080 病院
「退屈はしないで済みましたけど……。でも、今日と明日で八雲徹って人と会えないかもしれないんだから、その話は取っておいてもらった方が良かったかもしれないです」
これから病院の前で来るかどうかも分からない人物を待ち続けなければならないのだから退屈しのぎになる話は残しておきたかった。
「いえ。おそらくは今日、八雲徹と会うことはできると思います」
小さな声で鬼が語った。確信を持って発言しているのだが、残念そうな雰囲気もある。
「へぇ、予言もできるんですか?」
「予言のようなものですが、貴方にとっては許し難いことかもしれません。……本来、八雲徹と会えないことが瑞貴殿にとっては望ましいことになります」
「どういうことです?」
その質問に鬼からの答えは帰って来ない。
鬼は瑞貴に心の準備をさせるような話し方をする時があり、瑞貴もそのことを分かり始めていた。おそらくは鬼として言う必要のないことまで瑞貴に伝えてくれている。
土曜日の午後、病院に来るのはお見舞いばかりだった。
時々、一緒に来ていた子どもが大黒様に寄ってきては頭を撫でたりしている。中には近寄って頭を撫でたくても、傍に立っている鬼を怖がっている子どももいたが、鬼は黙って離れてくれる。
「……鬼って、子ども好きななんですか?」
「いいえ。将来の大切な働き手になるかもしれませんので、今は好きにさせているだけです」
「シャレにならないですって」
将来の働き手になるのは地獄での話。可愛く大黒様と触れ合っていた子どもが、そんなことにならないように祈るだけだった。
待っている間に何度か救急車が病院の止まったが、病院の前であれば自然なことかもしれない。
そんなことをしているだけで時間は過ぎていき、気付けば日が傾き始めていた。
すると、大黒様が立ち上がって一点を見始めた。
「……ん?」
一人の痩せた男性が歩いて近付いてきた。スーツを着てはいるがネクタイは締めていない。歩いている姿に力はなく、離れていても疲れていることが分かる。
――あっ、この人だ
聞いていた年齢は44歳だが、シャキッとさえしていれば若くも見えそうだった。それでも瑞貴は確信していた。
――この人の周辺だけ空気が違っている
瑞貴は腰かけていたブロックから立ち上がって、その男性を見ていた。相手の男性も瑞貴を見ている。
「……えっと、あの……」
瑞貴は、どんな風に声をかけるべきか迷っていた。いきなり知らない人の名前を呼ぶのは躊躇ってしまう。
初対面が名前を知っていることは不自然であり、瑞貴のことを不審に思われてしまう危険性がある。
「貴方たちは私に用事があるんですね?……分かりますよ」
「……分かるんですか?」
「キミも分かっているんだろ?私たちは、お互いに普通ではない」
「……はい」
「そして、後ろの人は……。人ですらないのかな?」
瑞貴は振り返って鬼を見ると厳しい顔をしたまま男性を見ていた。
「あの、俺は滝川瑞貴といいます。……貴方が、八雲徹さんですか?」
「ええ、そうです。お待たせしてしまったのかな?」
「あっ、スイマセンでした。こんな場所で勝手に待ち伏せするようなことをしてしまって」
「構わないよ。……ここで待っていたということは、全て分かっているんだろ?」
「それが……、俺は、ここで貴方を待つように言われただけで、よく分かっていないんです」
「……そちらの方は?」
八雲徹は鬼に話しかけた。瑞貴は鬼を見たが、鬼は鋭い目つきで八雲を見ている。慣れていない人が鬼にこんな目で見られてしまえば、平気ではいられないはず。
それでも、八雲は平然としたまま鬼と目を合わせていた。
「私は只の付き添いです。貴方に用事があるのは私ではありません。……そして、お気付きの通り私は人間ではありません」
鬼としての正体を明かしたわけではなかったが、人間でないことを隠すことなく伝えた。
「そうですか。……もしかして、その犬も?」
「えっと、詳しく語ることはできませんが、そうなんです」
「人非ざる者たちと行動を共にしている……。そして、私に用事があるんだね?」
「……用事と言うか、お話をしたいだけなんです」
「話を?」
「はい」
「いいよ。承知した。……でも、もう少しだけ待っていてもらってもいいかな?」
「えっ?あっ、そうですよね。八雲さんもここへ用があって来てるんですから。俺たちはここで待っています」
付き添いで来ているだけと言いながら鬼が瑞貴に近づいて一言声をかけた。
「いえ。瑞貴殿も一緒に行ってください」
鬼からは瑞貴も一緒に行くように指示される。話をするだけだと考えていた瑞貴にとっては予想外のことになった。
「えっ、俺も行った方がいいんですか?」
「ええ、その場に立ち会う必要はありません。近くに行くだけで構いません」
八雲は意外そうな顔をして瑞貴と鬼を見ていた。
「彼を……?大丈夫なんですか?」
「平気ではいられないでしょう。……それでも、大丈夫です」
瑞貴は鬼を見た。相変わらずの鋭い目だったが、どこか悲し気に見えてしまう。表現が難しい表情を鬼はしていた。
瑞貴を見上げている大黒様も心配そうな顔に見えてしまう。
無意識に大黒様の頭に手を伸ばして頭を撫でていた。
――あれ?……大黒様が拒否してない
瑞貴は、これから起こることに覚悟を決めた。危険があることではないが辛いことになる。そんな予感はしていた。
そして、八雲徹を見て言った。
「ご迷惑はかけません。……俺も一緒に連れて行ってくれませんか?」
「そうか。分かった」
八雲は止めることもしなかった。瑞貴がこの場で待っていた意味を理解していたらしい。八雲徹と話すためには八雲が行動する現場を瑞貴が知っておく必要があった。
「それじゃぁ、行こうか」
瑞貴は八雲の後について歩いた。
面会受付時間も終わりに近付いた病院の中は薄暗く静かで、鼓動だけが速くなる。八雲は迷うことなく歩を進めて、病院の奥へと向かっていく。
奥には階段があり、地下に下りていった。冬の外気に触れていた瑞貴でも寒さを感じてしまう程に温度が低く暗い。
――空気が確実に重くなった……
八雲が立ち止まって、
「キミはこの辺りで待っていてくれないか?……ここなら、あ
の部屋からの音は聞こえるだろうから、何が起こっているのか分かるはずだ」
廊下の奥にある部屋を指さしていた。その部屋には『霊安室』というプレートがぶら下がっている。
「……『霊安室』ですか?」
「ああ、あの部屋には数時間前に交通事故で亡くなった男性が眠っている」
「えっ!?」
「死んでから24時間以内であれば、亡くなった人の魂を私の体に降ろすことができるんだ」
それだけを言い残して八雲徹は霊安室のドアをノックして入っていってしまった。