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うつろ

作者: アーモンド

《アーモンド 短編集》

作品1 「うつろ」


なにかが足りない。

いつもそう感じていた。

自分はこれといって不自由な生活をしている訳ではない。

ただ、真夏の富士山のようになにかが確実に“違う”のだ。

高校一年目の夏の始め、成績表を見つめ肩を落とす。

ただただ不安そうに電車を待った。

敷かれたレールの上を自力で進むのではなく、敷かれたレール

の上を走っている電車に乗るように自分の人生も進んでいってしまうと思うと、得体の知れない焦りに似た何かが心を奪ってゆく。

『なんとかしなきゃ』

そんな気持ちなんかは、ほんの一瞬で大きな穴に変わり、消える。

シューと電車のドアが開き、外の生々しい空気が入り込む。

いつものことだ。

日常を日常と意識しない生活。それが良いか悪いかなんて、死ぬまでわかる気がしない。太宰治だって、ただぼんやりとした不安にかられて死んだ。水中の奥底で、彼が最後に感じたのは何だったのだろうか。

安心感か、後悔か。あるいは、人間という生物に生まれてきてしまったという哀しみだったのだろうか。やはり、苦しみが一番だっただろう。

もっとも、将来的に見れば、彼は楽になれたのかもしれない。

ただ僕は、死ぬほどではない。

そんな己に酔いしれる勇気なんて持ち合わせていない。実際、彼が酔っていた訳ではないのも重々承知しているつもりだ。

ガタンゴトンと一定のリズムが刻まれる。これは電車の心臓の音。

ガタンゴトン。

景色は変わっているようで、結局は同じモノを繰り返しているだけ。

家、家、店、家、家、家、踏切、家…。

ただ繰り返し続けながら、揺れている。

心の不安を紛らわすため、携帯を見てみる。通知なんかは当然なく、

インスタを見て時間をひたすら潰す。毎日、毎日嫌気がさすのをわかっていながら、プロの写真家が撮った訳でもない、輝きに満ちた“映え”の写真を自分の心の空虚感を埋め合わせるために見続ける。

SNSは楽しくはない。やらないという選択肢が最早(もはや)ないだけなのだと思う。

「あれ、城山くんじゃない?」

イヤホンをつけようとした時、聞き覚えのある声がした。それは僕の元カノのようでもあったし、ずっと前に引っ越した友人の声のようでもあった。その声の主を確認しようと振り向くや否や、何人かの乗客がちょうど電車を降りていった。たぶん、声の正体などは失った記憶の断片に過ぎないだろうと、降りていく乗客の背を見て感じた。

僕は、断片的に空いてしまった座席の一つを埋めた。そして、何も気にせずにそのまま眠った。

目を覚ましてから寝過ごした事に気づくまで、さほど時間はかからなかった。乗っていた電車は最寄りからだいぶ離れ、人里離れた田舎町の方まで来てしまっていた。駅名も見覚えのないくらいに遠くまで迷い込んだようだ。

ただ、この状況でも心は空っぽで、大した焦りもない。友達と遊ぶ約束もしていない。クラスの奴らとご飯を食べに行く訳でもない。使わなかったお金だけがひたすらに貯まっていた。

自分は自由だ。何もない、空虚な自由。どんな自由を埋め合わせても足りない。

気づけば僕は駅を出て歩き出していた。まるっきり知らない土地で、知らない人とも会った。それらはどれも、どこか物足りない風景であった。でも、奥に広がる緑の大きな山々には、えもいわれぬ魅力を感じた。魅力というより、人を惹きつける、欲のようなモノが秘められていた。一本一本の木々が集まってできているのは見てわかる。しかし、それとは全く別の核が自分の歩みを進めさせていた。危険とか、心配なんかは正直どうでもよかった。恐怖よりも確実に好奇心が勝っていた。前だけを見て、僕はその足で一段ずつ山道を登る。飢えた人が食料を貪り喰うように、ずんずんと奥へ進んでゆく。自分の体が信じられないほどに軽くて、何も気にならなかった。

綺麗に整えられた参道ではあったが、所々にぬいぐるみやらおもちゃやらが落ちている事だけが気がかりではあった。それをゴミと表現するのはあまりにもはばかれられる気がして、すっからかんのカバンにそれらを詰め込み、また歩き出した。木々の間からは透き通った川や湖が広がっているのが見える。足元にはたくさんの虫がいて、子供の頃好きだったカブトムシも、時々見かける事ができた。辺りは少しずつ赤みを増してきたが、目の前だけはぼんやりと暗い。一組の父子と、挨拶も交わさずにすれ違うと、彼らは山道を外れ、暗闇へと消えていった。気味が悪い。それでも僕の足は進み続ける。

どこからか、柔らかな木管楽器の音色が聞こえてきた。クラリネットだろうか。その他にも管楽器の音が聞こえてくる。誰かがアンサンブルをしているのだろう。試行錯誤を重ね、磨きあげられた彼らのハーモニー。しかし、そんな言葉だけでは表しきれないような複雑な響きにも聞こえた。頂上から光が射し込み、僕はその場を駆け出した。美しい響きではあるのに、風景であるのに、それら全てが気に触った。

だまれだまれだまれ。

酸素が薄く、息苦しい。走れば走るほど不安になる。ただ、ぼんやりとした光の方へとバックを捨てて必死になって走った。カバンの中から物が転がり落ちるの見ることもなく、気づけば僕は頂上にいた。

─────そんな気になっていた。

辺りはただの暗い闇で、そこには仲間も夢もない。ポツンと置かれた机には、スマホと財布と、勉強道具だけが置いてある。

電子的な音がピコンピコンと頭の中に響く。そこには何も無かった。

夢も仲間も思い出も、好奇心でさえも山の麓に落としてきてしまった。

あまりにも危険で取りにも戻れやしない。耳をすませば、微かに聞こえるクラリネットの音が愛おしくろ僕はその場にうずくまってしまった。

ただ暗闇の中に一人、しゃがんで丸まって、足りなかったモノがやっとわかった。それはきっと僕が落としてきてしまったモノ。光に導かれるがままに登ってきてしまった頂点には、美しい星空などはなく、ただ空を厚い雲が覆っているだけの空虚な空間が宇宙のように広がっていた。


「城山くん、城山くん?」

ゆっくりと目を開ける。まだ一定のリズムで電車は走っている。

「次、最寄りでしょ。着いちゃうよ?」

「あっ、えっと…ありがとう…?」

「もー、まだ覚えてないの?私は十組の星川だよ。ほら、英語の発表グループ一緒だったじゃん。」

電車のドアが開き、駅員の声が車内に響く。

「ほら、早く。また明日ね。」

お礼を言って、僕はホームに降りた。やがてドアの閉まる音がして、僕は後ろを振り向く。彼女は笑顔で手を振っているので、僕もぎこちなくそれに返した。

本当にロボットのようだったが、そこで一つ気付いた事がある。

「あぁ、なんか久しぶりに人と接した気がする。」

悲しい事ではあるけれど、どこか達成感もあった。

ホームを抜けるとまたいつもの風景が広がっている。少し蒸し暑い初夏の夜。

気まぐれに吹く風が空っぽの心の中を吹き抜けた。車の排気ガスも、お店の明るい看板も、すれ違う女性のハイヒールの音も、記憶からすぐに抜け落ちていく。心地よいテンポで一歩ずつ大切に歩みを進める。

バイブが鳴り、携帯を見ると、母親から連絡が来ていた。

「今日はそうめんか、久しぶりだな。」

顔を上げると、空は雲で覆われている。

その空の中にひとつだけ、小さく光る星を見つけた。

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