113 畏怖
「……何が、あったの?」
居るはずのない大黒様の姿にも驚いてしまっているが、何から質問して良いのかも分からないあずさからは短い言葉しか出てこない。
「向井さんに見てもらいたいものがあったので、それを見せていただけですよ。……ですよね、向井さん?」
「…………はい」
この家に来た時の自信に満ちた様子は見る影もなくなり、向井は瑞貴の問いかけに力なく答えた。向井も自分が今まで見ていた光景が信じられない様子で現実感を失っている。
「それを見た結果で向井さん、道風さんがみなさんに何をお話しするかはお任せします」
この状況で『道風』と呼ばれてしまい、自分の言葉に委ねられた不安で向井は瑞貴を見た。何を言えば許されるのか分からないし、何を言っても許される気がしていない。
瑞貴を見た後で畳に視線を落として、向井は必死に考えを巡らせた。
そして、向井はゆっくりと正座をして姿勢を正す。
「も、申し訳ありません。……この家に鬼が棲んでいると嘘を、言いました」
「えっ!?」
向井から最初に出てきた言葉は謝罪であり、あずさと茜は驚かされた。
「私は道風と名乗りましたが向井義昭と言って、道風は『人頭杖の会』で格があるように使っているだけの偽名で会にいる人間は誰でも名乗れます」
「小野道風。有名人ですからね」
「はい。……私と同じように資金集めをしている人間は使いやすい名前で、序列で決まっているわけではありません」
この告白にも富永家の人たちは驚かされてしまう。向井が素直に『嘘』と認めて、『資金集め』とまで言ってしまっているのだから理解が追いつかない。
瑞貴も向井が『道風』を使っていた理由を知ることになり、少し安心した。
「……だから、私には彼のような力はありません」
「何度も言っていますが、俺にも力はありませんから」
向井は自嘲気味に『フッ』と短く笑った。あれだけの光景を見せられた後、瑞貴のその答えは納得出来るものでなくなっている。
「ですから、私にこの家で起こっていることを取り除くことは出来ません。不安を煽るようなことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
向井が出した答えは、正直に謝罪して誠意を示して頭を下げることだった。向井も、それで何もかもが許されるとは考えていなかったが、あの光景を見た後では他の言動を選択することが出来なかった。
「……本来、私がやるべきことは彼が果たしてくれるはずなので問題ないとは思いますが、この家のみなさんを騙していたことは事実です」
あずさと茜は当然だが、向井の姿には彼女たちの祖父も言葉を失ってしまっている。絶対に本人が認めるはずのない事実を淡々と述べて素直に謝罪するだけの姿は想像もしておらず、困惑するしかなかった。
「……まぁ、とは言え未遂に終わって、自分から素直に認めたのを怒ることも出来んし」
何とか向井に言葉を発せたのは祖父だった。言葉の通りに怒っている様子は全くない。
「それでも、彼が来ていなければ本当にお金を騙し取るつもりでした。恨まれるような行為をするつもりで来たんです」
「……いえ、それについては、この時期まで『ある人たち』が俺を動かさなかったことが原因でもあります。俺が、この場で向井さんと会うことまでが予定されていたと思います」
瑞貴の発言には全員が意外そうな表情を見せた。意外そうな表情を見せた中に采姫と鬼も含まれていることに瑞貴は少しだけ満足する。
「順番が違っていれば、この件は去年に片付いていたはずなのに、向井さんの登場を待つことになったと俺は考えています。……でも、それで向井さんの考え方に何か変化があったのなら意味のあることかもしれない」
「……はい」
瑞貴の発言の意味を向井は理解していないが、自分に影響を与えてくれた存在に感謝している様子だった。この時点で素直に自分の誤りを認めることが出来たのであれば、向井は瑞貴が考えた通り本当の悪人にはなっていないことになる。
「この家で起こっていることの原因は、優しい『疫病神』のジレンマです」
「『疫病神』のジレンマ?」
「はい。感情を無視してしまえば俺の出番なんて必要なかったと思います。……何しろ、神様なんですから」
瑞貴の話はオカルトチックな話になっているが、今の向井には受け入れられてしまう。
「『疫病神』を退治するんですか?」
「いえ、退治するなんて畏れ多いことはしません。神様なんですから、望む結果が得られるようにお手伝いするだけです」
「『疫病神』……」
「そうです。あなたが『鬼』ではなくて『疫病神』を出していたら、俺は自信を持てなかったと思います。疫病は小野篁を苦しめていた一つなんですから、『鬼』ではなくて『疫病神』の方が小野篁っぽいと思います」
「ハハ、勉強不足でした。騙すためのものなので、原因なんて何でも構わないと思っていました」
例え『疫病神』が原因だと言っていたとしても、向井には瑞貴に勝てる要素が見つからなかった。遠い過去に生きていた小野篁よりも、向井は目の前にいる瑞貴の方を恐ろしく感じている。