12.子犬と私とライオネルと
いつの間にか、祭りに知らない子犬がまぎれこんでいた。ライにそっくりなその可愛い子犬は、山神様の祭壇のすぐ前できちんとお座りしている。
「え、ライ!? ……って、ライはライオネルだから、そんなはずは……あら、だったらあの子は、いったい誰?」
「僕にも分からない。おいで、そこのおちびさん」
ライオネルが呼びかけると、ライによく似たその子犬がとことこと歩み寄ってきた。
「見れば見るほど、ライとそっくり……あ、でもこの子は雌だわ」
子犬は抱き上げられてもおとなしくしていた。はっはっと息を吐きながら、小さな尻尾をぶんぶんと振っている。とってもご機嫌だ。
「ふんふん……この子からは、人間の匂いはしない。本当にただの犬、だと思いたいけれど……でも、かすかに感じるこの匂いは……」
ライオネルは子犬の頭に顔を寄せ、真剣な顔で匂いをかいでいる。それからぱっと顔を上げ、山をじっと見た。
「うん、ここで悩んでいてもどうしようもないし、ちょっと聞いてくる」
そう言うなり、彼はすっと息を吸った。彼の姿が薄れ、大きな犬の姿がそこに重なり……そこには、あの凛々しい犬が立っていた。
と、周囲の村人たちから陽気な歓声が上がる。
実は彼、今までにも何度かこの姿を披露してしまっていたのだ。去年とかおととしとかの祭りで盛り上がった拍子に。
僕は運よく人に戻れたけれど、戻れないこともあるんだよ、という脅し文句をつけてはいたけれど、たぶん村人たちはとびきりの見世物だと思っている気がする。
ともかくそんなこともあって、彼は村人の前で姿を変えることをあまり気にしていない。
「ええと、いってらっしゃい……」
私のほうにくいと顎をしゃくってから、彼はしなやかな動きで縄を飛び越え、森の奥に消えていく。そのふさふさの尻尾を、子犬と一緒に見送った。
「まさかと思うけれど、山神様に聞きにいったのかしら……」
ぽつりとつぶやくと、腕の中の子犬がきゅうん? と小首をかしげて鳴いた。
それから少しの間、私は子犬と一緒に祭りを楽しんでいた。いつの間にか増えていた子犬を、みんなとっても可愛がってくれた。子犬もまんざらでもないようで、ひときわ愛想よくふるまっていた。
この子、ライよりもちょっとませているかもしれない。ライはひたすら無邪気だったから。
そんなことを考えながらふらふらしていたら、ライオネルが歩み寄ってきた。人の姿で。
「ただいま。大体のことは分かったよ」
「おかえりなさい。……あの、もしかしてなんだけど……山神様に聞きにいってたの? この子のこと」
「もちろんそうだよ。その子から、かすかに山神様の匂いがしたから」
あっさりとそう答えたライオネルに、思わず子犬と顔を見合わせる。子犬はきゅん、と鳴きながら、ふいと斜め上を向いた。表情豊かな子だ。
「本当にもう、あなたったら思い切りがいいんだから……この子もあきれてるわ」
「ああそうそう、その子なんだけどね」
まったく悪びれたところのない顔で、ライオネルは子犬を私の手から受け取る。
「この子、山神様の使い……というか、贈り物なんだってさ」
「え?」
あの騒動を経たことで、私はもうちょっとやそっとのことでは驚かないだろうと思っていた。それなのに、ついうっかり裏返った声が出てしまった。
私たちは頑張って、人間が山神様に近づかないようにしてきた。山神様の言いつけ通りに。でも、だからって、山神様が私たちに贈り物を?
「山神様は、僕たちの働きに満足されてるみたいなんだ。だからこれからも、僕たちにこの地を治めて欲しいって。この子はその感謝の証で、そして協力者」
「協力者? さっきからもう、話についていけないのだけれど」
「この子も大きくなったら、僕みたいに立派でかっこいい犬になるっていう話さ。そうしたら、山神様へのお使いなんかも頼めるようになる。僕たちみんなで、山神様の使命を果たすんだ」
その言葉にこたえるように、彼の腕の中で子犬がきゃんと鳴いた。どことなく誇らしげな顔をしているように見えるのは、気のせいだろうか。
「……だったらこの子は、これから私たちと一緒に暮らすのね?」
「ああ、そうだよ」
きゃうんきゃうん!
ライオネルの声にかぶせるようにして、子犬ははしゃいだような声を上げた。くるんと巻いた小さな尻尾を、ちぎれんばかりに振りながら。
その姿を見ていると、自然と笑顔になってしまう。ライオネルも、それは幸せそうに笑っていた。
もう一歩、ライオネルに近づく。騒がしい祭りの中でも、二人きりで話せるように。
「だったら、名前をつけてあげましょうよ。……ライによく似た女の子だから……ライラ、というのはどうかしら」
そう提案すると、ライオネルは興味深そうに目を見張った。
子犬も元気よく尻尾を振りながら、ライオネルの腕の中でもぞもぞしている。。
「素敵な名前だね。本人もまんざらじゃなさそうだ」
「ふふ。よろしくね、ライラ」
私の呼びかけに、ライラがまたきゃんと吠える。ああ、可愛いなあ。ちっちゃなライも、こんな感じだった。
犬のほうのライオネルが大きくなってしまって、かっこいいけれどちょっと残念だった。なので、この可愛い姿をまた見られるのはとっても嬉しい。
ライラが大暴れして、ライオネルの腕から飛び出した。彼女を抱き留めて、頭をなでてやる。
気持ちよさそうに目を細めてぐうんと頭をすりつけてくるライラが、この上なく愛おしい。
と、その時あることに気がついた。
「……ところで、どうしてあなたは難しい顔をしているの?」
なぜかライオネルが、ふてくされたような顔をしている。彼にしては珍しい表情に、思わず首をかしげてしまう。
そうしたら彼は、頬を膨らませてぼそぼそとつぶやいた。
「今まで、ナディアに頭をなでてもらえるのは僕だけの特権だったのに……」
一人前の男性で、しかも貴族の家の当主とは思えない言葉に、ついつい笑いがこみ上げる。
「もう、ライオネルったら! ……屋敷に帰ったら、いくらでも頭くらいなでてあげるわよ」
ひそひそ声でささやきかけると、ライオネルはとろけるような笑顔を見せた。
彼がこんなに甘えん坊だということは、結婚してから初めて知った。でも、そんなところもやっぱり愛おしい。
そうやってライオネルと見つめ合っていたら、ライラがまたほえた。もっとなでろと催促しているらしい。
ちいちゃな頭をよしよしとなでながら、かすかな声でつぶやく。独り言のように。
「ライラはうちの子になるのね。……だったら、この子のお姉さんになるのかしら」
「ナディア、この子って誰のこと?」
けれどそのつぶやきは、ライオネルの耳にも届いていたらしい。彼は不思議そうな顔で尋ねてきた。でも、答えが口から出てこない。
「あれ、どうしたんだい? 急に黙ってしまって」
いつかは言わなくてはいけない。でも、どうにも気恥ずかしい。だから今まで、彼に話せずにいた。でも、今こそ言わないと。
ライラをぎゅっと抱きしめて、ふわふわの毛に顔をうずめるようにしながら声を絞り出す。
「……その……子供が、できたの……」
「……え?」
「私たちの、赤ちゃん……」
どうにかこうにかそう言ったとたん、がばりとライオネルが抱きついてきた。彼の腕の中に、ライラごと閉じ込められてしまう。
「うわあああ!! やったああああ!!」
そしてライオネルは、いきなり叫び出した。周囲の村人たちから、困惑したような声が聞こえてくる。
「みんな、聞いてくれよ!! 僕、父親になるんだよ!!」
そんな村人たちに、ライオネルは遠慮なしの大声をぶつける。目いっぱいの喜びが詰まった、最高に浮かれた声を。
たちまち辺りは、歓喜の叫び声に包まれた。たくさんのおめでとうの言葉が、辺りに飛び交う。私とライオネルを祝福してくれている、とても温かな思いと言葉だ。
「……みんな、はしゃぎすぎよ。……あんなに喜んでもらえるなんて、思いもしなかったわ。……でも、嬉しい」
今日のお祭りは、どうやらとんでもなく盛り上がりそうだ。ライオネルの胸に額をこつんと当てて、小さく微笑む。
ライラがきらきらした目で、私を見上げていた。