クイーンサーモンの香ばしい香りが漂う。
あまり焼きすぎると身が崩れて、ぱさぱさになってしまう。
中に火が通ったところでフライパンから皿にうつして、香草と、輪切りのレモンを飾る。
「完成しました。虹鱗クイーンサーモンの香草焼きです。これはクラウス様の分。皆さんの分も焼きますね」
「すごい、美味しそうだ……エニードの手料理……どうしよう、泣きそうだ……」
「食べる前から泣いてはいけません。落ち着いてください、クラウス様。味を確かめてから感動してください」
出来上がった料理に皆が拍手をする中、エニードはさくさくと残りの切り身も焼いていく。
ほぼ全て焼きあがったころに、レミニアが再び姿を現した。
マリエットの従者たちが、カートに皿を乗せて運んでいる。
「お待たせしました、クラウス様。東肉のステーキ、トリュアフル添えです。お料理はどちらに運びましょうか?」
東肉とは、肉質が柔らかい最高級肉と言われている東国から仕入れた牛肉のことである。
ちなみに、ラーナの好きなみたらし団子や、大福も、東国から伝わった料理だ。
トリュアフルとは、珍しい生で食すことができる香り高いキノコのことで、こちらも最高級の一品である。
高級に高級を重ねた料理を見て、クラウスはやや嫌そうに眉を寄せる。
エニードはにこにこしながら「美味しそうですね」とレミニアを褒めた。
レミニアは目尻を染めながら、エニードに「はい……! ではなかった、私の料理を食べて負けを認めてください、エニードさん……!」と、狼狽えながら言った。
ルトガリア家の血筋の方々は、少し似ている。
よく狼狽えるところが似ていると、エニードは子犬に囲まれているような気持ちなった。




