046 約束
そんな最高神と父の視察活動は瑞貴が予想していたよりも長い時間かかった。帰ってきてからの大黒様はいつも通りと変わらない様子である。
瑞貴に解決策を気付かせるためにテレビを消さずに出掛けたのだとすれば、もっと得意気に帰ってくると思っていたので拍子抜けしてしまう。
――んー、やっぱり考え過ぎだったかな?
瑞貴の勘違いだとしても神様への感謝を忘れてはならない。冬の視察で冷えた身体を気遣い、少し温めたミルクを大黒様に出してあげることにした。
※※※※※※※※※※
瑠々の母親を追求を決行日、前日と同じ時間で出発した。
同じ出発時間であっても、前日のような道に迷うこともないので目的地までの到着は早い。待ち時間が長くなったとしても構わないと考えての行動だった。
この行動が功を奏して山咲美登里の自動車は駐車場に止まったままである。
――まだ、出掛ける前なんだ
リュックから大黒様を出して準備を整えておく。瑞貴は柴犬を散歩しているだけの高校生として近付いて、警戒心を緩めさせるつもりだった。
作戦なんて大袈裟なものではなく、自然体でいることが大切だと考えている。
「……フワー」
大黒様はリュックから出されて、伸びをした後に大きな欠伸をした。
「……肩の力を抜け。ってことですか?」
大黒様の行動を瑞貴は拡大解釈して、全てを前向きに捉えていくことにしていた。例え大黒様にその意図がなかったとしても瑞貴の受け止め方次第で変えられる。
瑞貴はガードレールに腰かけて動きが確認できるまで待っていた。瑞貴に余計な気負いは全くない。
201号室、山咲美登里の部屋のドアが開いたが、その様子も落ち着いて見ている事が出来る。
そして、今回は女性だけが出てきた。昨日一緒だった男性の存在はなく、これから男性を迎えに行くのかもしれない。
ガードレールから、ゆっくりと立ち上がり瑞貴は歩き始めた。
そして、車に乗り込む直前の山咲美登里に話しかけてみる。
「……おはようございます」
突然に声をかけられて驚いた表情の美登里が立ち尽くしていた。近くで顔を見ることが出来た美登里は、瑠々の母親であると瑞貴は確信する。
美人ではないが可愛らしい感じで瑠々と雰囲気が似ている。
「……えっ?……誰、あなた……?」
表情に警戒色が出る。きっと笑顔で向き合えば印象は全く違うかもしれないが、人間の本性は隠せない。
瑞貴は昨日見た『笑顔』を『気持ち悪い』と判断していたのだから内面が美しくなければ意味がないのだろう。
「俺は滝川瑞貴と言います。……山咲瑠々ちゃんの友達なんです」
「はぁ?瑠々の友達?……あなたが?」
「はい。実は一昨日も瑠々ちゃんと会って、いろいろとお話しをしたんですけど……。俺には分からないことがあって、お母さんに教えてもらおうと思ったんです」
「ちょっと!何言ってるの?……一昨日って、そんなはずないでしょ?あんた何よ、何のつもりなの?」
瑞貴に対する怯えが濃くなっている。瑞貴のことを見てはいるが動揺からか目の焦点が合っていない。
瑞貴にしてみれば、何一つ嘘を言っていないので落ち着いて質問が出来てしまう。
「瑠々ちゃんが『良い子は何でも食べて、ママを困らせない子だ』って言うんですけど、食べ物以外でも食べろって意味で言ってたんですか?」
「えっ……、どうして、そんなこと知ってるの?」
「だから、本人から聞いたんですよ。そう言ったじゃないですか。……でも、本当に言ってたんですね。たった5歳の子どもに、そんな無茶苦茶なことを言ってたんだ」
「知らないわよ、あの子が勝手に食べたんだから……」
美登里は冷静な判断が出来ていないのだろう、する必要のない言い訳まで始めてしまっている。
「『勝手に』って、随分酷いじゃないですか。『お腹が空いた子は邪魔な子』って言って、お腹が空いた瑠々ちゃんが食事を要求出来ないようにしてたんでしょ?……瑠々ちゃんは、お母さんに『邪魔な子』と思われたくなかったから、『何でも』頑張って食べたんですよ?」
「……ちょっと、何よ。……あんた、何なのよ!」
「最初に説明したじゃないですか、瑠々ちゃんの友達だって」
美登里の立場になってみれば完全にホラー展開でしかなくなっている。
だが、瑞貴は瑠々の言葉の意味を確認しているだけであり必要以上にホラー演出をしているわけではなかった。
「瑠々に友達がいるわけないじゃない。……それも、あんたみたいな学生が」
「……一緒に折り紙で遊ぼうと思ったんですけど、『紙』が好きじゃないなんて、おかしなことを言うから色々と教えてもらったんです。……まさか、『紙』を飲み込んで死んだなんて考えもしなかったから。……瑠々ちゃんには嫌な想いをさせてしまいました」
「しょうがないでしょ、あの人に任せておいたのに飲み込んだこと気付いてなかったんだから。瑠々が悪いのよ!……お腹が空いたのを我慢できなくてあんなことをした、あの子がバカなのよ!」
瑞貴の中で再び真っ黒な何かが湧き上がってくる感覚があった。山本の話を聞いていた時と感覚は似ていたのだが純度の高い黒さになっている。
「……あの人って、昨日一緒だった男性のことですか?」
「昨日って、あんた、何を調べてるの?……もう終わったことなんだから関係ないでしょ!……あの子がバカな死に方をしたおかげで散々迷惑してきたんだから、もう放っておいてよ!」
美登里は勢い良く車に乗り込んで、慌ててエンジンをかけた。駐車場から出る時も十分な確認もせずに行ってしまった。
走り去る車を見送って一人残された瑞貴は疲れ切っていた。僅かな時間しか会話していないが、本当に疲れ切ってしまっていた。
アパートのブロックに腰をかけた姿勢で美登里から聞いたばかりの言葉を思い出していた。
瑞貴は『神様』ではないと瑠々に教えてあげたかった。瑠々が『神様』だと信じている存在は誤りで、あの子を救う存在は別にあるはずだった。
子供にとって『母親』や『父親』が『神様』と同じ存在であっても構わないと思っていたが『母親』ではない女が『神様』として見られている事実は瑞貴が許容できるものではない。
一つ一つの言葉を思い出すたびに瑞貴の身体に溜まっていたドス黒い『澱』から真っ黒な何かが滲んできていた。
『怒ってもいいけど、怖くならないですね』
秋月の声が瑞貴の頭の中に響いてきてギリギリで留まれているのかもしれない。それでも、瑞貴の身体からは黒い靄だ立ち上り始めていた。
――あの女は罰を受けるべき人間だ。……でも、もう罰を与えられることはない。……それなら、俺が……
そう考えた瞬間、溜まっていただけの『澱』が瑞貴の身体を支配するように広がり始めてしまう。
だが、広がりきる寸前で大黒様が割って入ってくれた。
「わんっ!」
「……痛っ!」
突然、座っていた瑞貴の手に大黒様が嚙みついた。これまで噛みつくことなど一度もなかったのだが、瑞貴の手に噛みついて離れない。
「何してるんだ!……離せ!」
瑞貴が大黒様に初めて乱暴な言葉を使ってしまっていた。それでも大黒様は瑞貴の手を噛みついたまま離さない。
大黒様が噛んでいる場所から真っ黒な靄がどんどんと煙のように立ち上るのを瑞貴は見た。
「……えっ?……何なんだ、これ?」
自分の身体から湧き出てくる得体の知れない靄に恐怖を感じた。これまで不可思議なことを経験してきた瑞貴でも、自身の身体の異常を見て怖くなった。
靄は出続けて、やがて消え去った。靄が消え去ると、大黒様は噛んでいた手を離してくれる。
「……大黒様?」
瑞貴の身体が支配されることはなかった。大黒様が、黒い感情の全てを放出させて瑞貴の身体から抜き去ってくれたらしい。
黒い感情が消え去った代わりに悲しさと情けなさが湧き上がってくる。大黒様に対しても申し訳ない気持ちで一杯になった。
「スイマセンでした、大黒様。……スイマセンでした」
大黒様を抱きしめて、少しだけ泣いた。大黒様が大人しく瑞貴に抱きしめられている。
――大黒様が、秋月さんとの約束を守らせてくれたんだ
瑞貴のための行動であったのか秋月のための行動であったのか、多少の疑問は残ってしまうが素直に感謝することにした。
しばらく同じ姿勢のままで時間だけが過ぎていく。