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10.幸せな夫婦は今日も一緒に

 そんな騒動から、数年後。


「ナディア、今日のお祭りの準備はどんな感じ?」


 私の……私たちの屋敷の一室で書類を読んでいた私のところに、当主の正装に身を固めたライオネルがひょっこりと顔を出した。


 当主となった今でも、彼は相変わらず軽やかで人懐っこい。


 けれど、以前にはなかった威厳のようなものも漂わせるようになっていた。当主の正装が、思わず見ほれるくらいによく似合っている。


「ええ。もう飾りつけも料理の準備もできてるし、あとは近くの村のみんなが来てくれればいつでも始められるわ」


 私も祭りのため、当主の妻にふさわしく着飾っている。その姿を彼に見せようと立ち上がり、ドレスのスカートをつまんでみせた。


 ライオネルはぱあっと顔を輝かせ、私のそばまでやってくる。


「ああ……本当に綺麗だよ、ナディア。普段の君も美しいけれど、こうやって着飾ると、まるで女神様のようだ……」


 うっとりとそうつぶやいて、けれどすぐに真顔になる。


「こんな素敵な女性が僕の妻だなんて、夢でも見ているんじゃないかって思う時がある」


「もう、ライオネルったら。三日に一回くらい、それを聞いている気がするわ。結婚してもう何年も経つのに」


「仕方ないだろう、君は素敵なんだから。昔から、ずっと」


 そうして、二人で笑い合う。


 実のところ、私もライオネルのことをとやかく言えない。こうやってちょっとしたお喋りができる、そんな幸せを毎日のようにかみしめているのだから。ただ、口に出さないだけで。


 ライオネルの幸せ、私の幸せ。ほんの少し何かが違っていたなら、きっと壊れていたであろう幸せ。あの日の騒動を乗り越えて、もっと強くなった幸せ。


 それが今では、ずっとそばにいてくれる。


「……あの騒動から、もう数年になるのね。まるで昨日のことのよう」


「僕が子犬になって、君のおかげで人に戻れて……そうして、やっと君と結婚できて」


「そうしてあなたが、お父様の跡を継いだ。私たち夫婦で、この地を治めていくことになった」


 私たちが結婚してすぐに、お父様は代替わりを決めた。


 私はいざとなったらお父様の跡を継げるように、領地の統治に必要なあれこれは一通り叩き込まれている。


 ライオネルも、山神様との約束を守るためにより一層勉強に励んでいた。


 そして私たちは、子供の頃一緒に遊んでいたように、二人でしょっちゅう勉強会を開くようになっていた。結婚前も、結婚してからも。


 そんな私たちを見てお父様は、これなら安心して領地を任せられると判断したらしい。面と向かって聞いたことはないから、確かではないけれど。


「……そういえば、クラウスがどうなったかって聞いてる?」


 過去の思い出に浸っていたら、ふとライオネルが声をひそめた。


「知らないわ。どうしたの?」


 聞きたいような、聞きたくないような。


 あの日ライオネルに脅されてからというもの、クラウスは私の前に姿を現してはいない。あの非現実的な一幕が、よっぽどこたえたらしい。


「……実はさ、まだ君に未練があるらしいんだ」


「嘘でしょう!? 私、もうあなたの妻なのよ!?」


 思いもかけない言葉に、ついつい声を張り上げてしまう。


「それが、本当なんだ。どうも彼、君の条件がよっぽど気に入ったらしくて……僕たちが離婚しないかって、今でもこっそり情報を集めてるみたいで」


「……とんでもない執念ね」


「みんな、そう思ってるみたいだよ」


 彼はそう言って、私の手を取った。


「彼はサロンで徐々に孤立しつつあるし、年頃の令嬢にも避けられてるみたいだ」


 以前クラウスが見せた、あまりにも自分勝手な態度を思い出す。


 私は拒んでいたのに、彼は私と結婚し、この屋敷と領地、そして山神様の山までもを好きなようにするつもりでいた。


「……大丈夫、よね。またここにやってきたりは……」


 ふとそんな弱音を漏らした私に、ライオネルは優しく、しかしいたずらっぽく笑いかけてくる。


「しないと思うよ。以前の脅しがびっくりするくらいに効いたみたいでさ。僕とうっかり顔を合わせようものなら、真っ青になって逃げてしまうんだ」


「あの時のあなた、とっても強そうだったから、それも無理はないわ」


 そう答えて、空いたほうの手を伸ばして彼の頭をそっとなでる。子犬のライに、かつてよくそうしていたように。


「今では犬のほうのあなたもすっかり大きくなって、あの時の素敵な姿になったものね。……小さなライも、懐かしいけれど」


「そして僕は、君になでられるのがすっかり好きになってしまった」


 ライオネルは気持ちよさそうに目を細めている。そうしていると、犬というより猫みたいだ。


 誰も見ていないのをいいことに、私はそうやって彼の頭をなで続けた。トースト色の髪がちょっと乱れてしまったけれど、気にしない。


 それはそうとして、一つ気になることもあった。


「……でも、そうやって私に執着していたら、クラウスの婿入り先はいつまでも見つからないんじゃないかしら?」


「それはあるかもしれないね。もっともその前に、彼は家を叩き出されるかもしれないって話だけど」


 またしても思いもかけない話に、ライオネルをなでていた手が止まってしまう。彼は私をまっすぐに見つめ、静かな声で続けた。


「彼の親が、いい加減じれているみたいなんだ。家を継ぐのは彼の兄で、そしてあの家には彼を養っていけるだけの余力はない。……というか、クラウスが無駄に贅沢好みで金食い虫なのが問題なんだけどね」


「そうなの……確かに彼は、驚くくらい豪華な身なりをしていたけれど」


 ライオネルの言葉に、つい難しい顔をしてしまった。彼がくすりと笑って、顔を近づけてくる。


「彼のことが気になる? 僕の奥さんは優しいね」


「ごめんなさい、白状してしまうと……クラウスが早くどこかに落ち着いてくれればいいのにって、そう思っているのよ」


 彼の顔が近くて、どうにも恥ずかしい。そっと視線をそらしながら、小声で喋る。


「そうすれば、彼が私たちにちょっかいをかけてくることもないでしょう? 優しいどころか、思いっきり利己的よ」


「はは、正直だね。よく言えました」


 また笑って、彼は私の額に軽く口づけをする。


 彼と夫婦になってからもう長いのに、今でもこうやって彼に触れられるとどきどきしてしまう。結婚する前と同じように。むしろ、それ以上かも。


「でも、僕も似たようなものさ。どこかで別の令嬢が苦労すると分かっていても、それでもクラウスがこちらにこなければいいと強く願っている」


「似た者同士ね、私たち」


「そうだね」


 顔を寄せ合って一緒に笑っていたら、扉がこんこんと叩かれる音がした。


「どうぞ」


 私をしっかりと抱き寄せて、ライオネルが朗らかに答える。


「ふふ、今日もお二人は仲がよろしくて……嬉しゅうございます」


 部屋に入ってきたのは、ばあやだった。私たちが結婚して一緒に暮らすようになってからも、ばあやはこうやって私の面倒を見てくれている。


 ばあやはそれは嬉しそうに微笑んでから、ちらりと窓の外を見るような仕草をした。


「ところで、村人たちからの伝言が来ていますよ。みなさま、もうお集まりのようです。お二人のお越しを今か今かと待っておられるとのことで」


 そうしてばあやは、ゆったりとした足取りで去っていく。扉がぱたんと閉まったところで、ライオネルが残念そうに笑った。


「ああ、もうそんな時間か。君との時間をもっと楽しんでいたかったんだけどな」


「私もよ。でも、夜になればまた二人きりになれるわ。だから今は、ちゃんと当主夫妻としての仕事をこなしましょう」


「そうだね。……それじゃあ、行こうかナディア」


 そう言って、ライオネルは手を差し出してくる。その大きな手に自分の手を重ねて、にっこりと微笑んだ。


「ええ、ライオネル。二人で、一緒に」

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