ふられるエニード
明け方までああでもないこうでもないと話し合っていたシルヴィアとラーナを尻目に、眠くなったエニードは部屋に戻ってぐっすりと安眠をした。
朝になると、せいだいな隈をつくったラーナが朝食の準備をして、学校へと向っていった。
大丈夫かと心配したが「こんなことは慣れています」と言っていた。
徹夜に慣れるなんてよくないことだなと思ったが、ラーナももう大きいのだ。
あまり生活に口を出すのはいけないと、エニードは注意したくなる気持ちをぐっとこらえる。
そもそもシルヴィアを招いたのはエニードで、ラーナは相手をしてくれたのだから感謝をしなくてはいけない。
途中から理解できない話題になったので眠ってしまったけれど。
二人は軽薄な男と堅物の男ではどちらが上か下かで話し合っていたようだった。
上か下かと言ったり、右か左かと言ったり、ラーナの住んでいるのは上下左右に厳しい世界であるようだった。
昼過ぎまで眠っていたシルヴィアがゆったりと起きてきたので、城に送るために準備を整えた。
ドレスにしようか軍服にしようか迷い、休暇で軍服を着るなとラーナに言われてはいるものの、シルヴィアの護衛なのだからと、軍服を選んだ。
髪を結い上げてセツカの姿になる。
とはいえ、エニードにとってはセツカもエニードもさして変わりはないと今まで思っていたので、セツカの姿になった――という意識はあまりないのだが。
クラウスの目が節穴というだけである。
「では、シルヴィア様。城までお送りします」
ラーナの作り置きしておいてくれたサーモンサンドをシルヴィアと共に食べたあと、エニードはシルヴィアを馬で送ろうとした。
けれど「せっかくなので歩きたい」とシルヴィアが言うので、城まで歩くことにした。
エニードの家は立地条件で選んでいるので、城までそう遠くない。歩いて行ける距離ではある。
とはいえ、シルヴィアを歩かせるのは――と思ったけれど、シルヴィアは「わたくし、よく一人で歩いておりますのよ」と恐ろしいことを言う。
「せめて護衛をつけてください、シルヴィア様」
「嫌ですわ。いかめしい護衛などつけようものなら、人々の噂話を聞くことができなくなってしまいますもの」
などと我が儘を言うので、エニードはきゅっと口を閉じるしかなかった。
エニードの騎士団が守る王都で恐ろしい犯罪など起らないで欲しいものだが、王都は人が多いのだ。
人が多い分危険もある。
もっと巡回の兵を増やすべきかと考えながら、城までの道を歩いた。
「ところで、きょうはドレスではないのですわね、エニード様」
「はい。今日は護衛ですので。ドレスに帯剣をすることはあまりありません。私は肉弾戦も得意ですが、あえてドレスで戦う意義がありませんので」
「ドレスで肉弾戦をするセツカ、見たいですわ」
シルヴィアはエニードが軍服でいることをとても残念がっているようだった。
「ときに、エニード様。エニード様は男と偽り士官学校に入っていたという噂は本当ですの?」
「本当です」
「まぁ……っ、その話、詳しく」
「話すようなことはとくには」
「では、いつ女性だと知られてしまいましたの?」
「風呂に入っていたときです。その当時、士官学校で同室だったアランが」
「アランというと、辺境伯の?」
騎士団に入団する前は、騎士たちは二年間ほど士官学校に通う決まりだ。
このときの騎士団での身分は、見習い騎士ということになる。
アラン・ランドルフは辺境伯家の長男である。
辺境伯家を継ぐ勉強のために、士官学校に入学した。
士官学校の寮は下級生の場合は二人で一部屋という決まりがある。中には貴族の子息もいるのだが、徹底的に集団行動を学ばされるのが士官学校なのだ。
上級生になると一人一部屋、今まで頑張ったご褒美として与えられるのである。
そんなわけで、最初の一年間、エニードはアランと同室だった。
とても生真面目な男だったので、風呂場で女だと発覚したとき、アランは顔を真っ赤にして「誰にも言わない、絶対にだ! すまない、エニード、本当にすまない!」と大声をあげた。
普段冷静な男にしては異様な慌てようだった。
その後、嘘が下手すぎるアランの態度のために、エニードの秘密は正式に騎士団に入団する頃には、いつの間にか士官学校中に知れ渡っていた。
そして、特に咎められることもなかった。
なぜならその時のエニードは、士官学校中の中でも誰にも負けないほどに強かったからである。
ああいう場所は、力こそ正義。
強さが認められれば、ある程度のことは許して貰えるのである。
「あら……まぁ……それはそれでいいですわね……男装令嬢との間に芽生える禁断の、恋!」
「特になにも芽生えませんでしたが」
アランとは今でも親友である。辺境伯家に戻ってしまったので、会うことはほとんどないが。
「そもそも、騎士たちと私は同志。そこに男も女もないのですよ、シルヴィア様」
「火のないところに、煙を立てていきたいのです」
「そんな、真っ直ぐな瞳で言われても」
火のないところに煙は立たないのだ。
火種がなければ、火はおこせない。
エニードが裸で寝ていたとしても、アランやジェルストとの間には何も起らない。
まぁ、何か起ろうものなら、エニードは相手の腕を折る自信があるのだが。
そもそも裸でなど寝ない。不用心だからだ。
「シルヴィア様、私は既婚者です」
「ええ、残念なことに……」
「残念がらないでください。そしてクラウス様は……」
「存じ上げておりますわ。だって、お風呂でじっくりお話を盗み聞きしていたのですから。とても、愉快な……いえ、困ったことになっておりますのね」
「今、愉快と言いませんでしたか?」
「うふふ……」
シルヴィアはエニードの腕に自分の腕を絡めた。
同じ女性でもドキッとしてしまう仕草である。
話をしていたからか、いつの間にか城門手前の大橋にさしかかっていた。
腕を組んで歩いていると、前方に――何故かクラウスがいることに気づく。
どうにも、よく会うものである。
クラウスは大橋の欄干に背中を委ねて立っている。それだけでも絵になる美しい立ち姿だった。
「あら、クラウス様ではありませんの。邪魔をしてはいけませんわね。わたくしは、これで」
「シルヴィア様、城の中まで送ります」
「それにはおよびませんわ。では、ごきげんよう」
シルヴィアはエニードに別れを告げて離れていった。
シルヴィアに会釈をすると、クラウスはエニードの元に真っ直ぐに向ってくる。
一体何だというのか。
もしや、愛の告白なのか。このような、目立つところで。
エニードの頭の中に、昨日のシルヴィアとラーナの会話が巡った。
果たしてクラウスはどちらなのか。襲われたいのか、襲いたいのか。どちらだ……!
「セツカ殿」
「奇遇ですね、クラウス様。よく、お会いします」
昨日の今日である。よく会いすぎるなと思いながら、エニードはいつも通りの淡々とした声音で返事をした。
クラウスは何か、思い詰めた顔をしている。
何事だろうか。やはり、告白だろうか。
クラウスの向こう側で、シルヴィアが足を止めている。帰らないで見ているつもりだ。
なんて好奇心の旺盛なお方なのだろう。
「――セツカ殿、本日はあなたにお別れを言いにきた」
「は……?」
お別れを言いに来たといわれても、クラウスとはまだなにもはじまっていないのだが。
今まさに、大橋で偶然出会ったばかりである。
唖然とするエニードを置き去りにして、クラウスは恋に破れた乙女のような切ない表情を浮かべた。