第2話 親友に相談
〔2〕親友に相談
「夢心、先に行くから戸締りよろしくね」
「……はーい」
翌日。出勤する母親に起こされて、あたしはベッドの中で伸びをした。
時刻は七時。いつもこの時間に両親は出勤するので、朝はこの一瞬しか顔を合わせない。昨日の夜も先に寝てしまったので、事件について何も話していなかった。
パタンとドアの閉まる音、続けざまに別のドアが開いて閉じる音。あたしが起きるのを待たずに両親は出発したようだ。
「ん? 昨日の事件? なんだっけ……」
もやもやする頭を右手で押さえながら、左手を支えに体を起こそうと体重をかけた。
だが返ってきたのは、ベッドの柔らかな反発ではなくざらざらした硬い感触だった。
「ぐえ!?」
「ん? なんだこれ?」
掛け布団をめくると、藍色のドラゴンが左手の下敷きになっていた。
「ど、ドラゴン!?」
「くるしい、ムウ、はなして~」
抗議の声に慌てて手をどけると、ドラゴンは息を整えて、よろけながら起き上がった。
「おはよう! えっと、にっき!」
「日記?……ああ、また忘れてるのか」
自分が何かを忘れているらしいことをドラゴンに指摘され、眠い目をこすりながら机についた。
あたしは、物忘れがひどいことから、日記を事細かにつけるようにしていた。そうすれば、忘れていても思い出すことができる。思い出せなくても、どんなことがあったのか記憶し直すことで少しでも忘れたことを補っている。
日記をつける前に忘れてしまっては記録もできないし、読んでもまた忘れることがあるので完全ではないが、この日記にはよく助けて貰っている。
ドラゴンに先程の言葉を言わせたのも、忘れたときに備えてのことだったのだろう。
「あー思い出した。ごめんねリール、踏んづけちゃって」
「だいじょうぶ、へっちゃら!」
リールは器用に前足を腰のあたりに当てて胸を張ってみせた。今日も可愛い。
日記を読んですぐに思い出せたことからも分かるが、リールとの遭遇はかなり衝撃的なものだった。というよりよく忘れたものだ、と自分の忘却力に感心してしまった。
「宇宙からやってきたドラゴンの事を忘れるとか、いよいよ自分の名前も忘れないか心配になってきた……」
「ムウ! ごはん! しちゅ!」
「わかった、温めるから待っててね」
リールは昨日のシチューをかなり気に入ったらしい。あたしはそのことを嬉しく思いながら、朝の支度を始めた。
家を出る直前に、ある問題が発生してしまった。
相談する友達にリールを見てもらった方が話が早いと思ったので、学校に連れて行くつもりでいたのだが。
「やだ! せまい! やだー!」
騒ぎになると困るので通学カバンの中にいて貰おうとしたところ、リールは物凄い暴れっぷりで拒否してきたのだ。もう少しでカバンが破けるところだった。
しかもカバンから飛び出して机に着地した時、リールが触れたボールペンが、消えたのだ。音もなく、空間に溶けるように。
不思議な力を秘めているらしいことと、怒らせると消されてしまうかも知れないことが分かった。可愛いのに恐ろしい力を持っていたというのは、流石宇宙人(?)といったところか。
これ以上怒らせて存在を消されてしまってはかなわないので、リールに隠れてもらうのは諦めた。ぬいぐるみだと押し通せるだろうか……と、人に見られた時の言い訳を考えながら家を出た。
しかし、マンションの廊下ですれ違ったサラリーマンの男性にも、ゴミ捨て場にいた奥様にも、何も言われなかった。
「もしかして、リールの事ってあたしにしか見えない?」
「そうなの?」
リールはあたしの頭の上で丸くなって、羽をパタパタさせている。
本人には自覚がないようだが、頭の上にドラゴンを乗せてる女子高生を見てノーリアクションということは無いだろう。
駅について電車に乗り込んでも誰も見向きもしないことから、確信を得た。人目を気にしなくていいのは助かる。
だが、そうなると今度は友達への説明が難しくなった。見えないものをどうやって話せばよいのやら。
見えなくても信じてくれることを願って正直に話すか、トカゲを拾ったとでもいえばいいのか……なんだかこの言い方なら、あながち間違っていないような気もする。
「うーん、今考えても多分忘れるし、会ってから考えよ」
早々に考えることを諦め、リールが頭から落ちないようにバランスを取りながら、あたしは満員電車に揺られるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ハルヒー、おーはよ」
教室のドアを開けて第一声。例の親友の名を呼んだ。
上崎遙日。艶のある長い黒髪の先を緩くウェーブさせていて、小顔に対してちょっと大きめな、淡いピンク色の眼鏡を掛けている。
身長がクラスの中で一番小さいのに、猫背なため余計に小さく見える。今日はいつにも増して猫背になって、席に座っていた。どうやら本を読んでいるらしく、挨拶も耳に届かないくらい集中しているようだった。
あたしは自分の席にカバンを置いてからそちらへ近づき、軽く肩を叩きながらもう一度声を掛けた。
「おはようハルヒ、今日も熱心だねえ」
「あ、むーちゃんおはよ……」
ようやくあたしの存在に気が付いて顔を上げたハルヒは、そのまま固まってしまった。
「え、むーちゃんその頭の上の子は……きょ、きょ……!?」
「頭の上? ……あっ、リールのこと、もしかして見えるの?」
リールは電車に揺られているうちに寝てしまい、あたしも重さにも慣れてきたのですっかり存在を忘れていた。
恐竜、と言いたいのだろうか、ハルヒは金魚みたいに口をパクパクさせた。
「それなら話が早い、ドラゴンの飼い方を教えて欲しくて」
「ええ!? 飼うって、この子を?」
「うんうん、博識ハルヒ様ならドラゴンの飼い方も知ってるかなーって、いや冗談だけど。でも何か知らないかな?」
「何かというか、知ってるというか、ど、どうしよう……」
冗談のつもりだったのだが、何か知っているらしい。これは朗報だった。
「えっと、今からじゃ朝礼までに話しきれないし、放課後にしよう? 科学部、今日休みだし」
「おっけ! ありがとねハルヒ!」
部活が無いならその方が時間が取れるし、そこまで急ぐことではないので快く了解した。
ちなみにあたしは部活に入っていない。中学生の時は強制入部だったので美術部に入っていたが、しょっちゅう部活を忘れて帰っていたので高校では入部しなかった。
「でもどうしよう、うーん……」
なにやら歯切れの悪い返答だったが、リールの事が分かるだけで満足したあたしは上機嫌になってリールを撫でた。
その拍子にぼんやり薄目をあけたリールは、ハルヒを見て呟いた。
「ん? あっちもぼくとおんなじ……ちがうけどそっくり……?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
授業が終わり、あたしはハルヒの家へ招待された。
ハルヒはアパートの一室で一人暮らしをしている。高校生なのに親元を離れているのは何か事情があるのだろうが、あたしは気にしていなかった。
そういう事情に深入りするのって良くないだろうし。
「あ、先客がいるんだけど、びっくりしないでね。リールちゃんとそこまで馴染めてるから大丈夫だろうけど……」
ちなみにリールは授業中、意外と大人しくあたしの側にいた。生徒が沢山いたので怖がっていたのかも知れない。
今はあたしの頭の上で昼寝中だ。すっかりお気に入りの場所になったらしい。
「先客?」
「うん、私の知り合いなんだけど……」
そう言いながらハルヒは家の鍵を差し込み、ドアを開けた。
すると、部屋から突然何かが襲い掛かってきて、小さな剣を喉元に突き立てられた。
――それは、人間の赤子よりも一回り小さくて、背中に蝶の羽を生やした、妖精だった。
「人間、動くなよ! そのドラゴンは私達が封印する!」
妖精は物凄い気迫でそう宣言した。
「ちょっと待ってジーグル、話し合ってからって言ったでしょう」
ハルヒはそう言い放つと、突然刃物を向けられて動けなくなったあたしから妖精を摘み上げた。
襟首が締まって苦しそうにしながらも、ジーグルと呼ばれた妖精は毅然とした態度で反論する。
「でもハイルン様、もし貴方に何かあってからでは遅いのです!」
ジーグルはそう言いながら、剣先をリールの方へ向けた。リールは騒ぎで目を覚まし、威嚇に怯えて体をこわばらせていた。
「とりあえずは大丈夫だって伝えたのに……少しは落ち着いて欲しいよ」
ため息をついてから、ハルヒはこちらへ振り返った。揺れによってさらに首が締まったのか、ジーグルがうめき声をあげる。
「ごめんね、びっくりさせちゃって……説明は中に入ってからで良い?」
「あ、うん、おっけい」
妖精がいるのが当然のように振る舞うハルヒにも驚いた。リールの事といい、まるで異世界にでも来てしまった様な気持ちになっている。
あたしは呆然としたまま、ハルヒの部屋へ入った。