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シーン1:過去から覚めて、今朝を駆ける



 -§-



【2223/05/03 PM06:45 T都S区某所、閃奈の自宅】


 目覚ましのアラーム音で目が覚める。なにか夢を見ていたような気がするが、内容は憶えていなかった。


「ぅ、……ん」


 意識は覚醒しても、眠気は強く瞼は重い。要するにまだ起きたくない。

 容赦なく耳朶を打つ無機質な電子音から逃れようと私は顔を背けるが、そうするとカーテンの隙間から差し込む陽光が瞼にかかる。


「ぐわ」


 網膜を刺激する眩しさに堪らず呻く。瞼を覆う「睡眠欲」という名の分厚い氷は一瞬にして解凍されてしまった。

 それでも私は往生際悪く枕と毛布で全身を隠すのだが、けたたましいアラーム音はその程度の防壁など容易く貫通し、それどころか徐々に音量を増加させていく。


(……そういえば昨晩、アラームの音量設定、最大にしてた)


 当然、スヌーズ機能もオンにしてある。つまりこのまま布団内に引きこもっていても、元を絶たない限りは延々「起きろ」と喚かれ続ける羽目になるのだ。


「むぐぅ……」


 私はそれから数分間、布団内でぐねぐねと芋虫のように悶えたが、結局はその無駄な抵抗を諦めた。

 意を決して毛布を跳ね除け、思いっきり伸びをしてからベッドを降りてみれば、床に足がついたときにはすっかり眠気は去っている。

 こればかりは若者の特権だ。あるいは、学校に通っていたころの習慣がまだ残っているのか。どちらにしても肉体が健全であるなによりの証拠、素直に喜んでおくべきだろう。


 そんなことを考えながら、私は窓際まで歩み寄ってカーテンを引き開ける。すると溢れんばかりの陽光が一気に室内を満たした。

 すでに予想できていたが、どうやら今日は快晴のようだ。そのまま窓を開けると涼やかな風が吹き込んでくる。

 都市部らしい金気臭さをわずかに含んだ大気は「心地よい」とまではいえずとも、頭の片隅にこびりつくベッドへの執着を振り払うには十分な効果を発揮した。


「おはようございます、と」


 誰に聞かせるでもなく独り言ち、私は身支度を開始。

 部屋を出て洗面所へ行き、鏡を前に歯を磨いて顔を洗ってその他に色々。

 色々、の詳しい様子は割愛する。年頃の女の子の私生活を、微に入り細を穿って語るべきではない。


 それから再び部屋へと舞い戻り、今度は着替えを行う。

 ここで下着の上から身に付けるのは普段着ではなく、ベッド脇に畳んで置いてあった上下揃いのジャージだ。結局ほとんど袖を通すことのなかった高校指定のものから、校名の刺繍を抜き取って再利用している。

 そこにスマホと財布と家の鍵を突っ込んだランニングバッグを腰に巻けば、日課の早朝ジョギングの準備がほぼ整う。


「よし、と」


 鏡の前で後ろ髪を括った後、窓に施錠をしてから部屋を出て、一階へ下る階段を降りる。

 まったく生活音のない静かな空間に、私の足音だけが規則正しいテンポで響く。そんな空虚さにもとっくに慣れてしまった。私はこの二階建ての一軒家に、数年前からたったひとりで住んでいるのだ。


 ただ、最近は()()()が増えた。なので朝の挨拶も兼ねて、私はリビングに入る。ガラス越しに薄暗かったリビングは、ドアを開けると同時に明かりで満たされた。自動照明機能、ではない。同居人が気を利かせて照明を点けてくれたのだ。


 と、そこで目の前にコップが現れる。

 糸で吊るされているわけでもないのに宙をふわふわと漂うそれを驚きもなく受け取れば、よく冷えたミネラルウォーターがたっぷりと注がれていた。


「おっと、ありがと」


 礼を言いつつ口をつけ、一気に飲み干す。これも同居人の気遣いだ。私が毎朝こうしてリビングに入るたび、()()は目覚めの一杯を律儀に用意してくれる。


「おはよう、()()()


 私が声をかけたのは、リビングの隅っこにクッションを敷いて鎮座するひとつの“箱”だ。膝に抱えられるくらいの大きさ、全辺が均等な長さのそれは、表面に紫とも緑ともつかない不可思議な燐光を這わせている。

 この、やや古いサイバー趣味のオブジェにしか見えない“箱”こそが、私の孤独な生活に入り込んだ同居人であった。



 -§-



 彼女――私は仮に女性の人格を見出している、そのほうが一緒に暮らすうえで気楽だからだ――は私の入室を認めて、チカチカと表面を明滅させた。すると柔らかな喜びの感情が私の思考に直接伝わってくる。

 彼女には明確な自我があり、またそれを曖昧にだが伝える能力も備わっていた。一種の“テレパシー”である。

 なにせ、こんな形でもパッチはれっきとした「超能力者」なのだ。もっともそこには「人工」という頭文字を付け加えなければならないが。


 パッチは元々人間だった。より厳密に定義すれば、百人以上の子供の脳を()()にして造られた、いわば「超能力発生装置」だ。それも正真正銘の。

 詳しい事情は省くが、とある()()()()()()()()()()()()()()()()()()の商品として売り飛ばされかけていた彼女を、紆余曲折の末に私が引き取ったのである。

 また、パッチという名前は彼女の生まれに由来している。即ち「継ぎ接ぎ」。自分でも少し悪趣味だとは思うが、固有の名前を定めてしまえばその一人以外を蔑ろにしてしまうような気がして、結局総体としての名を付けざるを得なかったのだ。


「……パッチ、これから日課のジョギングに行ってくるね。悪いけど、ご飯とお風呂の用意しておいてくれる?」


 物思いを振り払って私が言うと、“箱”の傍らに置いたディスプレイが起動し、その画面に大きく「○」の表示が出た。次いで戯画(イラスト)化された笑顔の表示。


「ありがとう、……それじゃ行ってきます」


 礼を言ってリビングを出る。その間際、背中にほのかな寂しさの感情を感じた。


「す、すぐに帰ってくるから」


 振り向いてそう告げると、ディスプレイには手を振る映像が現れた。私も手を振り返し、そのまま玄関まで小走り。後ろ髪を引かれるとはこのことか。あまり躊躇っていると、家から一歩も出れなくなりそうだった。


 そう、パッチは本当に素直ないい子なのだ。

 それに物覚えも抜群によく、私が教えただけで一通りの家事は完璧に熟せるようになってしまった。お茶汲み程度ができればいいかな、と思っていたのに嬉しい誤算である。


(しかも、料理すっごい上手いし……)


 試しにレシピ本を()()()()みたら、あっという間に内容を憶えてしまった。

 以来、冷蔵庫に材料さえ入れておけば、パッチは“サイコキネシス”を自在に用いてそれらを調理してくれる。ちなみに調理中のキッチンには立ち入り禁止だ。なにせ、調理器具がびゅんびゅんと縦横無尽に飛び交うのだから、危険すぎる。


(自分の身体より重い物は持てないけど、フライパンを振ったりする程度なら余裕っぽいしね……)


 むしろ、段々とその操作精度は向上しているようにも思える。軽い気持ちで仕込んだ家事が、パッチの潜在能力を飛躍的に開花させてしまったのは、なんというか皮肉であった。


(それでも、……兵器として使われるよりは、いいのかな)


 靴を履きながら考える。


 私はパッチに選択肢を与えたつもりだったが、実際はどうか。彼女は本心から私と一緒に暮らすことを喜んでくれているのだろうか。それを本人に問うのは気が引けた。いつかははっきりとしなければならないが。


 それにもちろん、パッチをこのまま永遠に小間使いとして置いておくつもりは毛頭ない。ある程度の一般常識や生活手段を教えたら、どうにかして「身体」を与えてあげたいと思っている。


 科学技術の高度な発達は、生身と変わらない性能を持つ義手や義足の開発を容易に可能とするまでになった。自立人形(アンドロイド)はその延長線上に位置するもので、本来ならば量子コンピューターが務める頭脳の代わりにパッチそのものを組み込んであげれば、曲がりなりにも彼女には自由な肉体が備わる。


 無論、現状でそれはただの希望だ。パッチの扱いについては慎重な対応が求められるだろうし、彼女が本当に「個人」としてこの世界で生きていくには、多くの困難が伴うだろう。私が所属している組織の人々は可能な限りの便宜を図ってくれるとは言うが……。


(私がやってるような「おしごと」は、流石にさせたくないし)


 吐息。そのあたりの配慮を木世川さん――不本意ながら私の直属の上司とも呼ぶべき人間だ――に求めるのは、正直にいって不安でしかない。私がいうのもなんだが、あのオジサンは倫理観がどこか狂っていると思う。


「……やめよう、朝からげんなりする」


 嘆息。私は頬を軽く叩いて気持ちを切り替えると、玄関のドアを押し開けた。

 外の光で一瞬だけ目が眩み、思わず目を瞬く。滲む涙をジャージの袖で拭えば視界が開け、自宅の門越しに見慣れた住宅街の景色が目に入る。


 実のところ、ここいら一帯の住民には、いわゆる“一般人”がひとりもいない。向かいの三人家族も右隣の一人暮らしの会社員も、全員がとある組織に所属しており、それは私の「おしごと」に関係する人員なのである。


(私自身の保護と監視、なにより機密保持の観点からそうしてるって、前に森船さんが言ってたっけ)


 少なくとも、私の自宅から半径数キロ圏内には常に、市民を装ったエージェントが待機しているはずだ。

 無論、それを知ったところで特別な感慨はない。私の力を鑑みれば厳重に見張られるのは当然だろうし、それで面倒ごとが避けられるならむしろ望むところだ。


 私は玄関を厳重に施錠すると、準備運動を開始した。膝を屈伸し、アキレス腱を伸ばし、肩を回して胸筋を解す。

 故障を防ぐためには決して欠かせない行為だ。身体を義体化していなくても、いやだからこそ、日々のメンテナンスとトレーニングが重要になってくる。なにせ私の肉体はたったひとつしかないのだから、それを常に磨き上げ強化し万全の状態に保っておくのは“業務上”必要不可欠な要素である。


全身義体(サイボーグ)化、……したら色々便利だろうけどさ)


 私の「おしごと」の内容を考えれば、むしろそれは推奨されるべき選択肢であろう。つまり、五体を人工物に置き換えることで、肉体強度や運動性能の爆発的な強化を図るのだ。


(そうすれば脳が吹っ飛ばない限り死なないし、米軍規格の最新式にすればパンチ一発でコンクリ壁抜けるようになるし……。レーザーとかガトリングとか火炎放射器とか仕込んだら、戦闘能力は雑に増すよね、かなり)


 そこまで考えて、つい苦笑が漏れた。

 悪党を目掛けて全身からミサイルをぶっ放したり、片手でトラックをひっくり返したり、雨あられと降り注ぐ銃弾の最中を突き進んだりするのはさぞかし爽快だろうし、傍目にもきっと面白い絵面になるのだろうが……、


(趣味じゃないなあー)


 そんなことになれば、今度こそ「普通の女の子」は跡形もなく消滅する。戦闘兵器満載の身体はさぞかしぎくしゃくして動き辛いことだろう。

 また、下手に身体を弄ったせいで私の超能力が消失しても困る。森船さんに以前見せてもらった古い文献に「身体の大部分を機械化したら超能力が弱体化した」という記述があったので、その辺りの判断は慎重にならざるを得ない。


 なにより私には、親からもらった身体を大事にしたいというこだわりがある。

 それは現代において「懐古趣味(レトロ)」の一言で切って捨てられるような、恐ろしく保守的な考えなのだろうが、


(取り返しがつくものじゃないからなあ)


 それに、いくら身体を頑丈にしたところで、死ぬときはあっさり死ぬものだ。

 全身義体とて不死身ではなく、命そのものの脆さは誰もが平等だ。私はそれを実感として、否、千切り裂いた時の手触りさえもよく知っている。


 なら、どうせ死ぬのならその瞬間は、私は私のままでいたい。


(お父さんとお母さんは、どう思っていたのかな)


 私はその光景を思い出す。


 胸を柘榴のように弾けさせ、大量の血飛沫を撒き散らしながら倒れた父の姿を。悲痛な絶叫を迸らせながら、首から上を一瞬にして焼失させられた母の姿を。私を守ろうとして殺された、あまりにも無残な両親の死に様を。


「…………、」


 そこで、準備運動が完了する。私は血腥い過去の情景を脳裡から振るい落とし、一息を吐いてから駆け出す。


「ふっ」


 軽く助走をつけた勢いで地を蹴り、門柱を足掛かりにその上を飛び越える。このくらいの身軽さは「おしごと」を繰り返すうちに自然と身に付いた。

 そうして表の道路に着地すると同時、ジョギングを開始。朝の大気を割り裂いて走り出す。ルートは町内を三週。おおよそ一時間もあれば終わる予定だ。


「そしたら……」


 どうしようか。数多の線となって流れる街並みを横目に、頬を打つ涼風を感じながら、今日の予定を考える。


 帰宅したらまずシャワーを浴びて、着替え終わったらパッチの作ってくれたご飯を食べよう。そうしたら今日は特に用事はない。

 たまには家でテレビでも見ながらゴロ寝しようか、それとも新作の映画でも観に行くか。でもあまり興味を引かれるようなやつは演っていなかった気がする。

 普段通り町内を散策するのが鉄板だ。もうひとつの日課である「人助け」もできるかもしれない。その帰りにパッチになにかお土産でも買っていこうか。

 新しいボードゲームを彼女は喜ぶだろう。普段やっている将棋――数世紀前から続いている国民的ブームはいまだ衰えていない――が特にお気に入りだが、流石に毎日では飽きてしまうだろうし……。


「ふふ……」


 楽しい。新しい同居人との暮らし、彼女のことを考えながら送る日々について、私は素直にそう感じていた。


 もしかしたら私は寂しかったのだろうか。どうだろう。家族を失いかつての友人とは縁を切り、ひたすら一方的な死を押し付け撒き散らすだけの「おしごと」を繰り返すだけの日々は、確かに空虚な孤独に満たされていたような気もする。


「なんだかなあ」


 いつかは別れの日がくるのだから、あまり依存しすぎてはいけない。己にそう釘を刺しつつも、頬に生じる緩んだ表情は中々治まらなかった。


 ああ、まったく。


「……人生、捨てたもんじゃないね!」


 私は意気揚々と、走る速度を上げた。



 -§-



 そうして。家に帰りついた私が朝食――本格的なロコモコ丼で、とても美味しかった――を食べ終わったと同時、まるでタイミングを見計らったかの如くにスマホが鳴った。


 画面に表示されていたのは「おしごと」の四文字。


「……はぁ」


 予定が潰れた落胆と苛立ちを混ぜ込んだ吐息を零し、不承不承に私は通話に応じる。こうなっては仕方がない。これが今の私の生きる術なのだから。


「――それで、今日は何人ですか?」


 私の問いに電話の相手は応える。それを私は聴く。意識を研ぎ澄まし、感情を沈み込ませて、昆虫めいた冷たい思考に刻み付ける。


 そう。私の仕事は「殺し屋」だ。それを辞めるつもりは、いまのところ、ない。



 -§-



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