103 状況説明
「それで、『いつか』っていつ話してくれるの?」
秋月が悪戯っぽい笑みを浮かべて瑞貴の顔を見ていた。次に瑞貴を追及する予定を立てておきたいらしい。本当は秋月の記憶は戻っていて、ただ瑞貴を追い詰めることを楽しんでいるだけのようにも感じてしまう。
「……善処します」
「それは近日中ということでいいのかな?」
「善処します」
「うーん、それならもう少しだけ教えて欲しいことがあるんだけど、いい?」
「……何かな?」
瑞貴は質問される内容が予想できない。曖昧になっている記憶については改めて話をすることになるので、それ以外の質問だと考えている。
「あの日の朝、この神社で子どもたちが私に手を振ってくれてる姿が一瞬だけ見えたの。……『また遊んでね』って聞こえた気がしたんだ」
「うん」
クリスマスを終えて瑠々の母親を斬った後、あの子たちを送った日の話をしていることは瑞貴にも分かっていた。
あの子たちを送ったのは閻魔大王が秋月の記憶を書き換えた後のことになる。この神社での出来事は秋月にとって気味の悪い体験だったかもしれない。
それでも子どもたちが秋月の姿を見ることが出来て、声が届いていたことを瑞貴は嬉しく感じていた。
「滝川君が優しそうな笑顔で何かしているのだけ見えた。でも、近付けなかったの」
境界の紐で結界を作った影響かもしれない。瑞貴の姿は外から見えているようだったが、その事実は瑞貴にとって新しい情報になる。
「あの時、もしかして瑠々ちゃんもいたのかな?」
「……いた」
瑠々が一年以上前に亡くなっていることも秋月は知っているが、驚いている様子は見られない。
「滝川君には不思議な力があるの?」
「借り物の力だけどね」
「私の記憶が曖昧なのって、その借り物の力が影響してるの?」
「うーん。半分正解で半分は不正解。俺がやったことじゃないけど、俺が関係してはいる」
「そうなんだ。……それじゃぁ、最後に一つ」
「何?」
秋月は瑞貴をジッと見て次の質問までの間を取った。意味ありげな雰囲気で真剣な顔の秋月に見つめられてしまい、瑞貴は軽く身構えてしまう。
「滝川君と私、初詣の約束してた?」
「えっ?……あれは約束になるのかな?……ゴメン、どちらとも言えない」
「約束っぽいことはしたんだ?」
「……したような気はする」
「ありがとう。今日はこれで許してあげるね」
秋月は瑞貴に笑いかけて神社から出ていこうとした。
神社から離れる前に瑞貴は『また来るよ』とだけ呟く。瑞貴は秋月に追い詰められている姿を子どもたちに見られている気分がして、照れて苦笑いを浮かべていた。
大黒様は秋月のマンションに向けてテクテクと歩いていく。秋月も道案内する気はなく、大黒様や瑞貴が場所を知っている前提になってしまっていた。
角を曲がりマンションの前の道に出た瞬間、瑞貴は見覚えのある姿を発見して呆れてしまった。
「……あれ?……あの人、駅まで案内した人だ」
正確には人ではない。
瑞貴と秋月が一緒にいることを知っていて、こんな場所に姿を現したとなれば、鬼も隠れて行動することを止めたらしい。
「秋月さん、あの『人』も重要な関係者だよ」
「えっ!?」
驚いている秋月に鬼が話しかけた。
「先日はありがとうございました。お嬢さんのおかげで電車に乗り遅れなくて助かりました」
「えっ?……あの、はい。……でも……」
鬼を前にした秋月を見ていると、本当に記憶が書き換えられていることを瑞貴は実感する。秋月は鬼に送られて帰宅したことがあるはずで、困惑する必要はなかった。
「……それじゃぁ、秋月さん。この人は気にしなくていいから、話の続きはまた」
「あ……、うん。……送ってくれて、ありがとう」
戸惑っている様子は見せていたが、秋月は大黒様にも『ありがとうね』と優しく声をかける。僅かに瑞貴が不機嫌になったように感じていたので何も言わずに別れることにした。
「じゃぁ、行きましょうか」
「はい」
鬼は秋月に会釈をして、瑞貴と共に歩き始めた。秋月も軽く頭を下げて挨拶をした後、二人が歩き去って行く姿を眺めていた。
「……怒っていますか?」
「怒ってはないですけど、随分堂々とした登場で混乱してます」
「混乱、ですか?」
「閻魔大王からメールが届いたけど意味が分からないし、秋月さんの記憶は戻ってきてるみたいだし……。説明してもらえるんですよね?」
「説明が必要ですか?」
「俺、頭を休めるためにお参りに行ったはずなんです。それが、今まで脳をフル稼働させられたんですから説明を要求するくらいはいいですよね?」
「それは失礼しました。……事情が変わったんです」
「それはメールで見ました」
「秋月穂香さんの記憶が戻りつつあるのは、あの方の心の力です。記憶の断片や身の回りにある物を『こうだったら良い』と考えながら繋ぎ合わせたんでしょう」
「『こうだったら良い』?……それって、秋月さんの願望が入ってるってことですか?」
「ええ、記憶は頭の中だけに残すものではないんです。あんなヌイグルミをプレゼントするのは貴方くらいですから」
鬼は歩いている大黒様を見た。それに関しては瑞貴も激しく同意するしかなかった。
「あれを買った時はこんなこと予想してなかったから。でも、記憶が戻ったら罰にならないですよね?」
「罰ですか?……それでしたら、貴方は十分過ぎるくらいに苦しんだじゃありませんか」
「苦しんだ?……俺が?」
「はい。山咲瑠々のことで貴方は自分自身を責め続けていた。天照大御神の助けで解放されることになりましたが、あの時点で秋月穂香さんの記憶を書き換えたことは誤りだったのです」
「あぁ、姫和さんたちが八雲さんを紹介してくれたから?……でも、それなら八雲さんと話せたんですから秋月さんとのことは関係ないのでは?」
「ええ、現時点では無事に乗り越えられていますが、閻魔大王も反省しておりました」
「えっ!?閻魔大王が反省?」
神の立場で亡者を裁いている閻魔大王が瑞貴に与えた罰のことで反省していることを知り、驚きのあまり立ち止まってしまった。
「数百年に一度、あるかないかの珍しいことです。あの状況で貴方を一人にしてしまったことは想定以上の罰になってしまったんです」
「……俺を一人に」
「あぁ、失礼しました。『貴方を一人にしてしまった』ではなく、『貴方から秋月穂香さんを引き離してしまった』の言い間違いです」
「わざわざ言い直さなくてもいいです。……恥ずかしいだけなので」
瑞貴は歩き始めた。瑞貴が瑠々を救えなかった苦しみを秋月と一緒なら乗り越えられたと言われているような気がして照れくさくなってしまう。
「そろそろお認めになってはいかがですか?」
「何を?」
「貴方自身のお気持ちに、です。人を愛することは素晴らしいことだと思います。『浄玻璃鏡の太刀』を手にする者が心を偽っていてはいけません」
「……まさか鬼に愛を説かれるとは思わなかった」
「そうですか?人間を知る上では重要な要素になります」
その意見に関しては瑞貴にも不満があった。
全てを終えて子どもたちを無事に送った後で瑞貴は告白するつもりでいた。その機会を奪ったのは他ならぬ閻魔大王である。
「与えた罰を撤回するわけにはいきませんが、本人の力で記憶が呼び覚まされることを止めたりしません。貴方が話してしまうことも止めません。……それでも一度書き換えられた記憶が完全に修復されることもありません」
一度気持ちを途切れさせてしまった瑞貴は秋月に想いを告げることはしないと決めていた。
神媒師として務めを果たす中で、もしかすると再び罰を覚悟して『浄玻璃鏡の太刀』を使うことがあるかもしれない。その時に秋月を巻き込んでしまうことを繰り返すわけにはいかないと考えていた。
「そうですか。でも、俺が話してもいいのは助かります。何があったのかを説明してあげれば秋月さんも納得してくれるはずなので」
「細かなことまでは話す気はないと言うことですか?……お伝えにはならないのですか?」
「細かいことなんて俺だって覚えてません。それに、あの一ヶ月の記憶が曖昧な秋月さんに気持ちを伝えても虚しいだけです」
「そうですか」
「でも、それが『事情が変わった』ってことになるんです?」
「少しだけ違います。ここまでは事情が変わって貴方への罰が見直された説明です」
「えっ?それじゃぁ、事情が変わったって?」
「今は詳しくお伝えするわけにはいきません。……ですが、瑞貴殿がこのまま進み続けることになれば、お分かりになると思います」
「……まだ『次』があるんですね」
「申し訳ございません」
あずさの家に起こっていることを解決した後にも新たな問題が待っているらしい。それでも瑞貴には予感めいたものがあり、驚きは少なかった。