エニードの提案
――立場上、そういったことに偏見があるわけではない。
よくあるのだ、そういうことは。
けれど、まさか夫も――男性が好きだとは、思いもよらなかった。
だから、誰でもいいから結婚相手を探していたのかと、エニードは考える。
それならそうと、先に言って欲しい。
まぁ、先に言ってしまえば、断る女性の方が圧倒的に多いのだろうし、公爵閣下という立場的にそんなことは口が裂けても言えないのだろうが。
「これは、私と君だけの秘密にしてくれ」
「はい」
頷くしかなかった。
「三年前だ。私は、王家の晩餐会に参加していた。そこで、争乱があっただろう?」
「ええ、はい」
それはよく知っている。当時、エニードは十八歳。
すでに今の仕事に就いていて、王家の晩餐会の日はエニードにとってはとても忙しい日だった。
なにせ、貴人たちが集まるのだ。
高貴な身分の者が集まる場では、問題が起こりやすい。
その時は、確か。
「王弟が、王家を打倒するために魔物使いを雇い、大広間に魔物を放ったのだ。その時私は、魔物に食い殺されそうになった。そんな私を、颯爽と現れて守ってくれたのが、騎士団長セツカ殿だった」
「そうなのですね」
それは、私だと、エニードは思った。
王国騎士団騎士団長セツカ。
それは、十五の頃から男装して騎士団で働いていたエニードのことである。
何故エニードではなくセツカというかといえば、エニードは別に本名を隠しているわけではないのだが、戦う姿が美しい、まるで雪の花のようだと――雪花、セツカとあだ名がついているだけである。
エニードのことをエニードと呼ぶ者は少ない。
皆がセツカ、セツカと呼ぶので、エニードも自分がエニードであることを忘れそうになるぐらいだ。
あの時は大忙しで、自分が誰を守ったなどとそんなことは覚えていない。
王弟を捕縛し魔物を倒し、ようやく落ち着いたときには、騎士団本部には『セツカ様へ』とたおやかな文字で書かれた手紙が同封された、女性たちからの贈り物がわんさか届いていた。
エニードは、ドレスを着るよりも剣を持つ方が好きな少女だった。
これは、エニードの亡くなった祖父に原因がある。
祖父もまた、騎士をしていた。退役してからは、伯爵家にはほぼ不在で、国中を冒険して歩く、冒険者になっていた。屈強で強い武人だった。
エニードは祖父が大好きだった。祖父もまた、エニードを可愛がった。
幼い頃は冒険に連れまわされて、祖父が病になってからは、伯爵家で剣の訓練に付き合ってもらい――気づけば、エニードも立派な剣士へと成長していたのである。
両親に無理を言い、騎士団へと入団した。
その当時は男装をしており、自分が女であることは隠していた。
騎士団長になった今は、騎士団の者たちは知っているが、私は女だと言いふらして歩いているわけではないので、知っている者は知っている程度のことである。
それにしても。
「セツカ殿ほど美しい方を私は知らない。私は恋に落ちたが、セツカ殿は男性。結ばれるはずもない。しかし、この思いは消せない。公爵としての役割を果たさなくてはいけないために君を娶ったが、セツカ殿を愛している以上、君を愛することはできないのだ」
「分かりました」
それは、私なのだが――と、思いながら、エニードは頷いた。
騎士団で働いている時のエニードは、顔を隠しているわけではない。
髪は結んでいるし、化粧もしてない。軍服を着ているが、エニードがセツカであることぐらい、顔を見れば分かるだろうと思う。
クラウス様は――大丈夫だろうか。
それが、事情を知った時のエニードの、まずはじめの感想だった。
「教えてあげればよかったではないですか、エニード様。私はセツカだって」
「いや……あまりに信じているものだから、夢を壊すのが忍びなくてな」
「むしろ喜ぶのではないですか?」
「男としてのセツカが好きなのだろう? 実は女だと知ったら、哀れだ。あぁ、そうだ。これは秘密だったんだ。ラーナだから話した。秘密だ」
「分かってますよ、エニード様。誰にも言えませんよ、こんなこと」
ラーナがみたらし団子をぱくぱく食べながら言う。態度は軽いが、ラーナの口は固い。
みたらし団子が勢いよく消えていく。
エニード様のために用意したと言いながら、いつもラーナの方がよく食べる。
甘いものがあまり好きではないエニードは、紅茶を飲んで、軽く肩を竦めた。
「私とセツカ、そんなに違うか?」
「普段、エニード様は着飾りませんからね。ネグリジェを着たエニード様、見たかったなぁ。さぞ美しいんでしょうね。普段の寝衣を、ネグリジェにしましょうか」
「駄目だ。有事の際に、あのような薄着で外に出るわけにはいかない。もちろん、危険があれば裸だろうが下着だろうが戦うが、あえて薄着をする必要はない」
「残念です……裸や下着で戦わないでください、エニード様」
初夜でのことを話すと、大きな声で腹を抱えて笑っていたラーナは、少し冷静になったらしい。
不思議そうに首を傾げながら、エニードに尋ねた。
「それで、どうなったのですか? どうしてエニード様はここにいるのですか?」
「それから、話し合いになったんだ。私はクラウス様がセツカを愛していることを了承した。結婚は契約であるから、構わない。子は、可能なら作って欲しい。それから、私も自由にさせてもらうと」
「自由にさせてもらう……?」
「あぁ」
事情を知ったエニードは、まず考えた。
エニードも、クラウスに我儘を言おうと思っていたのだ。
まだ、騎士団を辞めたくはない。
だから、できれば騎士団長を続けながら、妻でいたいと。
しかし、騎士団長セツカが自分だとは、言えない。クラウスの夢を壊したくはない。
だから「それでは、こうしましょう。子作りは可能ならばお願いします。私の両親の望みだからです。それ以外はあなたはお好きになさってください。私も好きにさせていただきます。時々公爵家からいなくなりますが、気になさらないでください」と、お願いをした。
理由は言えない。王都の騎士団本部に行き、騎士団長として働きたいということは秘密である。
幸いにして、公爵家は王都の近郊にある。
馬でせいぜい数刻程度。通うことは可能だが、時々の外出が許されれば、元のように王都にあるエニードの家に滞在しても問題はないだろう。
「それで、初夜の翌日に出奔してきたのですか」
「出奔ではない、外泊だ。許可も得ている」
「それって、クラウス様はどう思ったのでしょうね?」
「どうといっても。よかったのではないか、私がいないほうが、心置きなくセツカに片思いをできるだろう」
さすがに、次にセツカを見た時には、セツカがエニードであると気づくだろうが。
そう――エニードは楽観的に考えていた。
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