104 温情
瑞貴は歩きながら空を見上げて、鬼に質問をする。
「……教えてほしいことがあるんですけど、いいですか?」
「何でしょうか?」
「『地獄』って、やっぱり辛い場所ですか?」
「難しい質問ですね。犯した罪の度合いにもよりますが、相応の覚悟が必要だとは思います」
「生きているかぎり大なり小なり必ず罪を犯すってことですよね。……俺も地獄に行くことになるんでしょうか?」
蚊や蟻を殺すこともお酒を飲むこともギャンブルに興じてしまうことも罪にカウントされてしまうらしい。生きている間に一つの罪も犯さない人間は存在しないことを瑞貴は知っている。
「『天国』に行ける人間なんているのでしょうか?」
「いいえ、そんなことはありません。罪の少ない人間は『天国』に行くんです。『天国』も『地獄』の一部として考えれば良いと思います」
「罪の少ない人間は『天国』って……。ある程度の罪は許してもらえるってことですか?」
「もちろんです。そうでなければ天国の意味がありません。……ただ、人間は天国のことを勘違いしています」
「……勘違い?『天国』は『天国』ですよね?」
瑞貴の言葉を受けて鬼は不敵な笑みを浮かべてから返答をした。
「分かりませんか?ほとんど全ての人間が行き着く先は『地獄』なんです。我々の認識としては、『天国』とは『地獄』の一部なんです」
瑞貴は余計に分からなくなっていた。そして、鬼が『愛』を語るだけでなく『天国』を語っていることにも驚かされてしまう。
「よくお考えになれば瑞貴殿には必ず分かるはずです」
「ヒントだけもらえませんか?」
「フフッ、ヒントですか。……それでは、『文字通り』としておきましょう」
「『文字通り』……、がヒントですか?」
歩いていると小さな公園があった。瑞貴は立ち止まり公園の入口にあった柵に腰かけて少しの時間考えていた。ヒントが『文字通り』であるのなら『天国』と『地獄』の文字に意味があり、鬼の基準は『地獄』であるらしい。
少し悩んでいると瑞貴は以前に漢字の意味を調べた結果を思い出した。
「……あぁ、少し分かった気がします」
「流石ですね」
公園の柵に並んで腰かけている高校生と強面の男は周囲からは異様に見えるはず。事件性を感じて通報されてしまう可能性もあるが、そのまま二人は会話を続けた。
「もう一つ教えてほしいことがあります」
「何でしょうか?」
「人が犯した罪は、生きている間に償えるものでしょうか?」
瑞貴は写真の中の瑠々と母親が歩いている光景を思い出していた。仲の良い母娘としての時間を過ごしていた証拠になっている。
「可能ではあります。……ですが、償うという行為は当事者間でのみ成立するもの。本当の意味で罪を償うことの出来る人間がいるのかは疑問です」
「でも、刑を終えた人間は罪を償ったことになるんじゃ?」
「それは違います。刑を終えたとしても罰を受けただけのことで罪を償ったとは言えないのです。償うためには同等か同等以上のものを差し出すしかありません」
「命の償いは、命か命以上のものってことですか?」
「はい。ですが、奪われてしまったものは戻りません。償いとは許すことと同義と考えております」
「殺されてしまったら許すことも出来なくなる?……それじゃぁ、償いは終わらない」
「そうなりますね。許すことが出来るのは被害にあった人間だけです。罰とは被害にあった人間が納得できるだけの苦しみを与えなければ意味がない」
深く暗い部分が見えてきそうな話になり、瑞貴は少しだけ憂鬱な気分になる。
「でも、たぶん瑠々ちゃんはお母さんを許すと思います。……例え自分が殺されたとしても、お母さんを許してしまって、償いを求めない」
「だとしても、罪を犯した罰は受けなければなりません。貴方が罰を与えたことに意味はあります」
「……償う必要はなくても、殺した罰は受けなければならない」
「罪とはそう言う物です。償う必要はなくても罰は受ける。罰を受けたとしても償いは終わらない。……矛盾を感じますか?」
「いや。分かる気がします」
そこで大切にポケットに入れたあった封筒を取り出して、中にある写真を見た。そこに写っている幸せそうな母娘を見ながら瑞貴は鬼に話始める。
「……この時は、ちゃんと『お母さん』だったはずなんです。……でも、俺が会った時は『女の人』でした」
「瑞貴殿の若さでソレを感じ取ってしまえると、この先苦労しますね」
「ハハ、そうかもしれません」
瑞貴は鬼の方に写真を向けた。鬼は顔の向きを変えることもなく瞳だけを向けて写真を見た。
「たぶん、この時に瑠々ちゃんが死んでいたら母親も悲しんでたと思います」
「そうですね」
「これを見て複雑な感情になりました。この母親が瑠々ちゃんの死を『バカなこと』なんて言うようになるんだって」
「人は変わります。大切な物も変わっていくんです」
「瑠々ちゃんが一番大切じゃなくなったってことですか……」
「それは彼女に限った話ではありません」
鬼が珍しく瑞貴の正面に立った。正面から瑞貴を見据えて話をするのは珍しいことだった。
「テレビなどで『更生した人間』と『立派』と扱うことがあります。ですが、本当に『立派』な人間は罪を犯しません。『更生』とは『罰を受けた』だけであり『償いを終えた』とは別のことなのです」
鬼がテレビの話をしたので瑞貴は驚いていたが、茶化すことは出来ない。
「……被害にあった人が許してなければ意味がないんですね?」
「『更生』したとされる人間は、その人間にとって大切な物が変化した結果に過ぎず、『更生』という言葉とは意味が違います」
「事故で人を殺してしまったり、傷付けてしまった場合はどうなりますか?」
「それが本当に単なる事故であれば、また別の話になります」
「……随分と回りくどい言い方をするんですね」
「ええ。『殺すつもりはなかった』の言葉の先には『殺すつもりはなかったから死んでしまった相手が悪い』となるかもしれません。『死ぬとは思わなかった』も同じで『死ぬとは思わなかったからこの程度で死んだ相手が悪い』となるかもしれない」
「……そう聞くと、ちょっと怖いです」
「怖いものなのです。そして、人間の闇は深い。……貴方も、その闇の縁に手をかけていたのですから分かるのではありませんか?」
「分かる……、かもしれません」
「閻魔大王が『浄玻璃鏡』や『人頭杖』などの道具を使うことに疑問を感じたことはありませんか?」
「えっ?……特に疑問はなかったな。神様が道具を使うだけですよね?」
「そうです。神様が道具を使って、人間の罪や嘘を判断するんです」
「神様が道具なんかに頼るなってことですか?……でも、道具があるなら大勢の人の罪や嘘を短時間で見抜けます」
「いいえ。そんなことではありませんよ。闇はもっと深い場所にあります」
瑞貴は鬼の問い掛けに対して必死に考えてみた。それでも納得のできる答えは浮かんでこないので降参するかのように瑞貴は首を横に振った。
「……人間は神の前でさえ嘘をつくんです」
「あっ」
確かに鬼の言う通りだった。『浄玻璃鏡』も『人頭杖』も裁かれる人間が正直であれば必要のない道具になる。
「『浄玻璃鏡』も『人頭杖』も人間が『神の前で嘘をつく』という最期の罪を犯さないようにした閻魔大王の温情措置です」
閻魔大王や神様が使う道具に、そんな意味があることは想像もしていなかった。地獄の閻魔大王が温情をかけてくれていることにも瑞貴は驚かされてしまう。