第6話 春の大陸
「むーちゃん起きて、着いたよ」
「ハルヒの声がする……、おはよー」
「ムウ!すごいよ、きれいだよ!」
二人に起こされて目を開けると、色とりどりに咲き乱れる花畑が視界に飛び込んできた。遠くには桜並木も見える、春の大陸の名に相応しい場所だった。
花を踏まないようにハルヒの背中から降りると、暖かな風が吹いて花びらが舞い上がった。
「ここがフィルゼイトの春の大陸……」
「まずはここを治める『春』に挨拶に行かなきゃ。あの桜並木の奥にある神殿に行くよ」
そういうとハルヒは目を閉じ、体と同じ桃色の光に包まれる。一瞬で、人間の姿になった。
「ドラゴンのままじゃ大きすぎて入れないから。そうでなくても目立つのは嫌だし、むーちゃんと一緒が良いからこの姿で過ごすことにするよ」
「わあ……変身、かっこいいなあ、あたしもできるかなあ」
「多分できるようになるんじゃないかな、むーちゃんの力ってそんなものじゃないと思うよ」
「神様に言われると説得力あるなあ、楽しみ」
「もう、やめてってば……ほら、行こう」
照れたハルヒは早足で神殿の方へ向かった。リールを頭の上にのせて、後を追いかける。
「あ、でも今から会うのもここの神様なんだよね? 謁見の作法とかあるの?」
「敬語で話すだけで大丈夫だよ、『春』は私の知り合いだし、凄く優しいから」
「よかった、ゲームだと大事な場面だからねー、偉い人に会うシーンってのは」
頭の中でいくつもの謁見シーンを思い浮かべてシミュレーションしてみた。優しいというから偉そうにしている王様に平伏するパターンや、いきなり裏切り者扱いされるパターンは除いておく。うん、確かに敬語さえ使えたら大丈夫だ。
この記憶力を一割でも勉強にまわせたら楽なのになあ。嫌いな科目はなかなか覚えられないって皆言うけれど、あたしのそれは徹底的に排除されるレベルなので(これだったような?)という既視感に頼れなくて大変だった。
「それにしても、神殿、っていうには割と小さな建物だね」
桜並木の奥に佇む建物は、あえて言うなら大きめの教会のような雰囲気だ。
白い外壁からは神々しさのようなものが感じられるが、入り口も普通の木の扉だし周りが柱で囲まれていたりもしない。
「学校がある街には大きな神殿があるんだけど、身分が明らかにならないと入れないから、小さな町の更に外れにあるここで会おうって話になったの」
「なるほどねー」
「あ、そうだ。翻訳魔法かけておかないと」
ハルヒはそう言うと、歩きながら両手に沢山の光の粒を出現させた。それを持ち上げ、あたりにばら撒く。
全身にきらめきがかかるが、特に何も感じなかった。
「これでいいの? 早っ」
「概念の化身はそれ自体が魔法だから、魔法を使うのは得意なんだよね。だから魔力の無い地球でも活動できたの」
そういえば、ハルヒの持つ概念を聞いていなかった。気になったが、質問する前に扉の前に到着してしまった。急ぐことでもないし、後で聞こう。
「じゃあ入るから、リールちゃんも降りてぴしっとして?」
「ぴし? ぴし!」
リールはあたしの頭からジャンプし、羽で器用にバランスを取って華麗に着地を決めた。ドヤ顔が可愛い。
「ハルヒの言う事も素直に聞くのか、なんか嫉妬しちゃうな」
「ハルはぼくとにてるから、でもムウはぼくとおんなじだから!」
「あたしが一番かー機嫌を取ることを覚えたなこいつーくそー可愛いー」
「イチャイチャしないで……入るよ?」
じゃれ合うあたし達を困った顔で見ながら、ハルヒは神殿の扉をノックして開いた。
「ごめんごめん、おじゃましまーす」
中も教会とよく似た構造になっていた。淡いピンク色のカーペットがまっすぐ奥まで伸びていて、両側には少しだけ凝った装飾が施されているベンチが並んでいる。
突き当りには花を形どっているらしいステンドグラスが輝いている。その光を受けて、一人の女性が佇んでいた。
近くまでゆっくりと歩いていく。リールもよちよち歩きながらしっかりついてきた。以下略。
「お久しぶりです、トゥーリーン様」
「本来ならわたくしがそう呼ぶべきなのだけれど……そういうのは苦手だったわね。久しぶり、ハイルン」
トゥーリーンと呼ばれた女性が一礼した。この人が『春』の概念の化身なのだろう。
腰まで伸びた金髪は一本一本が風で舞うのが見えるほどさらさらで、頭にはカラフルな花で作られた冠をかぶっている。白いドレスは装飾が控えめだが、それが神々しさを際立たせている。
まさに女神様、といった風貌である。
「この子がそうなのね? 初めまして、わたくしはトゥーリーン。この春の大陸を治めている者です」
「初めまして、仲河夢心です! こっちがリール。こ、この度は私達を受け入れてくださってありがとうございます!」
あまりにも美しい姿に緊張してしまい、ガチガチになってしまった。
トゥーリーンは優しい笑顔でこたえた。
「そんなにかしこまらなくていいわ、わたくしは貴方達がどんな風に成長していくのかとても興味があるの。だから近くで見ていたいと思って呼んだのよ」
「ん? なんだかハルヒが言っていたことと似てるような……」
「たまに言われますわ、性格は似ていると。ただ、わたくしのこれは命の成長を促していきたいという『春』の特性なんでしょうけれど」
どんな概念を持って生まれたかは、力だけじゃなくて性格にも影響するのか。リールは特例なのだろう。ハルヒがあんなに興奮して語っていた理由が分かった気がする。
「『虚無』として生まれながら自我を得たドラゴンに、類まれなるケルンを宿した少女……どんな風に育つのか、想像もできませんわ」
「ん? ケルンって何ですか?」
聞きなれない単語を挟まれた。これもまさか説明されていただろうか。
「ケルン、別名魔法の種は、大気に漂う魔力を変換して魔法という現象に変えるためのものです。フィルゼイトでは全ての人に宿りますが、貴方のいた世界では稀なようですね」
「あ、ハルヒが言ってた変換器のことか」
聞き逃しでは無かったと分かり少し安心した。カッコいい名前が付いていたのか。
「フィルゼイトでは10歳の誕生日に目覚めの儀式を行い、それを発現させます。それまではどんなに質の良い魔法の種を持っていても魔法は使えません。子供が無闇に使うと危ないですから。ただ、儀式が遅れてしまうと体に不調をきたしてしまうのです。それが貴方の言う物忘れですね」
「うん、ここに来て魔法を使っていけば治るって聞いて……あと、使わなくても不調にならない方法ってあるんですか?」
「ごめんなさい、それは私には分からないの。この世界では魔法を使うのが当たり前で、使えない人はいないので……。ですが、無いとも言い切れません。研究がされていないだけなので、貴方が第一人者になれるかもしれませんよ」
「そうなのか……」
相変わらず地球に戻る気は無いので、神様にも分からない方法をわざわざ探そうとは思わない。
もし関係ありそうな話を聞いたり、暇になってしまったらやってみようかな、という程度だ。絶対忘れるな、これは。
「じゃあまずはその儀式をお願いします!」
「ええ、と言ってもわたくしの魔法をかけるだけなのですぐに終わりますよ。額をお借りしますね……」
トゥーリーンは指先に光を灯すと、それをあたしのおでこにぐっと押し付けてきた。
そこからじんわり温かくなっていき、足先まで温まったところで急激に熱が頭に収束し、外へ飛び出して、目の前で宝石になった。
握りこぶしよりは一回り小さく、植物の種の形をした透き通った水色の宝石。なるほど、魔法の種という名前がよく合う。
「ああ、この透明度。やはり特級ですね」
「すごい力だって聞いてたんですけど、特級ってまさか一番上?」
「ええ、フィルゼイトにも十人もいません。一年に何千人と発現させていますが、わたくしも見るのは10年ぶりぐらいでしょうか」
魔法の種には等級があり、五級から一級までと、その上に特級がある。
使える魔法の質はもちろんの事、見た目としては透明度に差があるらしい。透き通っているほど等級が高く、強い魔法が扱える。
遺伝はしないようで、完全に運で決まるらしい。もちろん、上の等級ほど珍しい。
なんだかガチャで大勝利した気分だ。
「色は使える魔法の属性とかですか?」
「はい、貴方のは水色……氷に関する魔法が扱いやすいようですね。もちろん他の属性も使えますが、氷が一番楽に使えるでしょう」
魔法を使う時は大気の魔力を使うので、それがなくならない限りは無尽蔵に魔法が使える……とはうまくいかないもので、魔法の種にも体力があるらしい。
使いすぎるとばててしまい、体も疲れて動かなくなるようだ。浮かれて使いすぎないように気を付けないと。
体力の消費は、得意な属性なら抑えめになる。自然と、使うのは得意な属性に偏ってしまうようだ。
「なるほどなるほど……知れば知るほどRPGの世界にやってきた気分になるなあ、興奮しちゃうなあ!」
手のひらに置いた魔法の種を転がしながら観察し、ついついにやけてしまう。
魔法が使えるようになるのがいよいよ現実味を帯びてきて、嬉しさのあまりついジャンプしてしまった。
その衝撃で魔法の種は手から転がり落ちてしまった。
「あーーーーっ、リール、ナイスキャッチ!」
「だいじだよ、おとしちゃめだよ?」
間一髪のところでリールが羽をクッションにしてキャッチしてくれた。危ない、早速割ってしまうところだった。
「偉いですね、よしよし」
トゥーリーンがリールを優しく撫でた。リールは、何かに気が付いたように目を丸くした。
「あれ? トーリンもぼくとにてるの?」
「そうですね、でもドラゴンの姿で生まれた貴方の方が強いですよ。立派になってくださいね」
「なる!」
トゥーリーンは微笑み、もう一度撫でてからリールの背中に落ちた魔法の種を拾い、あたしに渡した。
「気を付けてくださいね、割れてしまっても数日で新しく生成されますが、その間は魔法が使えなくなってしまいますから」
「永久に失われるかと思った……小さいし管理は気を付けないとなあ」
「普段は体内にしまっておくことをお勧めしますよ。やり方は――」
「こう?」
体の中に入れと念じてみると、空間に溶けるように消えてしまった。けれど今までと違って、体の中に何かがあるのが感じられる。
トゥーリーンが「まあ」と声を上げた。
「普通ならしまう感覚を養うのに2、3日はかかるのに……流石特級の持ち主ですね」
「いやあ、オタク特有の中二病的イメトレの成果ですよ」
特定の漫画やゲームにハマった時、その世界に自分が居たらどんな風に活躍するか、なんて妄想をよくしていたので、体内に武器をしまい込むようなイメージはバッチリだった。
こんなに簡単に出来たのは、特級のおかげもあるのかもしれないが。
「この儀式を行ったことで、一人前とみなされ町の出入りが出来るようになります。入学する学園のある街までは馬車を用意しましたから、それに乗って行ってくださいね。」
「分かりました」
「それともう一つ。ここから先は、あなた達と一緒に入学する子と一緒に行って貰いたいのです。ほら、いらっしゃい」
トゥーリーンに促され、いつの間にそこにいたのか、近くのベンチに座っていた少女が立ちあがった。