第8話 ようこそシュプリアイゼンへ
日が傾き始めた頃、馬車がだんだんとスピードを落とし始めた。
ぼんやり眺めていた窓の外の景色が整ってきたことから、街が近づいてきたことが分かった。
結局、答えの出ない疑問はずっと頭に残っていた。
勉強なら一時間もすれば忘れてしまうような頭なのに、どうして嫌なことはなかなか離れてくれないんだろうか……と、またふさぎ込んでしまった。
もう10分ほどしたところで馬車が完全に止まった。アインホルンがしきりに鼻を鳴らしている。降りろと言っているようだ。
「到着ですね。馬車は神殿まで帰っていくので、ここでお別れなのです」
全員が降りたのを確認してドアを閉めると、アインホルンは別れの挨拶に大きな鳴き声を上げて、来た道を戻って行った。
「これから帰るなら夜になっちゃうけど、アインホルンたち大丈夫かなあ」
「彼らは強い魔物なので、ここらの魔物には負けないのです。道中一度も襲われなかったのも、彼らの強さが分かっていたからでしょう」
見えなくなるまで馬車を見送り、あたしたちは後ろを振り返った。
そこには背丈の倍以上ある外壁と大きな門、それを守るように佇む兵士達の姿があった。
今は門が開かれている状態だ。夕方だからか街から出ていく人は少ないが、盛んに人が行きかっている。
「でっかい!」
「でっかーい!」
あたしとリールは同時に叫んだ。その壮大さに、不安な考えは一気に吹き飛んだ。
リールの興奮は尻尾を振っていることからも伝わってくる。振られた尻尾はあたしの頭にバシバシと当たった。ちょっと痛い。
「これがリズエラちゃんの言ってた魔物除けの壁なのね、確かに大きいし色んな魔法がかけられてる」
「そうなのです、こんな大規模な魔法を使える人が学園の先生なのです。わくわくするのです!」
ハルヒもリズエラも、この大きな壁に興奮を隠せないようだ。
みんなで壁を眺めていると、兵士の一人がこちらに近づいてきた。鎧と腰に下げた剣が擦れ合いガシャガシャと音をたてる。丸腰のあたし達とは段違いの装備だ。
「君らは……もしかして学園の入学者かい?」
「はい、これが推薦状なのです」
リズエラは一枚の紙を取り出した。覗き込んで眺めてみると、賞状の様に複雑な模様で縁取られた中に、読めない文章が長々と書かれている。
最後に短い言葉が4行。『仲河夢心』と『上崎遙日』だけ漢字で書かれていたので読めた。残りのうち長いほうがリズエラ、短いのがリールの名前だろう。
「君たちが噂の異世界人か。街に入るための儀式は済ませてあるかい?」
「あ、魔法の種の事ですね、はい」
兵士に促され、自分の中にあるものに出て来いと念じる。差し出した右手に光が集まって、透き通った水色の種が出現した。
「本当に特級だ、初めて見るよ。流石トゥーリーン様が目を付けただけの事はあるね」
「噂っていうワードが聞こえたんですけど、どの程度広まってるんですか?」
いたずらに目立つのは嫌だ。よそ者入るべからずっていう街なら、神様のお達しで入学出来たとしても悪い雰囲気になってしまうだろうし。
「そういう子が入学するっていうのは大体知られてるんじゃないかな。まあ、異世界から人が来るのはたまにあることだから、街の人は気にしてないだろうけどね」
「そうなんですか?」
「うん、トゥーリーン様は世話焼きで珍しい物が好きなんだ。たまに異世界へ出かけて勧誘もしてるみたいだよ」
見かけによらずアクティブなことをする神様だ。
そして悪い印象は無さそうで良かった。安心した。
「でもこの組み合わせは凄いね、異世界人と神官見習いに、概念の化身が二人も。皆勉強頑張るんだよ」
「はいなのです!」
推薦状を返されたリズエラが元気よく返事した。
「それでは……ようこそ、シュプリアイゼンへ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
春の大陸で一番大きな街、シュプリアイゼン。
大陸唯一の魔法学園があり、それに関連した技術者が集い店を作り、それにあやかるようにサービス業も発展し、常に成長している『春』を背負うに相応しい街だ。
大きな門をくぐると、すぐに活気ある声が聞こえてきた。目の前に長く伸びる大きな道の両脇から、旅で疲れたところへ食べ物を売ろうと、様々な宣伝文句が飛び交ってきた。
「大きな外壁で囲ってあるにしては、すんなり通れたね」
「馬車での私の話を聞いてなかったのですか? あれは魔物が入れないようにするためなのです。悪さをはたらいた人間は神官伝いに神へ知らされ、すぐに罰を受けるのですから検問は最低限でよいのです」
成程、神様が実在していると迂闊に悪いことはできないのか。トゥーリーンにはすんなり会えてしまったので、神様ぽい雰囲気は感じたもののどこまで権力があるかがいまいちピンときていなかった。
「屋台たくさんあるねー、食べ物の名前は全然分かんないけどおいしそう……お金は寮にあるからお預けかあ」
「寮の食堂でも似たようなものは出されますし、その方が安いからお得なのです」
「でもこの騒がしい中で食べるのはまた違った楽しみがあるんだよ、今度また来よう」
リズエラに諭されるも諦めきれないあたしは、美味しそうな料理を見た目だけでも覚えておこうと必死に見回しながら歩く。
見慣れない野菜を肉で巻いたものや炒め物にスープ。果物にも惹かれる。魅惑的な香りに気をとられてよそ見をしながら歩いていたら、前から来た人とぶつかってしまった。
「あっごめんなさい! 大丈夫?」
相手はリズエラと同じくらいの少年だった。片手で頭をおさえて少しよろけたが、すぐに立ち直った。
「ああ……」
灰色の髪の毛に、キリっとした目つき。傍らには同じく灰色の毛に覆われたオオカミがいて、心配そうに少年を見ていた。
「……」
少年はそれ以上何も言わずに歩き出した。途中オオカミがこちらを向いて威嚇してきたが、それを片手で制すると人ごみの中に消えてしまった。
「悪いことしたなあ……でもなんか、クールな感じでイケメンだったなあ」
「もう、むーちゃん気を付けないとだめだよ」
「ごめんごめん、でもあのオオカミもかっこよかったなあ……ってあれ? 魔物除けは?」
中二心をくすぐられる組み合わせに興奮していたが、魔物は街に入れないことを思い出した。
「少年と契約魔法で繋がっているのでしょう。貴方も周りからはそういう風に見られているはずなのです」
モンスターテイムというやつか。どこまでも夢に見た世界である。
リールには契約魔法なんてかけてないはずだが……まあいいか。
「それにしてもあの魔物、冬の大陸にしかいないはずなのです。わざわざここまで来たのでしょうか?」
「何だろうね、生まれ故郷を飛び出してきて強くなるために修行中とかかなあ」
「むーちゃん、それは漫画の読みすぎだよ……」
無口な一匹狼とくればそういうもの、という考えはやっぱりオタク思考なのだろうか。
あ、オオカミと一緒だったから一人じゃないけど、魔物が相棒だなんて余計にそんな感じがする。
勝手に妄想が膨らんで、ついにやけてしまう。
「いつまでぼーっとしてるのですか! 置いていくのですよ!」
気が付くと、リズエラとハルヒはずいぶん遠くへ行ってしまっていた。
はぐれたら寮までたどり着けなくなってしまうので、慌てて後を追った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
街灯が灯り始めた頃、ようやくあたし達は学園の寮に辿り着いた。
門の前に立っている警備の人に推薦状を見せて、案内された建物に入った。
寮の中はそれなりに綺麗で、普通に見れば感嘆の一つでも上がるのだろうが、みんな疲れ切っていてため息がこぼれていた。
「今日は疲れたのです……こんな長旅は初めてでしたから」
「同感、世界を超えた後に馬車に乗り継ぎとか、楽しかったけどもう限界……」
「食堂から軽食だけ貰って、今日はもう寝ちゃおうか」
「賛成ー」「なのです」
人がまばらにいる食堂にお邪魔し、それぞれ食べ物を手に取った。そこからは無言で部屋の前まで歩き、お休みなさいと言い合って、割り当てられた部屋に入った。
一人一部屋だが、あたしの部屋にはベッドの側に大きめの籠が用意されていた。リール用の寝床である。
自分の荷物や、トゥーリーンが用意してくれたものが部屋の隅に積み上がっていたが、開ける気にはなれずベッドに飛び込んだ。
「意外と硬い! うぬぬ、まくらも持ってくればよかった……」
家のベッドより質の落ちた枕と布団に少しだけ不満を抱いたが、用意してくれたんだから有難く使わせてもらわなきゃ、と自分を納得させた。
「ムウ、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ、こんなに動いたの久しぶりだから疲れただけ」
移動が長かった事を除いても、普段運動しないあたしには体力的にかなり辛かった。筋トレとかした方がいいだろうか。
心配して隣に座ったリールを撫でて、食堂から貰ってきた軽食を渡す。寝転がったまま、同じタイミングでそれを口に入れた。
もちもちした豆パンは、地球のものより甘くて疲れた体に染み渡った。リールも幸せそうな顔でもぐもぐと食べている。
「おいしい!」
「よかった。明日からいろいろ覚えなきゃいけないし、ちゃんと休まないとなあ」
パンを食べ終わったところで起き上がり、一日の仕上げとして日記帳を書き始めた。
ドラゴンになったハルヒ、地球を離れて異世界であるフィルゼイトへ来たこと、神殿での出会い……いつもと違う事の連続で、覚えていることも多かったためなかなか書き終わらない。
「そういえば先生、最初は敵意むき出しだったのに、結構喋ってくれたなあ。もしかして人見知り?」
初対面時は散々な言われようだったが、馬車に乗ってからはむしろ普通に話せていた気がする。
サンドイッチ効果もあるかも知れないが。やはり美味しいご飯は正義だ。
「それにぶつかっちゃった少年……やっぱりかっこよかったなあ」
灰色の少年とオオカミのコンビ。見た目はリズエラくらいだったから、もしかしたらこの学園にいるのかもしれない。
もしまた会えたら、ちゃんと謝らないと。
「大体書き終わったかな。あと気になるのはやっぱり……」
あたしは手のひらに意識を集中させて、魔法の種を出した。出し入れだけなら、もう簡単に出来る。
落とさないように転がしながら観察する。見れば見るほど、透明で綺麗な宝石だ。売ったら高そう。絶対しないけど。
魔法の出し方は教わっていないけれど、出し入れの時のように感覚でいけるだろうか? と一瞬悩んだが、魔法初心者といえば無理して爆発させるオチが鉄板なのでやめておいた。
明日から練習するんだし、楽しみにとっておこう。
あたしは日記帳を閉じて、改めてベッドに潜り込んだ。リールが隣に寄って来る。
「リールのお布団はあっちの籠だよ?」
「やだ、いっしょがいい」
少し頬を膨らませて、リールは体を摺り寄せた。うむ、あえて語るまい。
甘えん坊をぎゅっと抱きしめて、あたしはそのまま眠りについた。