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遅めの朝




 ジェルストとエヴァンの思い出に浸ることにも飽きてしまった。

 ラーナやシルヴィアに話したら喜ぶのだろうが、エニードにとってそれはただの、部下たちの青春の思い出でしかない。

 恋人のように親しいことは微笑ましくはあれど、それ以上の何かは特に感じなかった。

 上下左右というのは難しいものだ。

 いったん考えるのをやめて、それからちらりと部屋を見渡した。

 時計の針は、午前八時を示している。

 普段は朝の五時には目を覚まして鍛錬に勤しんでいるエニードにとって、驚くほどの寝坊である。

 

 いったいクラウス様はいつ起きるのだろうな──と、エニードは安らかに眠り続けている男の顔を至近距離でじっと眺める。

 ジェルストが確か、クラウスは二十七歳だと言っていた。

 だがその肌は、女性のようにきめの細かく若々しい。

 

 エニードが幼い頃、祖父と冒険の旅に出た時、一年中雪に覆われている地方の宿では暖をとるためによくこうして、祖父が抱きしめながら眠ってくれたものである。

 

 エニードにとって祖父の腕の中とは、何よりも安心する安全な場所だった。

 祖父は寡黙な人だったが、かといって話すことが嫌いというわけでもなく、時々ぽつりぽつりと騎士団時代の話や、それよりももっと若いころの話をしてくれた。


 あれは、楽しかったなと思う。

 

 そういうわけで、エニードは、こうして抱きしめられて眠るということに多少は慣れている。

 クラウスには、エニードのように抱きしめて眠ってくれる祖父のような人はきっといなかったのだろう。


 エニードを抱きしめたまま眠り続けているのは、もしかしたらそういった経験がないが故に、はじめて安心感を感じているからかもしれない。

 それはそうだ。祖父の腕の中が安全であったように、エニードの腕の中も当然王国一安全な場所だ。


 子犬は母犬の腹の中で眠るのだから、クラウスも同じ。

 母犬を求める、子犬のようなものなのだろう。


 そう思うと、無碍にはできない。

 夫婦として夫には親切にするべきである。クラウスはきっと疲れているのだろう。

 今日は特に予定はないはずなので、眠りたいだけ眠らせてあげようと思うし、抱きしめたいのなら好きに抱きしめさせてあげようと思う。


 それが夫婦というものである。

 妻という役割は案外大変だが、騎士団長の役割に慣れてしまった今、新たな役割というのも新鮮で悪くない。


 昨日は、夫婦の営みについては何も進まなかったが、これはエニードにも問題がある。

 きちんと男同士の愛の営みについてラーナに聞いてこなかったのがいけなかった。

 

 しかし、まだ少女のラーナにそんなことを聞くのはどうなのか。

 ──などと考えていると、クラウスの瞼が薄っすらと開いた。

 ぱちりと至近距離で、目が合う。


 瞬きをせずに人をじっと見つめる癖のあるエニードは、その綺麗な青い瞳が驚愕に見開かれて、何度もぱちぱちと瞬きをする様子を眺めていた。


「クラウス様、おはようございます」

「え、エニード……! す、すまない……!」


 がばっとエニードから離れて、床に這いつくばろうとするクラウスの手首をつかみ、エニードは悪人を羽交い絞めにする要領でクラウスをベッドに押し倒した。


「おはようございます、クラウス様」

「え、ええ、エニード、これは一体……っ」

「それは私が尋ねたいのですが。目覚めた途端に土下座をしないでください。土下座をするときは、それ相応の罪を犯した時です。クラウス様は寝て、起きた。それだけです」

「し、しかし、私は……こ、こんなに近くで、君を抱きしめて眠っていたのだ。それに、こんなに遅くまで」

「それがどうしましたか。ルトガリア家には、寝坊をすると懲罰がくだるという決まりでもあるのですか」

「ないが……私はどちらかといえば眠りが浅く、早起きの方なのだが……それに、君に悪いと思い、昨夜は少し離れて眠ったはずなのに……」


 エニードに押し倒されたクラウスは、頬を染めてエニードから視線をそらしながら、小さな声で呟く。

 昨日はクラウスよりも先に、ほぼ一瞬で眠ってしまったので、クラウスのそのような気遣いは全く知らなかった。


「クラウス様。私たちは夫婦ですので、気づかいは無用です。抱きしめたければ抱きしめればいいですし、好きなようになさってください」

「……っ、エニード、君はなんて潔い女性なんだろうか。しかし、いけない。もっと自分を大切にしてほしい。それに、私は君を大切にしたい」

「それは昨夜も聞いた気がします」

「私の気持ちは昨日も今日も変わらない」

「それは、ありがとうございます。クラウス様の考えは理解しましたが、私は抱きしめられて眠ることに慣れています。ですので、問題ありません」

「慣れ……っ」


 クラウスは何故か、赤くなったり青くなったりした。

 案外強情で、落ち着いているように見えて感情表現が豊かな人である。


「慣れているのか、エニード……そうか……」

「はい。祖父とよく共に寝ました」

「祖父……っ」


 今度は嬉しそうに、安堵したように口元をほころばせる。

 尻尾を振っている子犬を連想させる表情である。


「祖父か……そうか……」

「はい、祖父です。ところでそろそろ起きてもいいですか」

「あ、あぁ、そうだな。起きよう、エニード。今日は、領地の案内をしようと思っていた。王都ほどではないが、ルトガリアの街も賑わっている。君に、私の暮らしている場所を見て欲しい」

「えぇ、もちろんです」


 エニードはクラウスの上から起き上がり、硬くなった体をのばすために両手を広げて伸びをした。

 首を回し、肩を動かし、ベッドから軽々と降りる。

 それからふと思い出して、もう一度クラウスに挨拶をした。


「おはようございます、クラウス様」

「……おはよう、エニード」


 クラウスはゆっくりと起き上がり、気恥ずかしそうに微笑んだ。




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