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第2節  トンネルを抜けると(2)

 大人たちが隠している秘密を暴き出す。

 全く当てもなく歩き回るつもりは最初からありませんよ。この村には怪しい場所が三か所もあるんですから。果樹園での水遣りを終えた私は意気揚々と橋を渡ります。左右を山に挟まれたこの村で川は合流し、どこか遠くへ流れていきます。


「あー! 薫姉だ!」


「あー! 薫姉だ!」


 可愛らしい言葉が木霊します。ふと欄干から見下ろすと、彼らは脱兎の如く茂みに隠れました。


「だーれだ!」


「だーれだ!」


 かくれんぼだけではなく、目隠しも兼ねているようです。目は隠されていませんし、声で誰かもすぐに分かるんですけどね。何せこの村には私の他に子供なんてあの兄弟しかいませんから。いつもなら彼らの遊びに少しだけ付き合ってあげるのですが、今日は多忙の身。速やかに彼らの遊びを終わらせてあげましょう。

 とはいえ、体裁は整える必要があります。でないと拗ねてしまいますからね。忍び足で河川敷に降り、なるべく落ち葉のない場所を選んでそっと彼らが潜む茂みの裏に回ります。


「みーつっけた!」


「うわっ。」

「うわっ。」


 まだ橋にいるとでも思っていたのでしょうか? 彼らは不意に背後から聞こえたその声に同時に仰け反り、まるで鏡に映したように二人して目を白黒させていました。


「こらっ。一郎、次郎! お姉ちゃんは今日は忙しいの!」


 一郎と次郎は八年前に若い夫婦とともに鴨足草村に引っ越してきました。私にとっては初めての年下でしたし、当時はまだ二歳と一歳。あの頃は大変だったのを今でもよく覚えています。


「お姉ちゃん今日は遊ばないのー?」


 つまらなさそうに不満を垂れる一郎は唇を尖らせて私の同情を誘います。


「遊ばないのー?」


 仲良し兄弟の弟はいつものように兄の真似をして可愛らしく顔を傾けます。

 潤んだ瞳で捨て犬のようにこちらを見上げる二人を前にすると、どうしても放っておけないんですよね。仕方がないので遊んであげることにしました。私って単純ですよね。


 さて、鴨足草村はどちらかというと田舎ですし、古い小説に出てくるような野球場やゲームセンターなどというものはどこにもありません。それでも子供というのはすごいもので、辺りにあるものを何でも簡単に遊びに変えてしまいます。


「虫捕り対決スタート!」


「スタート!」


 遊びの内容は大抵は兄の一郎が決めます。

 虫捕り対決はすでに四回目の開催で、運動音痴の次郎や私は憂鬱になっていたものです。しかし、親愛なる権力者には次郎も逆らえず、結局は対決が始まってしまいました。もう慣れたようですけどね。

 内容はいかにもシンプル。三十分間の間に捕まえた虫が多い方が勝ちのようです。尤も彼らの中ではレアな虫は二匹分などと細かい取り決めがあるのですが、次の大会になればそのレアな虫も変わってしまうようで、私もチェックが大変です。

 因みに私は審査員です。時間を見ながら、二人が揉めるようであれば仲裁に入るというのんびりとしたお仕事です。


「お姉ちゃん。アゲハ蝶捕まえた!」


 満面の笑みで捕虫網を手で絞るように掴み、こちらへ駆け寄ってきたのは一郎です。一々報告に来ては相当なタイムロスになるのですが、それを教えないのは私の優しさですよ。一郎がこちらに報告にやって来ると、兄の真似をしたがる次郎も同じように走ってきます。


「テントウムシー!」


 嬉しそうに虫かごを掲げる次郎に、今度は一郎が対抗心を燃やしてまた虫を捕まえては報告に来て、さらにそれを真似する次郎……無限ループですね。無心に網を振るえばもっとたくさん捕れるのにとついつい思ってしまいますが、彼らにとっては楽しい遊びの一環なのです。私のように年をとって荒んでほしくはないものですね。


 この勝負、運動神経の良い一郎が優勢かといえば実はそうではなく、今のところは次郎が勝ち越しています。私も不思議だったのですが、彼らの虫かごの中を見ればその訳が分かりました。

 一郎が蝶や飛び回るバッタなど、動きの早い虫を追いかけまわしているのに対して、次郎は基本は一か所に留まって花についたテントウムシや地面を歩くゴミムシなどを中心に集め回っているのです。何だか二人の性格を表しているような虫かごを見るとほんわか癒されます。


「さてと。」


 彼らが遊んでいる間ずっと時計を眺めているわけではなく、私はいつもこの光景を絵に描いています。リュックから取り出したキャンパスノートはもう六冊目になります。


「うーん。今日は色鉛筆かな?」


 何で描くかはその日の気分次第です。ただ葉っぱを緑色だけを使って描いても面白みに欠けるので、これまたその日の気分次第で別の色を選び、混ぜながら紙の世界に命を与えていきます。この優しい自然の中で二人の赤と黄色のTシャツが、野に咲いた可愛らしい花のようだと感じると、絵の世界は一気に広がっていきます。気付けば夕方なんて事も多いのですが、今日は用事もありますし、三十分間で仕上げる必要があるので、深く考えずにインスピレーション全開で描くとしましょう。




「できたー。」


 絵は丁度三十分ほどで完成し、二人の虫捕り対決も終わりました。私の絵にはさほど興味がないのか、それともただ早く勝負の結果が知りたいのか。描き甲斐のないモデルです。

 それではお待ちかねの判定としましょうか。虫かごの小さな蓋を開き、数えながら逃がしていきます。一応レアな虫がいるかどうかの確認のために名前を言いながらなので時々間違っちゃうんですけどね。


「アゲハ蝶が二匹、蝉に――。」


「蝉じゃなくてクマゼミだよ。」


 実は一郎、こういうところは少し憎たらしい。彼は木陰から図鑑を持ってきて、一生懸命にページを捲ると蝉を指差してこちらに無言で訴えかけます。


「蝉なんてそれしかいないんだからいいじゃない。」


「ダーメ!」


 やれやれ。困ったものです。

 彼が持っている図鑑はもう随分古く、彼の両親が大事に保管していたものだそうで、すでに絶滅した生き物も数多く記載されています。蝉なんて彼の言うクマゼミしか見たことがないのですが、彼の図鑑にはアブラゼミやミンミンゼミなど、様々な名前の蝉が整列しているのです。私からすれば全部蝉なんですけどね。ほら、耳を澄ませてください。今回ばかりは彼らも私の応援をしてくれていますよ。


 結果は一匹差で一郎の勝ち。

 惜しかったね、次郎。




 こうして遊んでいると、すでにお昼前。子供たちの可愛らしいお腹の音が虚しく河川敷に響き渡ります。物欲しそうにこちらを見つめる二人に仕方なく木の籠を掲げると、目を輝かせて尻尾を振りだしました。どうやら一番のレアはおにぎりのようです。


「お姉ちゃんお弁当籠なんて持ってどこ行くのー?」


「どこ行くのー?」


「最初に言ったでしょー。今日は忙しいって。」


 そうだっけと無邪気に笑う姿はとても子供らしい。覚えておくといいよ。その愛嬌で許されるのは今の内だからね。おにぎりを頬張りながら今後の予定を考えてみます。畦道をしばらく歩けば……。


「で、これが空猫だよ。」


「わー。そらねこー!」


 ……食べながら考えるのはよしましょう。一郎が開いていたのは昆虫の図鑑ではなく、哺乳類の図鑑のようです。私も見たことはありませんが、猫という動物は知識として知っています。しかし、文字の中で出てくる生き物なので、その見開きはとても興味深いものでした。


「へー。それが猫なんだ。」


「違うよー。空猫。」


「猫と何か違うの?」


「猫はこっち。」


 一郎が指差した場所には確かに空猫とは特徴が異なる生き物が描かれていました。よくこんな綺麗な絵が描けるものです。この絵師さんにはぜひお会いしてみたい。


「空猫はねー。五百年前に突如出現した猫なんだよ。でもあっという間に絶滅しちゃったんだー!」


 もういないのか。

 そう思うと少しだけ残念な気持ちになります。絵に描かれた猫には口がなく、背には体の何倍もある蝶の羽がついています。これを羽ばたかせて空を飛ぶのでしょうか。生き物も子供たちに負けず劣らず不思議なものです。蝉だってこれだけ騒がしく泣き喚けば、お嫁さんは誰が一番大きな声を出しているのか分からなくなってしまいますし、この猫だって折角美味しいものを食べられたかもしれないのに口を無くしてしまっては涎も出せません。


「どうして羽がついたのかなー?」


「空を飛びたかったからだよ。」


 次郎の問いに一郎は答えます。

 空を飛びたいと願って羽が生えるのなら私はいますぐにでも欲しいですね。


「どうして口は無くなったのー?」


「えーっと。えーっと。ダイエットするため! 軽くなきゃ空を飛べないから!」


 なるほど。的は得ていますね。しかし、羽を生やせるのなら骨格から軽い構造に進化できなかったのでしょうか。ひょっとすると理屈なしにこうやって夢を膨らませて背伸びしている彼らの方が空は近いのかもしれませんね。


「さて、じゃあお姉ちゃんはもう行くよ?」


「どこにー?」

「どこにー?」


 これから町の決まりを破りに行くんです。本当は伝えるべきではないのでしょうが、まーるく輝く瞳が四つ、私を放してくれないのです。だから、つい言っちゃったんですよ。


「トンネルの向こう側の探検に。」


 そう言った瞬間、二人の瞳が絶滅したはずの空猫を再発見した冒険家のように煌めいたのです。


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