087 感情
秋月との会話から数日が経過した土曜日、瑞貴は車に乗っていた。
当然、瑞貴が免許を持っているわけもなく助手席に座っているが、運転席にいる人物が免許を所持しているのかを確認する勇気もない。大黒様も一緒だが、後部座席で静かに眠っていた。
「今日は何も聞かないんですね。……『この車はどうしたんですか?』とか『ちゃんと免許は持っているんですか?』とか質問されると思っていました」
「いえ、聞きたい気持ちはあるんですけど、安心出来る答えが返ってくるのか不安なので聞かないでおくことにしました」
「あら、それは失礼じゃありませんか?私が瑞貴さんを不安にさせることなんてありませんよ。……それに私が人間の移動手段に頼る必要なんてないのに、瑞貴さんのために用意してるんですからね」
「……はい。ありがとうございます」
運転している采姫はサングラスをかけているので、とても神様には見えない。事情を知っている瑞貴ですら、神様と一緒にいることを忘れそうになってしまっていた。
「なんだか余裕が出てきましたね?」
「ただ単に、車や免許のことを心配しても始まらないと思っただけです。神様のやることに疑いを持っても、あまり意味はないですから」
「そのことではありません。以前とは息遣いも違ってきています。……楽に生きようとしている感じですね。良いことだと思います」
「八雲さんと話せたおかげかもしれません。俺は、あれこれ抱え込んでしまっていたみたいなんで」
「……それだけではないですよね?」
「えっ?他に何かありますか?」
「秋月穂香さん。閻魔大王は忙しさにかまけて雑な仕事も多いですから、大切な思い出は消えていなかったんです」
「……すごくツッコミたい気分ですけど、いいですか?」
「いえ、瑞貴さんが言いたいことは分かっていますから大丈夫です」
「それなら、やめてもらうことって出来ません?」
「それは出来ません。瑞貴さんの精神状態を把握しておくことは重要なことなんですよ。私たちは瑞貴さんにお願いをする立場なんですから」
明らかに後付けの理由であり、采姫が興味本位で探っていることは分かっていた。いくら神様とは言え、瑞貴のプライベートに踏み込み過ぎではある。
何も話していなくても全てが筒抜けになってしまい、隠し事は出来ない存在となっていた。
「……そうなんですね。ありがとうございます」
「いいえ、お礼を言われるようなことではありませんよ」
瑞貴は嫌味のつもりで御礼を言っているだけだが軽くあしらわれてしまう。
既に恥ずかしがったりすることも無意味なことに思えていた。おそらくは瑞貴の秋月に対する感情も采姫には分かっているのだろう。
「ところで、今日俺たちが行くことをあずささんは知ってるんですか?」
「ええ、伝えてあります。瑞貴さんは代々神事に携わる家系で、問題解決の力になれるかもしれないと教えておきました」
「はぁ……、間違いではありませんが、随分とハードルが上がってますね」
神事に携わる家系であることを強調するための小道具だったとすれば、着物が選ばれたことは理解出来なくもない。
嘘偽りはないが、誇大広告であるようにも瑞貴は感じていた。
「特別な力なんてないのに、あずささんをガッカリさせないか心配です。こんな格好で、見た目だけはそれっぽくなってますから期待だけさせてしまうと申し訳ないです」
「……ご自身の力には気付き難いものなんです」
「えっ?何かおっしゃいましたか?」
瑞貴は采姫の独り言を聞き逃してしまっていた。
神媒師としての情報は父から与えられていたものが全てであり、あまり関心のなかった瑞貴は必要以上のことを聞き出すこともしなかった。
瑞貴が聞かされていなかった情報が隠されていたとしても、現在の状況に疑問を持つことがなくなってしまっている。
「いいえ、こちらの話です。姫和さんも瑞貴さんにお任せすることを選んだんですから、もっと自信を持ってください。それに着物を選んだ理由は、単純に好みの問題です」
「好み、なんですか?着付けの練習も采姫さんが一生懸命で少し怖かったです」
学校帰りに寄ると制服を脱がされて、采姫と姫和から熱い指導を受けていた。何度も怒られながら練習したが、まだ瑞貴一人で着ることは出来ない。
「さぁ、到着しました。ここが、あずさの家です」
高速道路も利用して2時間近くかかっていた。景色は大きく変わっており自然が豊かな地域になっている。
車を駐車場に止めて、三人はあずさの家を眺めていた。
「……立派な屋敷」
日本家屋ではあるが古さは感じない。現代風にアレンジを加えてあるような建物で立派だった。
ただ、庭は少し荒れているように見えた。冬なので雑草は目立たないが、掃除道具が片付けられないまま置かれている。
――皆、いろいろあって大変だろうから、庭のことは後回しになってるんだな
庭を見ていると、あずさが玄関を開けて出てきてくれた。
前に会った時から半月ほどしか経っていないが、あずさは疲れた顔をしている。それでも笑顔を見せようとしている姿を瑞貴は痛々しく感じていた。
「あっ、やっぱり采姫ちゃんだ。そろそろかな、って思ってたんだ。いらっしゃい」
「ええ、おじゃまします。忙しいのにゴメンなさい」
「滝川君も、ありがとう。……大黒様もいらっしゃい」
「あっ、こんにちは。……俺までお邪魔することになってスイマセンでした」
「ううん、見違えちゃって驚いたけど、すごく似合ってる。……せっかくのお休みにゴメンなさいね。今日はお願いします」
あずさは瑞貴に対してペコリと頭を下げていた。
采姫の言葉を信じているとすれば瑞貴を頼っているのかもしれず、申し訳ない気持ちになってしまう。言われるままにあずさの家まで来ていたが、事態を把握していない瑞貴に解決出来る自信はない。
「いえ、そんな止めてください。俺が本当に役に立てるか、まだ分からないんですから」
「そんなことない。来てくれただけでも嬉しい」
瑞貴は、この言葉を重く感じていた。自分に対してのプレッシャーとしてではなく、今のあずさは誰かが傍にいてくれるだけでも救いになってしまうことを感じ取っていた。
それだけ気持ちが追い込まれてしまっているのかもしれない。
「あっ、ゴメンなさい。……どうぞ、上がって」
庭で話を始めてしまったことを詫びたのだろう、あずさは招き入れるように玄関に進んだ。
その時、瑞貴は違和感を覚えていた。
「……ん?」
「瑞貴さん、どうしました?」
初めての感覚で、瑞貴は周囲を見回してみた。不思議そうな表情で瑞貴を見ているあずさと、無表情に声をかけてきた采姫がいる。
二人以外には誰もいなかった。見えてはいけない者が見えているわけでもない。
――何だ?……この感じ
瑞貴は自分が涙を流していることに気付いていなかった。
「滝川君!?……どうしたの?大丈夫?」
「あっ、はい。……あれ?……俺、泣いてるのか?」
瑞貴は零れ落ちる涙を拭いてから目を閉じた。もちろん瑞貴に涙を流す理由はない。
あずさが驚いて瑞貴の傍まで近付いてきていたが、気にすることなく湧き上がってくる感情の正体を探ってみた。
――悲しさ?……寂しさ?……それだけじゃないな
幾重にも折り重なっているような感情を瑞貴は明確に捉えることは出来なかった。それでも、この家で何かが起こっていることは伝わってくる。




