083 帰路に
「鬼の存在に疑問はないんですね?」
「……いても不思議ではない。……そして、その鬼が私のことを見逃すと言ってくれたことも理解は、できている」
そう言って八雲は空を見上げた。ただ、簡潔に語られただけでは瑞貴が八雲と鬼の会話を理解するに至っていなかった。
「理解出来るんですか?」
「あぁ、もちろんだよ。……例え一時的にでも死人を呼び戻すのだから、私のやっていることは理の外にある。冥界の王である閻魔大王からすれば、私は迷惑な存在になるんだ」
「そういうことです」
鬼は八雲の話を受けて、瑞貴を見ながら八雲に同意した。
神媒師という存在も『理の外』にあるとは思うが、霊媒師の中で八雲はイレギュラーだったのかもしれない。八雲の能力は例外的な扱いになっているのだろうと瑞貴は予想した。
「……それで、俺と一緒に来るなんて言ったんですね?」
「はい。以前から八雲徹という男の噂は聞いておりましたので、会ってみたいとは思っていたんです」
「それなら、見逃すって、どういう意味ですか?」
「言葉の通りです。本来は抹消すべき存在ですが今回は見逃すことにしたんです」
鬼が『抹消』と言ったことで、八雲がピクリと反応した。穏やかな表現ではなかったし、鬼が使うことで恐怖が倍増してしまう。
だが、鬼との付き合い方が少し分かってきている瑞貴に驚きはなかった。
「最初から抹消なんてする気なかったんですよね?見た目だけで十分な迫力があるんですから、あまり怖い言葉を使わないでください」
「……そうなのか?」
今度は八雲が瑞貴に問いかけることになった。八雲は抹消されても仕方ないことをしている自覚も少なからずあった。
果たして人間の行為として許されるのか、自問自答しながら八雲は霊に身体を貸していた。
八雲一人で全ての事案に対応できるわけではない。突然に愛する人を亡くして悲しんでいる人たちを救えるわけでもない。ただの自己満足でしかないかもしれない行為に迷いもあった。
「もし、鬼が抹消する気でいたのなら、俺と一緒には来ていません。見た目とは違って意外に優しいかもしれないんです」
「……それは営業妨害です。……まぁ、抹消するだけなら、私一人で静かに実行するだけなので、間違ってはいないと思います」
「それなら、私は『今回だけ』見逃してもらえただけでしょうか?……いずれは、抹消されてしまう?」
「貴方の残りの人生、数十年を見逃したとしても大したことはありません。四十を超えて就職先を探すのも大変でしょうから仕事を奪うのも可哀想なので大目に見ることにしましょう」
「はは……、ありがとうございます」
そんな話をしていると八雲のスマホが鳴った。
八雲の悲しそうな顔を見ていると、瑞貴にも何が起こったのかは想像できる。
――きっと、八雲さんはスマホが鳴らないことを祈っているんだ
仕事の依頼であれば、そこには耐え難い別れが待っている。八雲が生きている限り、この仕事から解放される日は来ないかもしれない。
「八雲さんは俺に幸せになるように言いましたけど、八雲さんは幸せなんですか?」
「……もちろん、幸せだよ」
愚問だった。八雲から、それ以外の言葉が返ってくることなどあり得ない。
24時間のタイムリミットがある以上、海外旅行は難しいだろう。365日、気が休まる時間がないことも想像できる。そんな生活が幸せなのかは瑞貴が判断することではない。ただ、八雲が後悔をしていないことだけは分かっていて、それで十分だった。
「私にも一つ教えてほしいことがあるんだが、いいかな?」
「はい?……何でしょうか?」
八雲はベンチから立ち上がって瑞貴を見ていた。
「神様から私のことを聞いたと言っていたが、君は審神者のようにご神託を授かることが出来るのか?」
「いえ、ご神託ではありません。ここに来るための新幹線チケットを手配してくれて、病院の住所のメモをもらいました」
「えっ!?新幹線のチケットとメモ……、だって?」
「先週は一緒に麻雀をさせられました。……俺は霊媒師の神様版で神媒師をやってるつもりでしたが違ったみたいです。八雲さんみたいに憑依させるんじゃなくて、現世で神様の雑用をしています」
「……神媒師?……神様の雑用?」
「俺の家で代々受け継がれている役割なんですけど、神様の仕事を手伝うんです。何をさせられるのかは決まっていません」
八雲は瑞貴の話を聞いていて『格が違う?』とだけ呟いた。
その声は瑞貴に届いてはいなかったが、鬼の口角は上がり僅かに反応してみせた。
それから瑞貴と八雲はお互いの連絡先を交換した。
「……また何か力になれることがあれば連絡してくれ」
「はい、ありがとうございます。……俺が力になれるようなことがあれば、八雲さんも連絡ください」
「あぁ、お互い他人には話しにくい仕事だから、仲間が増えることは嬉しいよ」
「そうですね。でも、俺のは仕事じゃないんですけど……」
「かもしれないが、気持ちを割り切ることも大切だよ。……君の力は君が考えている以上に強力な物だ。だが、まだ君は若い」
「はい」
「一人で抱え込める重さには限界がある。まずは、自分の命の重さを知りなさい。他の誰かを背負うのは、その後だ」
「はい」
八雲は瑞貴の肩にポンと手を置いた。ただ手を置かれただけだが、瑞貴には重く感じられる。
そして、八雲は次の仕事に向かうため公園を後にした。
瑞貴は再びベンチに腰を下ろして深く呼吸をする。
「……みんな気付いてたんですね?俺が、あの子のことを引き摺っていたこと」
「もちろんです。貴方は分かり易いですから」
「まだまだ、未熟ってことですか?」
「人間が生きられる時間全てを費やしても成熟することは出来ません。人間が人間らしく生きるために必要な時間が寿命なのですよ」
「未熟なままの人間で生きていてもいいんですか?」
「……未熟なままで生きなければならないんです。もっと生きていたいと願うことに意味があるのですから」
「禅問答みたいな話だ。……難しいな」
瑞貴は空を見上げて大きく息を吐き出した。周りは真っ暗になっており、公園にある頼りない電灯が照らしていた。
人間に時間を与えすぎてしまうと余計なことをしてしまう危険性があり、ほどほどの時間で一生を終えるようになっているのかもしれない。
それでも、医療の進歩で寿命は延びているし、インターネットの普及により一生で得られる情報量は膨大になっている。昔は数日をかけて調べていたことも、数分で調べることが出来てしまう。
数十年前であれば、一般人の瑞貴が瑠々の不幸を知る術はなかったかもしれない。
「あの時、大黒様が助けてくれてなかったら俺も落ちていたのかな?」
「『助けてくれなかったら』という前提は成立しないので、貴方が落ちることはありません」
「そっか。あの状況になれば、大黒様は必ず俺を助けてくれる。……助けてもらうことも含めて、今の俺なんだ」
「そういうことです」
未熟なことを認めるだけで良かったと瑞貴は考える。
未熟な瑞貴が、あの状況で瑠々にしてあげられることは他になかった。何かしてあげられたかもしれないと考えていたのは、ただの驕りでしかない。
「あの子たちは貴方から貰ったキーホルダーを閻魔大王に自慢していましたよ。閻魔大王も困惑しておりました」
「……あのキーホルダーを?」
「キーホルダーを死後の世界に持ち込んだ前例なんてありません。それは、二人に英雄としての最期を迎える機会を与えたことと、子どもたちのために行動したあなたへの労いの意味もあるんです」
「労いで、キーホルダーを持ち込ませてくれたんですか?」
「そうです。あの時に得られた最高の結果だと考えるのは、私だけでしょうか?」
「……最高の結果……か。そうかもしれない」
子どもたちがキーホルダーを閻魔大王に自慢している姿を思い浮かべて笑いそうになってしまう。閻魔大王は想像上でしか知らなかったが、瑞貴も困惑する閻魔大王を見てみたかった。
「ありがとうございます」
閻魔大王も鬼も結局は甘いのかもしれない。
ここでの用事は済んだことになった。時間は遅くなってしまうが宿泊の必要もなさそうだった。近くの駅までは一緒に行き、そこから鬼と大黒様は別行動になる。
「……では、私たちが先に到着すると思いますので、送り届けておきます」
大黒様は鬼に任せて、瑞貴は気楽に移動できそうだった。八雲と話せたことで気持ちに余裕も生れている。
姫和からの依頼を完了できたこともあるが、瑞貴の中にあったモヤモヤも晴れてきている気がしていた。