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エニード、特に喧嘩はしていない夫と仲直りする



 全て話し終えたらしく、クラウスは黙り込んだ。

 それから、テーブルに頭を擦りつけるようにして、頭をさげる。


「私の謝罪を受け入れてほしいと言える立場ではないが、私は夫として、君を大切にしたい。本当に、そう思っている」

「クラウス様。よく話をしてくださいました。謝罪とは勇気のいる行いです。クラウス様の覚悟、しっかりと受け止めさせていただきました」


 許すも許さないも、はじめから別に怒っていないのだ。

 だが、クラウスを納得させるために、エニードはそう言って、にっこり笑った。


 ついでに、クラウスをよしよしと撫でた。

 驚くほどに艶やかな髪は、よくブラッシングされている毛並みのよい高級な犬のようだった。


「エニード様が無表情でクラウス閣下を撫でている……」

「クラウス閣下は圧倒的右なので、エニード様は必然的に左になります」

「ラーナちゃん、その右とか左とかいうのは一体? 思想の話か?」

「ある意味ではそうです。血で血を洗う思想の話です」

「えぇ……っ」


 ジェルストとラーナのことなど視界に入っていないように、クラウスは泣き出しそうな、きらきらした宝石のような瞳をエニードに向ける。


 エニードは、道ばたに捨てられた箱に入った子犬を前にした気持ちを味わっている。

 このきゅん、は。

 そのきゅんだ。


 クラウスにその気はないのだろうが、造形が美しすぎて切なげな顔をするだけで、雨に濡れた子犬を連想させるのである。


「エニード様、クラウス閣下を子犬のようだなって思っていますよ、絶対。あれはそういう顔です」

「俺よりも長身の、二十七歳の成人男性のどこをどう見たら子犬に……?」

「ジェルスト様も先程、閣下にときめいていました」

「ときめき……!? いや、あまりにも素直で、健気で、大丈夫かなっていうぐらい事実に気づかないものだから、つい」

「それと同じです。可愛いと思っています。エニード様はああ見えて、可愛いものが好きなのです」

 

 そうか、クラウス様は可愛いのか──と、エニードは気づいた。

 そういえば、可愛い。おそらくは気苦労の多い人生だったのだろう。

 それでも今までずっと頑張ってきたのだ。

 領地を立て直すために森に分け入り、オルターブの実を採取して、商品開発を行った。


 それはクラウスが優雅で暇で金のある貴族だからではなく、森を駆け回るのが好きな野性的な男だからでもなく、いうなれば貧乏な苦学生が日雇い労働で日銭を稼ぐのと同じようなものだったのだ。


「今までよく頑張りましたね、クラウス様。これからは私があなたを守ります。ご安心を」

「エニード。君を守るのは私の役目だ」

「クラウス様は大船に乗った気持ちで、私を妻にしておくとよいかと思います。大丈夫です。私は力持ちですので、クラウス様に立ちはだかる敵を、全て倒してごらんにいれましょう」


 エニードにとっては、最大級の愛情表現だった。

 クラウスが恥ずかしそうに頬を染めて、切なげに微笑む。

 それはエニードが想像していた、エニードに襲われるクラウスの姿だった。

 想像どおり、妙な色香がある。


「エニード様、どこの城をせめるつもりですか……? 会話になっていないですよ、エニード様」

「エニード様、素敵です……! 城を攻めて……!」


 呆れたように嘆息するジェルストの隣で、ラーナがきゃあきゃあいいながら、お手製の攻城戦と書かれた扇を取り出して、ぱたぱたと振った。

  

「ということで、全て解決しましたね、クラウス様。もう心残りはありませんか?」

「話を聞いてくれてありがとう、エニード。君はなんて、優しい人なのだろう。生涯をかけて、君を大切にすると誓わせて欲しい」

「大丈夫です。私もあなたを愛しています。妻として。人としては少し好きです」

「そ、そうか。ありがとう……こんな私を愛してくれるというのか」

「妻たるもの、夫を愛することは当然です」

「すまない……なんて心が清らかな女性なのだろう君は。……美しい上に、清らかだ。私は本当に、幸せ者だ」


 クラウスは立ち直ったようだ。

 エニードはとても満足した。身の上話は思ったよりも長くならなかったし、謝罪ももう終わり。

 あとは共同風呂に行き、軽食を食べて寝るだけである。


「それではクラウス様、ジェルスト。私はラーナとこれから共同風呂に行きますので、お帰りください」

「エニード様、俺はさすがに帰りますが、閣下を追い出すのはどうかと」

「何故?」

「いや、今の感じだと、これから一緒に食事をして、同じベッドで眠って、愛を確かめ合うところでは?」

「そうなのですか?」

「い、いや……」

 

 ジェルストに指摘されてエニードがクラウスの顔を覗き込むと、クラウスは顔を真っ赤にしてがたがたと慌てながら立ち上がる。

 それからジェルストの腕を掴み「そろそろ帰ろう」と告げた。

 それからふと気づいたように目を見開いて、エニードを凝視する。


「エニード。共同風呂に通っているのか……!?」

「そうですが」

「金がないのか? すまない、私は君に不自由をさせてしまっているようだ。本当にすまない」

「クラウス様。謝罪はもう必要ありません。私とラーナが共同風呂に行くのは、楽だからです。広いですし。クラウス様も共同風呂に入れば、あのよさが分かります」

「しかし」

「あ。駄目でした。クラウス様、共同風呂はよくありません。裸の男性がたくさんいますので」

「まさか、混浴なのか……!?」


 混浴ではない。過去には混浴だったが、風紀が乱れるので改善されたのである。

 クラウス様は意外と世間を知らないのだなと、エニードは雛の成長を見守る親鳥の気持ちで思った。


「違います。クラウス様は、裸の男性を見るのも、裸の男性に裸を見せるのも、よくないかと思いまして」

「これでもかなり、鍛えているほうだとは思うのだが」

「右と左や、上か下、そういった問題があるのです」

「どういうことだ……?」


 エニードは中々伝わらないことに焦れて、ちらりとラーナを見た。

 ラーナは両手で顔を隠して肩をふるわせている。

 笑っているのか、照れているのか、困っているのか、よくわからない仕草だった。


「クラウス閣下。エニード様は庶民派なのですよ。セツカ様は、エニード様のそういったところが気に入って……それから、心配して、俺にエニード様やラーナちゃんを見守るようにと命令したんです。まぁ、これからはクラウス閣下がいますので、お役御免ってところですけどね」


 とりなすように、ジェルストが口を挟む。

 途端、クラウスの顔がやや曇った。 


「……エニード。セツカ殿どはどういった関係なんだ?」

「どう……といわれましても。知り合いです」


 同一人物ですが。

 喉元まででかかった言葉を、エニードは飲み込んだ。

 まだ気づかない。どうかしている。


「クラウス閣下は、セツカ様のことはもう忘れるのですよね? どうして気にするのですか?」

「それは、その……セツカ殿は非の打ち所のない素晴らしい男性だろう? エニードも恋をするのではと」


 ラーナが、やや震える声で聞いた。

 笑うのを必死に我慢している様子だった。


「大丈夫ですよ、閣下。じゃあ、帰りましょうか、一緒に。俺が家までお送りしますよ。これでも騎士ですからね」

「それがいいですね。クラウス閣下のことをよろしくお願いします、ジェルスト様」

「任せて、ラーナちゃん」


 ジェルストも笑うのを必死に我慢している様子だが、顔にもう限界だと書いてある。

 クラウスの背中を押すようにして、ジェルストはクラウスを連れて出て行った。

 

「おやすみなさい、クラウス様」

「あ、あぁ、エニード。共同風呂はよくない。危険だ」

「わかりました」


 クラウスは可愛いが、少し面倒くさいなと、エニードは思う。

 共同風呂は特に危険ではない。シルヴィアも通っているぐらいなのだから。

 そもそも、王都の治安はエニードが守っているので、そんなに悪くない。

 時々量産型悪人が出現するぐらいのものである。


 クラウスとジェルストが完全にいなくなると、ラーナが「ぷは……っ」と、息を吐き出した。


「エニード様。とても愉快な方ですね、クラウス閣下という方は」

「愉快だったか?」

「はい。城攻めの話までしているのに、エニード様がセツカだと気づかないなんて……怪力で城攻めができるごく普通の伯爵令嬢だと思われていますね、エニード様」

「城攻め程度ではない。一国も落とせる」

「ええ、そうですね、エニード様。格好いいです」


 とりあえず、共同風呂に行こうと、ラーナと話し合う。

 土産の化粧品を渡すと、ラーナは飛び上がるようにして喜んでいた。

 




 



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― 新着の感想 ―
[一言] 「城攻め程度ではない。一国も落とせる」 これは惚れるしかないですね
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