第3節 トンネルを抜けると(3)
「トンネルー?」
「向こう側―!」
この村には何か所か、立ち入ってはならないと言われている場所があります。私にはそれらが大人たちがひた隠しにする何かと繋がっているように思えてならないのです。どこを選んでも良かったのですが、小説の影響か、それとも心の奥底に眠る冒険欲か、私はトンネルを選ぶことにしました。
あのトンネルの向こう側には何があるのだろう?
少なくとも大人たちに気付かれずに潜入できる機会なんて今日くらいしかないのです。
「行くー!」
「あっ……行くー!」
一郎がぴょんと跳ねると、我に返った次郎も真似をします。やはり言うべきではなかったですね。私も少し浮かれていたので反省です。まだ見ぬ世界をこの可愛いマスコットたちと一緒に探検するのはとても楽しそうなのですが、責任が持てない以上、やはり連れていくわけにはいきません。
「隊長! 自分が先頭を歩きます!」
「あー! ずるいっ。僕も僕も!」
ありゃ?
どうやら私が説得する前に探検隊が結成されてしまったようです。二人はいつもならお互いに譲らず、何時間にも渡って言い合いを続けるのですが、こういう時に限って簡単に妥協してしまいます。二人で仲良く手を繋いで先頭を歩くことに決めたようです。
しかし、ここは何とかして彼らの探求心をへし折らなくては……。
「行こっ!」
「行こっ。」
……まあ道中で任務を与えて引き離すとしますか。
河川敷から上がると、すぐに一面の水田が広がっています。まずは町の南にある「不思議な砂道」に出なくてはなりません。
「蛇発見! 右側に寄りまーす。」
「まーす!」
二人は畦から伸びる田引ロープを蛇と勘違いしたようです。それとも緊迫感が欲しくてわざとそう言ったのでしょうか? 口に手を当ててクスクス笑い合っている様子から察するに後者のようですね。
彼らの中で探検隊というのにどういうイメージがあるのかは分かりませんが、一郎は右手に、次郎は左手に捕虫網を持ち、上下に振りながら行進しているところから、少なくとも旗は持っていると考えているようですね。秘密裏に行動したいのですが、随分目立ってしまっています。
「どうか見つかりませんように。」
私が後方でやんわりと思いを声に出してみても、無邪気な子供達には伝わりませんでした。
しばらく歩くと狭かった砂利道は次第に広がっていき、周囲の景色も水田から畑に変わります。ところどころにコナラの木々が生え揃い、夜には子供たちの楽園と化すのです。カブトムシやクワガタムシがやって来るんですよ。私は興味はないんですけどね。
さて、そうこうしているうちに小さな数段の石の階段が見えてきました。木の手すりにはヤハズエンドウの蔓が絡まり、たくさんの豆を実らせています。
「今年もできるかなー?」
「笛ー!」
この豆の植物は上手くすればお世辞にも綺麗とはいえませんが、結構大きな音を鳴らすことができます。とはいえ、豆が熟成して鞘が黒ずんでいるものは上手く音を鳴らせません。見た限りではすでに熟成したものばかりなのですが、子供たちは諦めずに丹念に葉を避けては探しています。
音が鳴ってバレたらまずいんですけどね。
この石の階段を登ると私たちは灰色で、まっすぐに均された堅い大地を踏みしめることになります。「不思議な砂道」です。ここは鴨足草村でも有数の不思議スポットで、私が昔選んだ七不思議の一つでもあります。
砂の粒子がものすごく細かいのか、もはや一枚の巨大な布のような岩肌にすら思えます。色のムラもほとんど確認できず、触っても砂の粒子は指につきません。道の両脇と真ん中には白くて太い線が平行にどこまでも続いていきます。明らかに何かで塗装しているようなのですが、絵の具でも当然色鉛筆でもありません。本当に不思議です。
トンネルはこの「不思議な砂道」の両端にあります。ただ、西側のトンネルは土砂で崩壊しているため、その先には進むことができません。ですので私たちが向かうのは東側です。ただ、そこに辿り着くまでに一つ、難関があるのです。
丁度私たちがいる場所の向かいにある廃墟。この村の立ち入り禁止エリアの一つです。この廃墟も実は七不思議の一つです。建物はL字型で、不思議な砂道は盛りだすように建物に沿って広がっています。そこには同じような白い線が真四角に描かれ、それが数個、等間隔で連なっています。
「やっぱりいたか……。」
そこまでは行ってもいいのですが、建物の中には入ってはいけないのです。入り口は一つしかなく、そこには門番がいます。村一番の有名人、大山のお爺ちゃんです。白髪で、身長も小さく、一見体力がなさそうに見えるのですが、なんでも熊を追い払っただの、蜂の巣を一人で解体しただの噂の絶えない人物です。町の西側には民家はほとんどないのですが、謎の工事現場の脇に小屋のような家を組み立て、そこで一人で暮らしているという変わり者で、昔その工事現場に入ろうとして怒られたことがあります。
あそこに見張りがいるということは分かっていましたが、よりにもよってあの悪鬼羅刹を引き当てるとは運がありません。
「一郎、次郎、静かにおいで。」
「はーい。」
「はーい。」
この小さな探検家たちを連れてきておいて良かったと今では思いますよ、心の底から。
ずっと蔓の中に顔を突っ込んで豆を探していたのか、彼らの襟元にはヌスビトハギのワッペンがたくさん貼り付いていました。三角が連続して連なっているひっつき虫ですよ。彼らが必死に若い豆を探そうとした事に対する勲章のようです。
「君たちに任務を与えます。」
「任務?」
「任務!」
次郎、ここは一郎を見習って欲しかった。
大声をあげる前にしっかりと内容を聞いてください。あの地獄耳のお爺ちゃんに気付かれてしまいますから。
しかし、ここで上手くこの子たちをやり込めないと私の身も危ない。多少の緊張感を持ちつつ、小さな探検家たちに命令を下します。
「ここから先は危険なの。君たちはあっちに走って大山の爺ちゃんの気を引いて。」
「あっちー?」
「どっちー?」
当然私が指差したのはトンネルが崩壊している西側です。見張りも退屈でしょうし、可愛いアイドルたちが和気藹々とお散歩すれば、その光景を眺めたくなることでしょう。その隙に私は先へ進ませてもらいます。
「しばらく進んだら戻ってきてもいいからね。でも、絶対に守らなければならないことがあります。」
「…………。」
「ふぇ? ……ゴクリ。」
兄の様子を見て次郎は真似てみたようですが、ゴクリと口にする人は初めて見ました。私は人差し指を口に当てて小さな部下達に指示を出します。
「私が外に行くことは秘密にすること。」
「はーい!」
「はーい!」
元気な返事です。一郎も次郎も聞き分けはいい子なので、しっかり契約を履行してくれることでしょう。秘密というのは誰かに話したいという衝動と常に隣り合わせに存在するものですが、その衝動の枷となる重しがあれば人は喜んで秘密を秘密のままにしておくものです。
「ちゃんと約束を守ったら、後で何があったか教えてあげるからね。」
「絶対だよー?」
「楽しみー!」
この場合の枷はご褒美であり、彼らの中にある探検家としての誇りですね。少しだけ不安そうな二人に指切りで止めを刺すと、彼らはとても嬉しそうに小指を見つめ、番の蝶のように駆け出していきました。
どうやら捨て駒作戦は上手くいったようです。大山のお爺ちゃんは私の存在に気付くことはありませんでした。灰色の砂道は太陽から注がれた熱を私に横流ししてきます。タオルで汗を拭きながら歩くこと十数分、ようやく私は目的地に辿り着きました。
山の斜面に半円状に開けられた巨大なトンネル。不思議な砂道と似たような材質で内壁は覆われ、崩落しないように天井は固定されていました。暗くてよく見えませんが、高い所には透明のガラスのような突起が列を成して出口まで続いているようです。
「よし、行こう。」
昔は廃墟と同様にここにも見張りがいたのですが、私が段々と真面目に振舞うようになると次第にガードは薄れていきました。一郎や次郎のように、聞き分けのいい子を演じ続けてきた甲斐があります。ここから先は私の全く知らない世界が広がっている。今まで感じたこともないような高揚感と少しの罪悪感を胸に私は記念すべき一歩を踏み出しました。
しばらく歩くとトンネルの中は真っ暗闇になりました。天井には何羽もの蝙蝠が息を潜めているようで、なるべく刺激しないようにそっと足を進めます。不思議なことに、奥へ進んでも空気は澱むことなく、誰かがうちわを仰いでくれているかのように風が通り抜けていきます。意外と涼しいのです。
「どこまで続いているんだろう。」
もうそれなりに歩いて来たと思うのですが、いつまで経っても出口の光が見えません。蝉の声もほとんど聞こえなくなるくらい進んだはずなんですけどね。あまりにも順調に事が進むので、時折怖くなって後ろを振り返るのですが、真っ暗で何も分かりません。私以外の足音が聞こえてこないので、泳がされているということはないはずです。せめて幽霊でも出てくれれば子供たちへのお土産話になるのになと多少残念に思うところがあるのですが。
「あ。」
不意に口から声が漏れます。それはあまりにも小さいのですが、確かに光でした。間違いなくこのトンネルはどこか外の世界に繋がっていたのです。その瞬間、疲れも恐れも吹き飛び、残されたありったけのときめきが心臓をドキドキと震わせました。それがアクセルとなり、私は無我夢中で走り出したのです。
あのトンネルの向こう側には何があるのだろう?
小説のように雪国が広がっているのだろうか?
それとも、小説ですら味わえないような言葉にできない絶景を目の当たりにできるのか?
このトンネルを抜けると――。
まっすぐに走り続け、壁に添えられていた手がその感触を失ったのと同時に私は顔をあげました。期待に胸を膨らませながら、初めて出会った人にまず何と言おうかと考えながら……。
そして、新しい世界を前に私は初めて声を出します。
「……え?」
冬が生き物たちを眠りへと誘う季節だとするのなら、間違いなくそこは雪国でした。
きっとこのトンネルを抜けると見たこともない町が広がっていて、出会ったことのない人たちの会話があって、見たこともない鳥や花が町の片隅に添えられている――そんな希望に満ちた世界はどこにもなかったんです。
目に映ったのは無惨に割れた窓ガラス。一部が倒壊した家屋。ここにもある不思議な砂道はところどころ抉られ、茶色く変色したゴミ袋が風船のように膨れて散在しています。町は人どころか生き物の気配はどこにもなく、不気味な静寂に包まれていました。
私は――何も知らなかったのです。
時は、西暦2519年。
鴨足草村は地球にただ一つ残る、人類のパラダイスでした。




