現れた、マリエット・ルトガリア様
マリエット・ルトガリア──クラウスの母の名前だ。
「元々は、フィルシャワ侯爵家の長女です。由緒正しい貴族の家だそうですが」
「ルトガリア家もそうですが、古くからある家ですね。爵位が上の貴族たちでも、長く続く王国史の中では、とり潰されたり、没落した家も多いのです。フィルシャワ家はその中でも、王国の成立時から存続している家の一つですね」
「さすがはお詳しい。僕も一応は調べたりクラウス様に尋ねたりして学んでいるのですが、まだまだですね」
「あなたは立派ですよ、キース。私は立場上、そういったことを自然に覚えただけですので」
来訪したというクラウスの母の元に向かいながら、エニードはキースにクラウスの母、マリエットについての話を聞いていた。
十六歳で嫁ぎ、十八歳でクラウスを産んでいる。マリエットはまだ四十五歳。王国人の寿命はおおよそ六十歳前後なので、故人のように扱うには若すぎる年齢である。
十八でクラウスを産んだ途端に夫が愛人を連れて出ていってしまったのだ。この広いルトガリア家に赤子のクラウスと二人で残されてしまったのだから、同情の余地はある。
エニードは、子供と女性に優しい。騎士として、か弱い者は守る必要があるからだ。
だから、マリエットにも多少は同情的になっていた。
もちろん、クラウスはマリエットのせいで苦労をしたのだろうが──。
「──お帰りください。出口はあちらです」
エニードの耳に、クラウスのものとは思えない冷たい声が響いた。
どうやらクラウスは、玄関前のホールでマリエットと揉めているようだった。
「いつも、なのですよ。といっても、前回の来訪は半年前でしょうか。大奥様が、クラウス様に相応しい結婚相手を連れてきたと言って……帰れ、帰らないの押し問答で」
「そうなのですね。結婚相手?」
「申し訳ありません、余計なことを言いました。その話はもう終わったので、いいのですが……」
「いえ、気にしないでください。色々と、大変なのですね」
結婚する相手は誰でもいいとクラウスは思っていたのだろうから、その女性でもよかったのでは。
マリエットの連れてきた女だから、嫌だったのか。
それぐらい、クラウスはマリエットを嫌っているということだろう。
「ここは私の家よ! 私の家に帰ってくることの何がいけないのかしら? あなたは、私が産んであげたのよ。偉そうに私に指図しないでちょうだい」
「産んでくれと言った覚えはありません」
「黙りなさい。私が産んであげたから、あなたはここにいられるのじゃない。あぁ、あの時は大変だったわ。私は、あなたを産んで死にかけたのだもの。お母様に感謝なさい」
二十七年も前にクラウスを産んだことを自慢し始めるマリエットに、エニードは軽く眉を寄せた。
エニードは自分に自信がある。これは、自分が自分を信じずして誰が私を信じるのか──という、騎士道に由来している。
自分を信用できずして、他者を助けることなどできないと、エニードは思っている。
だが、流石にエニードでも二十七年前──エニードは二十歳なので、まだ生まれていないが、そんな過去のことを大声で自慢したいとは思わない。
祖父も立派な人だった。騎士時代の功績もかなりあるようだったが、そんなことは一切口にしなかった。
過去を誇らしく語ったところで、今が変わるわけでない。大切なのは今、何を成すべきかということだ──と、エニードの頭を撫でながら言うような人だった。
「ならばそのまま死──」
「クラウス様、マリエット様、エニード、ただいま参りました」
クラウスが言ってはいけないことを口にしようとしていると感じたエニードは、そそくさとクラウスの横に並ぶと会話に割り込んだ。
クラウスの白い顔は、怒りでさらに白くなっているように見えた。
瞳孔が収縮し、嫌悪の表情でマリエットを見据えている。
マリエットは口元に笑みを浮かべているが、目尻はぴくぴくと痙攣していて、今にも怒鳴りだしそうな表情だった。
年齢を感じさせない、美人である。
豊かな金の髪に、長い睫毛。しっかりと化粧をしていて、肌艶はいい。クラウスも美しいが、クラウスの母も彼に似て、というよりはクラウスが彼女に似たのだろう。
優雅に羽の扇を手にしていて、高級そうなドレスを着ている。
首や頭にも豪華な装飾品をつけていて、歩く宝石箱というような人である。
「これが、あなたの結婚相手? ルトガリア家に嫁いでくるには格の落ちる家の、貧相な女ね。クラウスには相応しくないわね」
マリエットは背筋を伸ばして、精一杯偉そうにしながらエニードを小馬鹿にした。
クラウスがエニードを片手で庇うようにしながら、一歩前に出る。
「エニードに対する侮辱は、私が許さない。あなたにルトガリアの敷地を踏む権利を、私は与えていません」
「ここは私の家よ。クラウス、この女はルトガリアの至宝とまで呼ばれるあなたには相応しいとは思えないわね」
「出ていけ……!」
「クラウス様、落ち着いてください。マリエット様、確かにそうです。結婚をしたというのに、お義母様にご挨拶もせずに申し訳ありませんでした。エニードと申します。よろしくお願いします」
エニードはクラウスの背中を軽く叩いたあと、スカートを摘まんできちんと礼をした。
ルトガリアの妻として、相応しいふるまいをしなくてはいけない。
マリエットの侮辱などは、あまり気にしていなかった。
古い騎士たちの口汚い罵りのほうがずっと質が悪いのだ。エニードは慣れていたし、全員力でねじ伏せてきたので、問題はないのだが。
それに比べればマリエットの罵倒などは、小鳥のさえずり程度のものである。
とはいえ、マリエットを力でねじ伏せることはできないので、困ったものだなとは思う。
さすがに、マリエットと決闘をして、私が勝てばクラウス様に嫌味を言うのをやめて、私を認めろ──とは、言えない。
勝つのは簡単だが、騎士は女性を傷つけないのだ。




