第5話 「物騒」
「……なんとか撒いたの」
ここまでは追ってはこれないだろうという場所まで逃げると、エミルが口を開く。
「あの女の使う札はなんだったんじゃ……額に貼られた瞬間、意識が飛びそうになった」
……夕凪玲奈。
言動、行動は『不審者』と形容するのが最も適切であろう。
『その悪霊は、時間の経過と共にあなたの精神を蝕んでいくの!』
大人しそうな外見とは裏腹に声を荒らげ、必死さを訴えるような形相で、エミルを怪しげな札で封じ込めようとしていた彼女。
なんと言っても、俺以外にエミルの姿が見える人物がいることに驚きだった。
「エミル、なるべく幽体の状態は控えよう」
「む?どうしてじゃ?」
「夕凪の他にも霊感が強くてエミルが見える人もいるかもしれない。となると、幽霊だとバレてしまう幽体化の状態でいるのは得策じゃない」
現に夕凪にエミルが幽霊だとバレてしまったのは、幽体化していたからかもしれないしな。
「ご主人がそう言うなら、分かったのじゃ。ここで戻るのは人目につくから、どこか隠れる場所はあるかのぅ?」
「そうだなぁ……よし、あそこに行こう」
「なんじゃあの建物は?まあよい」
エミルと共に、人通りの少ない公衆トイレに駆け込み、幽体化を解除し、少女の足が床に着地する。
「よし、これで夕凪みたいな霊感の強いやつにも見つからなくて済むってもんだ」
公衆トイレから出ると、サラリーマンの男性と目が合う。
「……?」
随分と疑心に満ちた表情をこちらに向けてくると思ったら、今の自分の置かれた状況にハッとした。
今のエミルは実体化しており、霊感が強いも弱いも関係ない。当然だが、一般人にも少女の姿は見えるというわけで……。
「こ、ここここれは違うんです!勘違いなんです!」
年端もいかない少女と一緒に公衆トイレから出てくる大学生。
サラリーマンの男性は携帯電話を取り出すと、ピッピッと電話をかけ始める。
「させるか!」
男性に向けて手をかざし、霊能力を使用する。
一般人に使うのは些か気が引ける。しかしここであらぬ誤解を受けるわけにはいかない。
「……あれ?」
霊能力で男性の携帯電話を奪おうとしたが、何も起こらなかった。
「あー、ご主人。言い忘れておったが、妾が実体化しておる間は、霊能力の使用はできぬぞ?」
「そ、そうなのか!?」
「うむ。妾の実体化はご主人の霊能力の一つなのじゃ。霊能力は一度につき一つしか使えんからのぅ……」
ばつが悪そうに言うエミル。
「だが、ここは妾に任せておくのじゃ」
そう言うと少女は実体化を解除し、スーッと男性の顔の前に近付くと、再び実体化する。
「お〜ば〜け〜じゃ〜ぞ〜!」
「ひぎっ!?……ブクブクブクブク」
男性は短く悲鳴を上げると、泡を吹いて前のめりに倒れる。
「今のうちに逃げるぞご主人」
「お、おう」
今は暑い時期だし、放置しても風邪は引かないだろう。
うつ伏せでピクピクしている男性を置いて、その場から立ち去った。
☆
「むぅ、お主もなかなかやるのぅ。燃えてきたのじゃ!」
その夜、エミルがスマホと睨めっこしながら将棋を指す中、俺は珍しくテレビを見つめていた。
スマホを彼女に占領されているという理由でもあるが、何やら妙な胸騒ぎがした。
「そういや、俺にエミルが見えるのも、霊感が強いからなのか?」
「それは妾がご主人の体に取り憑いておるからじゃ。妾以外の幽霊を目にしたことはなかろう?」
「確かに……」
この胸騒ぎは霊感のせいなのだろうか……なんて考えながらテレビのチャンネルを回す。
《次のニュースです。〇〇町で殺人未遂の男性を逮捕しました》
あれ……この似たようなニュース、昨日もなかったか?
一瞬、昨日と同じ内容のニュースかと思ったが、この事件の日付は昨日……殺人未遂の犯人は捕まったはずなのに。
《逮捕された会社員の野村容疑者は『記憶にございません』と容疑を否認しており……》
この町も随分と物騒になったものだ。
「むむむ……あっ!むきーっ!飛車を取られたのじゃ!」
エミルがコンピューター相手に悪戦苦闘する中、俺は妙な胸騒ぎに苛まれていた。
その日の朝、通学中に比賀先輩からなんの前触れもなく電話がかかってくる。
「え!?昨日あの場所にいたんですか?」
その電話内容は、昨日ニュースでやっていたこの町の殺人未遂事件の犯人が捕まる現場に居合わせていたというものだった。
『あぁ、そーなんだよ。チラッと顔が見えたんだが、気の弱そうな男でさ。生気が抜けたように歩いてて、とても人を殺すような人物には見えなかったよ』
「まあ、人は見た目に寄りませんもんねぇ」
映画やドラマでは、一見温厚そうで優しい人ほど黒幕だったりするものだ。
『それで本題なんだが、今日の授業、代返頼んでいいか?同じ講義だからオレの分の出席カードを一緒に出して貰えたらいいんだが』
「それが犯人逮捕現場より大事な用件ですかい」
思わずため息混じりの声が出る。とはいえ、俺自身も比賀先輩に代わりに講義に出てもらうことは少なくなかったので、表面上は快く承諾する。
『悪いな。筋肉痛みたいでさ、体の節々が痛くて動かねぇんだ』
「筋トレでもしてるんですか?」
『自慢じゃないが、最近の筋トレなんて貧乏ゆすりくらいだ』
「ほんとに自慢じゃないっすね……」
体の節々が痛い……という言葉で、一瞬インフルエンザが頭をよぎるが、この暑い季節にそれはないだろう。
「まあ、そういうことなら先輩の出席カードも出しておくのじゃ」
『のじゃ?』
「あっ……いや、出しておきます」
意図せずエミルの口癖が飛び出してしまう。
一日中一緒にいて、のじゃのじゃ耳にしてたら感染もしてしまうのも無理のない話だろう。
『すまんな。じゃ、頼むわ。イテテテ』
電話が切れる。
「体調崩すなんて、珍しいな」
いつも比賀先輩が大学を休む理由なんて、サボりと相場が決まっているのに。
ふと、電話の切れたスマホのホーム画面を見ると、曜日と日付の無機質に並んだ文字が目に入る。
「そう言えば、今夜は鈴香が飯作りに来てくれる日だったな……」
毎週金曜日の夜と日曜日の朝は、兄である俺の体調管理という理由をつけて健康たっぷりの食事を作りに来てくれる。
だが、今日はダメだ。
犯人が捕まってるとはいえ、こんな立て続けに女性が狙われる事件が起きているとなると、鈴香も安全とは言えないだろう。
電車一駅分の距離とはいえ、油断はできない。
『うちの近くは最近物騒だから、今日は来なくていい。自炊する』
ちゃんと自炊するアピールを含んだ簡素なメッセージを鈴香に送ると、鞄の中にスマホをしまった。




