第8話 「奪われた肉体」
「お兄ちゃん!どうしてここに!?」
「良かった。無事だったか、鈴……ごほっ!!」
鈴香のあられもない姿に、思わずむせ返る。
本当にギリギリだったんだなと、心から安堵する。
「もう大丈夫だ。立てるか?」
「う、うん……ありがとう」
羽織っていた上着を鈴香の肩にかけると、彼女の震えが伝わってきた。そりゃ、こんな目に遭って平気でいられるわけがないか。
「あーあ、余計な邪魔が入っちまったよ……とんだ茶番だ」
「比賀、先輩……!やっぱり先輩が乗っ取られていたのか!」
「ご名答!この体はいいぞぉ。健康状態は良好、やはり若者が一番だな」
比賀先輩の体を奪った悪霊は、肩を鳴らし、怪我した頭部に手を当てる。すると血は止まり、怪我は完全に修復されてしまう。
「まさか……それも霊能力なのか?」
「そうよ。だから悪霊は封印するしか倒す方法がないの。傷つけても何度でも修復するわ」
「なんて厄介な……って、夕凪!?」
いつの間にか、俺の横に夕凪が立っていた。
「わっ!この人誰!?」
「本当にお主は急に出てくるのぅ」
幽霊より気配がないんじゃないかと思える夕凪の服装は、いつもと違い赤と白の巫女装束を纏っていた。
「へぇ、揃いも揃って僕を封印しにやってきたというわけだねは」
「あなたは好き勝手しすぎたわ。この人数では分が悪いわよ?観念して封印されなさい」
それを聞いた悪霊は高笑いする。
「まあ待ちなよ。アンタはどう考えても、『こちら側』じゃないか」
「?何を言って……?」
「アンタのことじゃない。そこのおチビさんだ」
悪霊はエミルを指差して言う。
「誰がおチビさんじゃ!妾はご主人の味方じゃぞ」
「味方ぁ?ここはお笑いステージじゃないぞ。まさか、本気で悪霊と人間が共存できるとでも思っているのか?」
「妾は悪霊ではないのじゃ!お主のような悪行もせぬ!」
「そうだ、これ以上エミルを惑わすなら……うぐっ!?」
霊能力を使おうとすると、脇腹に痛みが走りうずくまる。
か、肝心な時に……!
「ご主人、大丈夫か!?」
「はっ、ははははは!そうか、そういうことか!」
膝をバンバン叩いて笑う悪霊。正直、比賀先輩の姿を今すぐやめてほしいと思うほどに腹立たしい。
「なぁ、おチビさん。これを見てまだ自分が悪霊じゃないと言い張るのか?」
「……どういうことじゃ?」
「本来、悪霊は乗っ取る相手の体に潜伏するわけだが、その間は筋肉痛のような症状になり、体をうまく動かせなくなる」
『悪いな。筋肉痛みたいでさ、体の節々が痛くて動かねぇんだ』
比賀先輩が言っていた言葉だ。
この言葉がなければ、俺は違和感に気づくこともなく、鈴香を悪霊から助けられなかっただろう。
「そこのご主人とやらは、『筋肉痛のような痛み』で苦しんでいるようだぜ?こりゃアンタが悪霊で、徐々にそいつの体を蝕んでいる証拠だ」
エミルの顔が青ざめる。
「……嘘じゃ」
「どのみちお前さんがなんと思おうが、紛れもなく悪霊。そいつの体を乗っ取る仕組みになってんだ」
「嘘じゃ嘘じゃ……うぅ……ッ!」
苦悶の表情を浮かべ、頭を抱えながら後ずさるエミル。
そのまま、俺の方を見てぐしゃりと顔を歪める。
「ご主人……すまぬ、すまぬ!」
ぼろりと一粒涙を流すと、俺の前から逃げ出す。
「エミル……!どこに行くんだ!?」
「自らを悪霊と自覚し、お前さんに申し訳なく思った、と言ったところだろうな」
腕を組んで嘲るように笑う悪霊。
「たまにいるんだ。ああいう訳の分からない悪霊。悪霊は悪霊らしく体を乗っ取り、好き勝手にやればいいものを」
「お前のようなケダモノに、エミルの何が分か……いたぁっ!」
先程とは比べ物にならないほどの痛みが足首に走り、前のめりに倒れてしまう。
「芥田くん。悪いことは言わないから下がっててもらえるかしら?」
「……面目ない」
夕凪に鬱陶しそうな目つきで見下ろされ、大人しく引き下がる。
おかしい、さっきまで問題なく走れる程度の痛みだったのに、いくらなんでもこんな急激に悪化するものだろうか。
「この場所は霊感が強いから、悪霊の侵食も早まっているのだろう。完全に体の自由を奪われるのは時間の問題だな」
悪霊の言う通り、全身が凝り固まっていくような感覚に襲われる。
「芥田くん。これで分かったでしょう。悪霊を放っておくと、遅かれ早かれそうなってしまうの」
夕凪はこちらを見下ろすように話しかけてくる。
「……エミルは、本当に悪霊なのか?」
「初めから、そう言ってきたはずだけど。あなたはそんな現実を受け入れられなかった。違う?」
夕凪の言葉は正しく、残酷だった。
色々適当な理由をつけてエミルは悪霊じゃないと決めつけ、向き合おうとしなかった。
夕凪の一方的な物言いに腹が立ったのも事実だが、信じようという気持ちを持たなかった俺の落ち度だ。
「……夕凪」
「何かしら?」
「俺はエミルを追う。悪霊と鈴香のこと、頼んでいいか?」
「あなたに言われるまでもないわ。鈴香さん、私から離れないで」
「は、はい……」
鈴香は心配そうな目でこちらを見る。彼女を巻き込んでしまったことを、心底申し訳なく思ってしまう。
この事件が無事解決したら、ちゃんと親とコミュニケーションを交わしていこう……なんて今考えるのは死亡フラグだろうか。
「すまない、ここは任せた」
軋む体に鞭打って走る。
「ゆ、夕凪さん。お兄ちゃんの言ってる、エミルってのは何のことですか?」
そうだ、鈴香にはエミルの姿は見えないんだった。この説明は夕凪に任せよう。
「それは芥田くんの痛い幼女の妄想だから、気にしなくていいわよ」
任せた俺がバカだった。
だが今はそれどころではないので、エミルを探して繁華街へ足を走らせた。
☆
『えみ……る?』
『そうそう!永遠に美しく留まると書いて永美留』
『ぷっ……なんじゃ?そのヘンテコな名前は』
『そんなおかしいかよ。名前がないって言うから考えてやったのに』
『いやいや、気に入ったぞ。エミルか、良い名じゃ』
『むきーっ!お主は本当に将棋が強いんじゃのぅ』
『ははは、エミルもなかなかやるじゃないか』
『むぅう、悔しいのじゃ……もう一戦じゃ!』
『真剣白刃取り取り?』
『そう、こうやって刀を受け止めるんだ』
『そんなので受け止められるのか……?』
『そっか、お前も俺と同じように一人なんだな』
『記憶がなくてのぅ、幽霊ってこと以外は何も覚えておらん。家族のことも、なーんにもじゃ』
『俺とエミルはもう、家族みてーなもんたろ』
『家族……のぅ』
『ご主人!しっかりするのじゃ!』
『いてて……なぁに、大丈夫さ』
『体も動かせず何を言っておるのじゃ!早くその札で、妾を封印するんじゃ!このままじゃ、ご主人の体は妾に乗っ取られるんじゃぞ!?』
『これは、筋肉痛だって、言ってるだろ……?』
自分が悪霊だと気付かされた途端、濁流のように脳に押し寄せてくる、エミルの過去の記憶。
涼真に対するいたたまれなさと、申し訳なさに耐えられなくなり、涼真の前から逃げ出し、繁華街の路地裏に身を隠す。
「妾は、取り返しのつかないことを……」
どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう。
「夕凪とやらが、正しかったのじゃ……妾は早く封印されるべきじゃった」
思わずあの場から逃げ出してしまったが、こんな所にいても、涼真の体は蝕まれていくだけ……あの頃と同じように。
「ご主人と一緒にいる資格などなかったのじゃ」
口ではそう言いながらも、呼び起こされるのは涼真との楽しかった記憶ばかり。
そういった思い出も、全て煩わしく思えて、頭を振って忘れようとする。
「あぁ、いたいた」
聞き覚えのある声。振り向かずとも誰かくらい分かる。
「ご主人!?ど、どうしてここが分かったのじゃ!?」
「ここの焼肉屋は絶品だもんな。店の裏でもいい匂いがする」
「うぅ、バカにしておるのか!こんな時まで食い意地は張っておらんのじゃ!ううぅ……」
なんて言葉を吐きながら、エミルの瞳から涙が溢れる。
「ご主人は妾といると、妾に体を奪われてしまうのじゃぞ?昔、妾を守ってくれた男もそうじゃ。意図せず体を奪ってしまい、男は助からなかった。全部思い出したのじゃ、妾とご主人は共に生きることはできんのじゃ」
「俺の小さい時、両親は暴力や喧嘩ばっかりで全然構って貰えなかったんだ。それから親父は再婚したんだけど、新しい家族とも馴染めなかった。そんな時にエミルが来てくれて、近くにいてくれて、家族みたいに思えて、嬉しかった」
「......うぅ、気恥しいことを真顔でぬかしおって!本っ当に、あの時の男と同じ愚か者じゃ!どうしてこう、妾のご主人になる者はバカなのじゃ!いや、人間が愚かなのじゃ!」
泣きじゃぐりながら怒るエミルの頭をそっと撫でる涼真。
「バカバカ!優しくするでない……そんなことされたら、またあの時みたいに好きになってしまうではないか」
思い出したくもないけど、幸せだった過去の記憶。
男はバカで優しくて、悪霊である自分を心から愛してくれた。
エミルも同じだった。
だからこそ自分のせいで苦しむ男の姿が辛くて、悪霊である自身を激しく憎んだ。
「エミル」
涼真はしゃがみこんでエミルをぎゅっと抱きしめる。
暖かい人間の体温が全身に伝わってくる。
「エミルの言う通り、今の家族とも、しっかりやり直そうと思う。こう思えたのはエミルのお陰だ。これからも、俺と一緒にいてくれないか?」
「……こんな妾を、お主は受け入れるというのか」
抱きしめる力が強まったのは、肯定の証だろう。
「ご主人は、あの時の男と似ておるよ。じゃが、その優しさは自分の命を奪うことになってしまうのは、妾が一番わかっておる」
エミルは涼真の額に唇を重ねる。
すると彼の力が抜け、彼女の前で崩れ落ちる。
「……最後の最後で、騙すような形になってすまんのぅ。聞き分けのないご主人は、こうするしかなかったんじゃ」
涼真の上で馬乗りになり、そっと体を重ねる。
「その体、少し借りるぞ」




