『覚醒』
「この記事が世に出たら、あんたの一つ星とったこの店だって、すぐ潰れちまうのはわかるよなぁ?」
男は誰もが聞くだけでいらつくような口調で、この店のオーナーシェフである土屋唯に問いかける。
「そんな……」
男に渡されたゲラ刷りとその記事の内容を裏付ける資料を、唯はまばたきもせずに何度も何度も読み返す。厨房には紙をめくる音だけが、やけに大きく響いた。
しばらくして、唯はバサリとその紙の束を床に取り落とす。余程衝撃的な内容だったのか、呆然とした様子である。
「へへっ。いい大人のオンナなんだ、どうすればいいか分かるだろぉ」
男は劣情を隠すそぶりもなく、細い腰つきのわりにコックコートを押し上げる豊満な胸をなめまわすように眺めている。
「…………」
なんの言葉も出さない唯の態度を了承と受け取った男は、唯の腰に手を回し自身の腕の中へと引き寄せそのまま口づけた。
唯も諦めたのか男の舌の侵入を受け入れ……。
「……むぐ!ぐっぎゃ!」
男は激痛にパニックを起こし、床を転げ回る。やがて気管に血液が入ったのか激しくむせ込んでいる。
唯はそんな男の姿を気にもせず、咀嚼し、白い喉が小さく震え、男の舌だった肉を嚥下した。そして……。
「るーるーら るーるーらぁ」
唯は歌いながら床に散らばった紙を拾い集めた。そしてその内の一枚、唯と良く似た顔の女性の写真が印刷された紙を大事そうに抱きしめる。
「……捨て子じゃなかった。ちゃんと愛されて、ううん、深く深く愛されてたぁ……」
男が唯を脅迫するために用意したものは唯の出生に関するものであった。唯の実の母親は『現代の鬼子母神』と言われた連続幼児殺害と遺体損壊で逮捕され、現在服役中の死刑囚『伴悔 真理亜』である。
伴悔真理亜は幼い頃に両親を亡くし、家族愛に非常に餓えていた。成人して少し過ぎた頃、真理亜の美貌が地元名士の男に見初められ、結婚した。が、なかなか子宝に恵まれず、真理亜は義理の両親に『うまずめ』『やくたたず』などの暴言を毎日何度も受けるようになる。
何年も黙って耐えた甲斐もあり、ついに真理亜は妊娠した。義理の両親、夫も今までの言葉による真理亜への虐待も無かったこと様に喜んだ。
その喜びも長くは続かなく、胎児が多臓器不全でまず無事に育つことがないと分かると、また真理亜への虐待を開始した。
そして、真理亜は、壊れた。
母子共に出来損ないと繰り返す義理の親二人と夫を殺害。そのまま、近隣の公園で遊んでいた幼児五人を、殺害した上にその遺体を損壊した容疑で逮捕された。損壊された遺体からは、真理亜の歯形との一致が検出された。
健康な幼児の血肉を食すれば、自身の身ごもった子が健康になると狂信していたようだった。
その家族への愛、我が子への狂愛はなんの因果か、医学的にはありえない奇跡を起こした。神による愛に狂った母親への憐れみ?たくさんの幼い命を捧げた悪魔からのご褒美?
真理亜は服役して間もなく、絶望的と言われ続けた子を無事健康な娘を出産した。
真理亜の子は、すぐに養護施設に預けられ真理亜の望んだ『唯』という名前と養護施設長の名字『土屋』を合わせ『土屋唯』と名付けられた。
「幼い頃から頭に響く、歌声。胎内で聞いていたママの歌声だったのね。甘露な血の味、肉の旨味、ママの喜びの感情。愛ね……。んん、るーるーら るーるーらぁ」
舌を食いちぎられた痛みを忘れるほど、ガチガチと恐怖に震える愚かな男。
「るーるーら るーるーらぁ
血抜きをしましょう
もも肉もも肉はコンフィに
すね肉すね肉、シチューかなぁ
るーるーら るーるーらぁ
陰茎、精巣はオレガノ、タイム
マージョラムでブラッドソーセージ!
るるらるるらるるらるるらららぁぁ」
胎内で覚えた血の味に目覚めた唯は、もう止まらない……。
近い未来にオープンする、予約制肉料理専門店の総料理長誕生の日であった。