マチコが預かっていたその手紙は
ある日、マチコが朝から部屋の掃除をしていると、慌てた様子のありすが部屋に駆け込んできた。
「おばさま!」
「――ありす様。おはようございま……」
「セイがどこにもいないのです! おかしいわ、朝のお散歩かしら、でも、いままでわたしが眠っている間に行くことはなかったのに……」
焦るありすを見ながら、マチコは神妙な表情になった。
「ありす様」
「おばさま?」
マチコはエプロンのポケットから、真っ白な封筒をとりだした。
「あの子が……たぶん、最初で最後に、書く、手紙でございます。ありす様に、渡してほしいと、預かりました」
「セイの……?」
彼女は、セイがありすに手紙を書くつもりであったこと、そうして自分がセイに頼まれて字を教えたことなどをとつとつと語って、封筒を渡した。
ありすは閉じられた封筒を開き、不器用に、しかし丁寧にたたまれた便箋を開くと、手紙を読み始めた。
「――――ありすへ」
『ありすへ。
僕は、字を知らないから、母さんに教わりながら、この手紙を書いているけれど、読みにくかったり、間違っていたりしたら、ごめんね。
ありすも知っていると思うけれど、この森は、なくなります。
母さんに聞いたけれど、ありすのお父さんは、また、別のところに別荘を建てると言っていたらしいから、山や森の好きなありすは、きっと喜ぶね。
僕はまた、住む森を探して、旅に出ます。
やっぱり、僕の生きるところは、森だと思うからね。
まだ、ありすは小さいから、きっとたくさん悩んだり、考えたり、すると思うけれど、ありすにも、きっと、自分の居場所、というか、帰るべきところ、というのが、あると思います。母さんにとって、それはありすの家だし、僕にとって、それは、たぶん、どこかの森です。
お父さんとお母さんのところが、ありすの居場所じゃないのなら、ありす自身も、ちゃんと、旅をして、見つければいいと思う。納得して、見つけられる場所や、気持ち、想い、が、きっと、ありすの帰る場所です。
最後に、って、言い方はしたくないけど、もう一度くらいは、ありすに会って、ちゃんと、さよならを言えばよかったかなって、思うけど……
でもね、さよならはもっとずっとあとにとっておいて、いつか、おとなになって、居場所を見つけられて、ちゃんと帰るところのあるありすに逢えたらいいなって、僕は、いま、そう思います。
来年も、再来年も、この森で逢おうね、って約束は守れないけど、どこかの森で。
きっと、いつか。
そのころには、僕にも、ちゃんと、帰る場所が見つかっていればいいな。
僕のことを、素敵と言ってくれた人間は、君だけでした。
ありがとう、ありす。
またね。 ――――――セイ』
ごつごつの字が並ぶその手紙を読み進めていくうち、ありすは、手紙を握りしめたまま、ほろほろと涙がこぼれていくのがわかった。
「……行って、しまわれたのですか?」
「ありす様、」
「――わかっています。わたしも……さよならなんて、言いません。約束、したのですもの」
マチコはさめざめと泣いた。できることなら引き離したくはなかったし、このままでいたかったが、それぞれの事情がそれを許さなかった。
「ありす様……」
「……また……そうですね、セイ。また、ですね」
ありすは手紙を握ったまま、天井を仰いだ。こぼれる涙をとどめようとしたけれど、あとからあとからあふれて、それはとうてい止まらなかった。