111 予定調和
「……お、お……、鬼?」
向井にとっては、かなり衝撃的な対面となっている。富永家に鬼が棲んでいることが不幸の原因だと言いながら、向井自身は鬼の存在など信じてはいなかった。鬼の存在を信じていなからこそ、鬼が原因であるとして誰かを騙す材料に出来ていた。
「赤鬼とか青鬼とか言われてますけど、実際にはどす黒い皮膚で分かりにくいですよね。……それに想像していたよりも大きいし」
瑞貴が感想を淡々と語っていても向井の耳に届いているか分からない。自分のことを見下ろしている巨体が取り囲んでいる中で意識を保っていることが精一杯だった。
「犬、猿、雉。そんなお供で退治できるような相手に思えませんね。……そもそも、人間が退治出来るような相手ではないらしいです」
閻魔刀の刀身を向井に見せないように白髪の鬼の背後に隠していたが意味のないことだった。向井は震えながらキョロキョロとしているだけで瑞貴の方を見る余裕がない。
「……生きている中で裁かれなかったとしても、死んだ後で地獄に墜ちて鬼たちに苦しめられるのなら被害者も多少は救われるのかな?」
この言葉でハッとしたように向井は瑞貴を見た。
「俺はあなたよりも、この光景を苦しんでいる被害者やその家族に見せてあげたいんです」
「……な、な、何を言っている?」
「ハハハ、やっと会話出来る状態になりましたね。自分が死んだ後に行く世界を見て、冷静ではいられなかったですか?」
「わ、私は人々を救っているのだ!……そ、そうだ、私は、この上に広がっている世界の極楽浄土に行くと決まっている!!」
鞘に巻かれていた境界の紐で上下に世界は分けられているが、巨体の鬼たちがいる荒れた世界の上には綺麗な自然溢れる景色が見えていた。
「上に見えている景色は綺麗ですけど、極楽浄土なんかじゃありません」
「えっ!?」
「どちらも地獄です」
向井は「まさか!?」と言いながら、再び周囲に広がる景色を確認した。
巨体の鬼たちは向井の言動を見ているだけで必要以上に近づいていることはないが、位置を少し変えたりしていて動いてはいるので向井は目を合わせないように注意していた。
「……バカな。これが、どちらも地獄なはずない」
「いえ。俺の借りている力では極楽を見せることなんて出来るはずないんです。……これは地獄の境界だった」
「地獄の境界?」
「そうです。罪の軽い人が行く地獄と、重い罪を犯した人が行く地獄。人は簡単に極楽浄土なんかには行けるはずない。それに下に見えてる地獄と比べれば綺麗な景色ではありますけど、俺たちの想像を超えるようなものじゃありません。そんな程度で極楽と言えるでしょうか?」
向井は瑞貴を見たり背後の景色を振り返ってキョロキョロしたり、挙動不審でしかなかった。巨体の鬼たちは音を立てることはなかったが、僅かに近づいたりしているので向井の汗は止まらない。
「……本当に、本当に、これが両方とも地獄だと言うのか?」
「さぁ、俺にも分かりません。俺の考えを勝手に言っているだけなので……。でも、地獄の上にあるだけの国で天国ってことで、どちらも地獄かもしれないって考えただけです」
「はっ!?」
「正解は死んでから分かると思いますけど、あなたが気にするべきは上の景色じゃなくて、下に見えている地獄だけなので問題ありません」
瑞貴の言葉で再び向井は振り返った。向井が慌てて振り返った瞬間、巨体の鬼たちがニヤリと笑いかける。微笑んでいる顔の方が不気味に感じられてしまい、瑞貴もゾクッとした。
それは向井も同じであり、鬼たちのいる方向を見ていることに耐えられなくなって瑞貴を見た。
「お、お前は一体何者なんだ?……なんで、こんな……」
「最初に言った通り、俺はただの高校生で滝川瑞貴と言います」
「……たきがわ……みずき?」
向井は記憶に中にヒントがあるかもしれないと考えて、瑞貴の名前を口にしてが思い当たるものはなかった。
「ただの高校生が、こんなことを出来るはずがない」
「俺の力じゃありません、閻魔大王からの借り物の力です。……今のあなたに見せることは出来ませんが、浄玻璃鏡らしいです」
「……浄玻璃鏡、だって!?」
瑞貴は白髪の鬼で隠した閻魔刀を僅かにずらして、カチャリと音だけで存在を知らせる。
向井も『人頭杖の会』の一員として知識はあり、閻魔大王が使っている浄玻璃鏡の名前は知っているらしい反応を見せた。
「そう、浄玻璃鏡です。あなたたちが飾りで着けている人頭杖とは違って、俺のは本物です。本物だからこそ、本当の地獄を見せられる」
瑞貴の言葉に呼応して、白髪の鬼が僅かに口角を上げて頷く。
「俺は知りたいんです。地獄を見た人間が、それでも罪を犯し続けるのか」
「……えっ!?」
「これは、あなたが行きつく先の世界。生きている時間よりも遥かに長い時間、この地獄で苦しまなければならない。……それでも、あなたは富永家の鬼を追い払ったと言って大金を受け取れますか?」
向井は瑞貴を見ることが出来ず、地面に目を向けてしまった。
「……そこまで悪いことはしていない。……ここまでの地獄に墜ちることなんてしていない!」
自分に言い聞かせるように向井は話していたが、白髪の鬼がその言葉に反応する。
「ここまでの地獄とは?……ここは比較的罪の軽い者が墜ちる地獄です。地獄は深い」
低い声で淡々と話す白髪の鬼には迫力があった。瑞貴も鬼から補完するような発言があるとは思っていなかったので少し驚いたが、鬼の協力的な態度を見て自分の考えが間違えていなかったことを知る。
「あなたにとって俺は予想外の登場だったかもしれない。俺にとっても、あなたは余計な存在であり、手間を増やすだけだと思っていました。……でも、やっぱり違っているらしい」
白髪の鬼は瑞貴の方を少しだけ見て再び微笑んだ。