罪を憎んで人を憎まず
ルトガリア家に戻ったエニードを、落ち着かない様子で待っていたクラウスたちが出迎えてくれる。
馬で走っている最中にある程度濡れた髪は乾いたが、適当に着たドレスは乱れているし、なんせ背中にクイーンサーモンを背負っている。
そんなエニードの様子に、皆、それはそれは驚いた顔で駆け寄ってきた。
「な、なにがあったのだ、エニード……!? 誰かに襲われたのか……しかし、魚、一体、これは……い、いや、君は魚を背負っていようと可憐だが……!」
「クラウス様、落ち着いてください。エニード様、それは魚ですね、とってきたのですか? まずは湯浴みをしましょう、それから着替えも……!」
クラウスに負けず劣らず、キースも狼狽えている。
エニードはひらりと馬から降りると、皆にきちんと会釈をした。
「エニード、ただいま戻りました。湯あみはあとで、今は魚です。料理対決のただなかにあるのですから、急ぎ、料理を仕上げますね」
巨大魚を肩に担いで、エニードは庭に向かう。
公爵家の庭園は広く、どこもかしこも手入れをされている。だが、庭園の奥には手つかずの林が残されている。
侍女たちが「お魚を預かります」「エニード様、ぜひ預からせてください」とこぞって言ってくれたので、魚を一先ず預けると、エニードは手早く林で薪になりそうな木々を拾い集めた。
石をあつめてかまどを組み上げ、薪を入れて、ファイアスターターと呼ばれる最近流行の火起こし器具で火花を散らして火を起こす。
てきぱきと一瞬で火を起こしたエニードの姿に、公爵家の者たちから拍手があがった。
「エニードさん、何をなさっているのですか。な、なんて、ワイルドなお姿……で、ではなくて! 公爵家の美しい庭で火を起こすなど、野蛮です……!」
騒ぎをききつけたらしく、やってきたレミニアが、エニードに文句を言った。
その隣にいるマリエットも、扇で顔を隠して嫌そうに眉をひそめている。
「びしょ濡れで魚臭い女など誰が好きになるというのです……! クラウス、目を覚ましなさい、この女は庭で火を起こしているのよ!? 野蛮で、危険だわ……!」
「健康的で可憐の間違いでは」
「エニード様なら城を落とせるかもしれません」
「エニード様がいればどんな苦境にあっても生きていけるかもしれません」
「素敵です……!」
マリエットにクラウスが言い返すと、いつもは静かにしているキースや侍女たちもクラウスの後ろからエニードを称賛した。
「お待たせしていますか。もうすぐできあがりますので、少々お待ちを」
「ま、まだできていないのですけれど……尻尾を巻いて逃げたのかと思ったあなたが戻ってきたので、様子を見に来たのです。その、エニードさん、何故濡れているのですか」
「湖に潜って魚をとってきました。虹鱗クイーンサーモンです。とても美味しい魚ですよ。できあがったら、是非レミニア様も召し上がってください」
「わ、私も……!?」
「はい。見たところ、とてもご苦労なさっているようですから。そうですね……私もあなたの作った料理が食べたい」
「……は、はい……っ」
せっかく努力してつくった食事である。ちょうど昼時ということもあり、皆で食べるべきだろう。
そう思ったので伝えたら、レミニアは頬を染めて何度も頷き、調理場に戻っていった。
マリエットも「レミニアが勝つに決まっているわ!」と言い残して、その後を追う。
クラウスが何とも言えない顔で二人の姿を眺めた後、エニードの両肩をぐいっと掴んだ。
「エニード、あんな者たちに優しくする必要はない」
「優しいでしょうか」
「あぁ。本当は今すぐにでも追い出してもいいぐらいなのだ」
「クラウス様。女性と子供には優しくしなくてはいけません。そしてあの方はクラウス様のお身内です。お母様と従兄妹です」
「あんなものを母と思ったことはない。従兄妹など……私が財産を築いたから、私と結婚をさせようとしているだけだ」
「クラウス様、レミニア様はおそらく、お父上に言いつけられているのでしょう。クラウス様に嫁げ、と。そして、お義母様のことでクラウス様は大変だったと理解していますが、お義母様も寂しかったのだと思います」
エニードはクラウスを見上げて優しく微笑んだ。つもりである。
傍目には無表情に見えるエニードの表情だが、クラウスには通じたらしく、困ったような顔をして僅かに頬を染めた。
「嫁いだ先で、子ができたからもう用がないと、夫に捨てられたのですから。心の拠り所が欲しかったのでしょう。褒められた行動はしていませんが、お義母様には情状酌量の余地があります」
「情状酌量……?」
「はい。もちろん、クラウス様の心情を慮れば、そうも言っていられないのでしょうが。寂しい心を埋めるために多くの愛を求め、金を求め、美しさを求めたのでしょう。心の弱さを責めることはできません」
誰しもがエニードのように強くないのだと、エニードは祖父から散々教わっている。
人は弱い。だから罪を犯す。許されない罪もあれば、許される罪もある。
騎士は──罪を裁く立場にある。
だから強く在らねばならないと、エニードの祖父は教えてくれた。
マリエットにも祖父のような存在がいなかったのだろう。誰もがエニードのように、家族に恵まれているわけではないのだ。
「うぅ……っ」
どこかで小さな嗚咽が聞こえた気がしたが、気のせいかもしれない。
クラウスの瞳が潤んでいるので、クラウスの声かもしれなかったし、侍女たちもハンカチで口をおさえて泣き出しているので、侍女たちのものかもしれない。
ともかく、魚を放置していると鮮度が落ちてしまう。
会話をしている場合ではないと、エニードは魚の調理を再開することにした。




